9話 胸に秘めたるは 上
疲労困ぱいになって終えた模擬試合の後、俺はキャピタル駐屯地内の施設を一通り案内して貰った。
疲れからくる眠気を何とか堪えて案内から解放して貰うと、兵舎にたどり着く。念願の自由時間だ。
室内は一般的な2人一部屋で作られた無味乾燥なものだが、素晴らしい所が一つある。
この部屋の使用者は現在、俺だけなのだ。
本来ならもう1人誰かと共同で使うのだが、ロックフェラー司令官の例の作戦による人事異動と俺が来た時期が運良く重なり、俺は軍隊生活の中で1人部屋と言う贅沢を手に入れたのだ。
少なくともしばらくの間はプライベートに置いて贅沢だ。
「部屋に連れてくるような相手はいないけどな!! ……だー……疲れた」
このまま用意された簡素なベッドに飛び込みたくなるのを堪える。
「今すぐ横になる訳にはいかないか」
汗臭くなった服と体を確認すると、持ってきたバッグから着替えを取り出す。
「さっそくシャワールームでも行くか」
熱いシャワーで汗を流す事にした。
部屋の戸締まりを確認してからシャワールームへと向かった。場所はこの兵舎の1階、ここからそう遠くない。
シャワールームは場所の案内をされただけで、室内の様子をまだ見ていない。
ユーリー隊長からは期待してもいいと言われていたので楽しみだ。
案内された場所まで難なく辿り着き、脱衣所に入る。
脱衣所は動かせるタイプの仕切りで男女別に別れていた。
男の方の脱衣所は、見る限り今は俺以外の利用者はいないようだ。
これは貸し切りかと胸が躍り、手早く軍服を脱ぎシャワールームへと急ぐ。
待望の室内は俺の予想を概ね叶えてくれる内装だった。
「おお、広くて綺麗って言うのはやっぱりいいもんだな」
そしてシャワールームの室内も脱衣所の方と同じ様に男女別に仕切られている。
女性側からシャワーの流れる音に紛れて数人のしゃべり声が聞こえる。
「……気にしたら駄目だな」
自分に言い聞かせる様に呟くと、向こう側の声からなるべく離れた場所を使うことにする。
シャワーの蛇口を思い切り捻ると熱水が勢い良く吹き出す。
個人的にはこれくらい熱いくらいが体の疲れを溶かして行くようで心地良い。
備え付けのシャンプーで頭を泡立て洗っていく。
「ふゃああぁっ!? 急にどこ触ってるんですか、アティさん!!」
突然、聞き覚えのある女性の艶っぽい悲鳴に体が固まった。
「いやー、お姉さんほっとしちゃってさー。エメリちゃんっていいとこ出のお嬢様なのに何でこんな所来ちゃったのかなーとか、ありがちな権力争いとかに巻き込まれたのかしらん、とかね?」
「そ、そうだったんですか……ひっゃん!? あのあの! それと今、私が現在進行形で恥ずかしい所を触られている事って関係性ありますか!!」
恥ずかしい所を触られているのかッ!?
「アティ、スケベオヤジ見たいな事もホドホドにしなよ」
「いやー、エメリちゃんの反応が楽しくて楽しくて。本当にさわり心地はいいし、綺麗な色してるしで、正直同性から見ても堪らんわ」
「スケベオヤジそのものになってる……」
「あのー、だから触るのを……ひんっ!?」
薄壁一枚の向こう側が気になって仕方が無い。
俺の脳内でエメリ、トランさん、アティさんが一糸まとわぬ姿でじゃれ合う。
その光景はまさに桃源郷、自分の体が熱くなるのを自覚した。
「……早く洗ってしまおう」
このまま女性陣のトークを聴き入ってしまいたいが、マナーが良いとは言えない。
しかし、俺がここに入る際に開けた戸の音は聞こえなかったのだろうか。もしかしたら、シャワーの音に遮られたのかもしれない。
俺は止まっていた手を再び動かし始めた。
女性陣の会話は止む気配が無い。
「そんな変わり者ぽかった娘が、新しい隊員のプロフィールを知るやいなや急に嬉しそうに浮ついているんだもの気になって仕方ないじゃない?」
「え、えーとそんな事は……」
「そ、れ、で、エメリちゃんってコウタロウ君のどこに惚れたのよ。幼なじみって聞いたけど?」
「あうっ……そんなに広まってるんですね、その話」
再び俺の体が固まる。今、聞き間違いじゃなければ俺にとっては途轍とてつもない単語が聞こえた。
「んー、教授が言いふらしてたからねえ」
「あー……やっぱりあの人ですよね、私、最初はコウタロウ君との関係を誰にも言ってないのになんでバレちゃったのか不思議だったんです」
「そう言えばエメリちゃんはあの変態教授と知り合いなの? 配属初日の時から気になってたんだけどさ」
「アティ知らないの? プロフェッサー・ヘンリーって本当に不審者と天才は紙一重を体現した様な人物なのよ。あの人、第3世代パワードスーツの生みの親として船内で有名だけどナノ機械工学、物理学、生物学、人体医学、心理学まで齧ってる変態なのよ。エメリさん見たいな人工超能力者開発もあの人の技術だし、そっち関連でエメリさんとは知り合いなんでしょ」
「トラン、あんた教授を貶してるのか褒めてるのかどっちよ……」
どうやら女性陣の話題が俺からプロフェッサー・ヘンリーに移り変わったらしい。個人的にはエメリが俺の事をどう思っているのかの真意を聞きたのもあるが、結果を知るのも恐ろしいので話題が移った事に内心で一安心する。
しかし、プロフェッサー・ヘンリーの業績を改めて聞くとあのハイテンション老人とは中々結びつかない。同姓同名の別人と言われた方がまだ解る。
俺は人の中身と能力の因果関係を不思議に思いながら体を洗うことに再び集中した。
――今度は何が聞こえても動じまい。
シャワーを終えて部屋に戻ると体が求めるままにベッドへと倒れ込む。
清潔なシーツの心地良さに意識を沈めていくと、自分の携帯端末が突然のコール音を響かせた。
眠りかけていた意識を呼び覚まされた事に軽く苛立ちながら、呼び出しの主の名前を端末から浮かび上がるホログラムから確認し、少しばかり目を丸くした。
俺は携帯端末を通話状態に切り替える。
「なあ、軍用の回線勝手に使ってたりする訳じゃないよな? マリー」
『ハイ、大丈夫ですコウタロウ。私には自己学習をする際のプライベートを管理者に内容を事前報告する事で認められていますから』
電話の主は今日の朝方、俺のトラウマを刺激しまくってくれた、次世代型労働業務管理AIのマリーだ。マリーは最近開発されたばかりの自己学習AIで、現在は試験運用として軍に扱わている。試験運用を開始して少し時間が経った頃にマリー本人の希望で懲罰室での「勤務」を彼女自身が希望した事は軍の中では有名な話である。なんでも「労働管理をする側が人の苦痛を知らないままでいい筈がない」と管理者に言ったそうな。
だからって何も直接苦痛を与える側になる必要はあったのかと個人的には疑問だが、俺と違って勤勉なんだろう。極一部にはリピータもいるらしいし。
「なあ、もしかしてだけどさ、お前の生みの親ってプロフェッサー・ヘンリー?」
先ほどのシャワールームでの話を思い出し、思わずマリーに訪ねてしまう。
『正確にはその一人です。私は人類の為に船内の優秀な学者と技術者集めて作られた存在ですから』
「関わってはいるのか。因みにマリーのどの部分に関わったんだ?」
『女性に向かって身体的な質問はあまりしていいものではありませんよ、コウタロウ。詳しくは機密情報なので私にアクセス権限は与えられていませんが、公になっている情報では私の『性別』を女性にしたのはプロフェッサー・ヘンリーの案だそうです。良かったですね、コウタロウ』
「なんで俺?」
『同性に興味を持たれたいですか?』
「ああ、うん、マリーが女性で良かったです」
『素直でよろしいですね、そんな素直な貴男に良いことを教えて上げましょう。今日、自分の我がままに付き合わせたお礼として、プロフェッサー・ヘンリーが48小隊の皆様を飲みに誘いたいそうです。勿論おごりだそうです』
「なに、マジか!?……って、もしかして俺にそれを伝える為に連絡してくれたのか?」
『はい、もともと本日中に貴男に一度連絡を試して見たかったので、もののついでです。プロフェッサー・ヘンリーはこの基地内での私の管理者でもありますから』
人に気を利かす事が出来るマリーに内心驚いた。
彼女は人をどこまで理解出来ているのだろうか。
『取りあえず、私からの要件は以上になります、お休みの所を失礼しました。飲みの場所と時間は携帯端末に情報を載せて起きますね』
「あれ、もういいのか? まだろくに喋ってないと思うんだが」
『はい、名残惜しい方が後に続きますから』
「お、おう、そう言うんならこっちとしてはいいけど……そういや、俺の方からコールってしていいものなのか? 検閲とかされんの?」
『記録ログは取られている筈です。ただ、その記録を覗くには地域毎の管理者権限と企業上層部からの特別な許可必要になりますね』
「つまり、普段は気にしなくて良いって事か?」
『はい、私が何か人類に重大な問題を起こした時でもない限りは大丈夫でしょう。私は人類に従順で友好的で常に相手を配慮する様に作られていますから』
「え、そ、そうだな」
思わず首の後ろを摩った。
『では、多分この後お休みになられると思うので端末に目覚ましをセットしておきますね。時間通りに起きるならば、飲みに行くのに十分間に合う様にはしておくので』
「ああ、ありがとうな。今度は俺から連絡いれるよ」
『それは楽しみです。ですが、そう遠くないうちにちゃんとした場所で会うので、再開の喜びはその時に。では、また』
そう言うとマリーは通信を切った。携帯端末には情報が添付された新規メールが来た事とアラームの設定がされている。
別れ際に言われた事が気にはなるが、本人が会う積り満々の様なのでこちらが特に心配する事もないだろう。
俺は中断されていた睡魔に身を任せて再びベットの上で仰向けになった。
「ここが、コウタロウ君の部屋……」
エメリはコウタロウの部屋に来ていた。扉のナンバープレートを見上げ確認しているその顔は、不安と緊張にこわばっている。
「もう、アティさんがさっき意識させる様な事を言うから……」
本来ならば、知らせが回って来た飲みの誘いをコウタロウに知らせるだけの用事なのだが、先ほどの事もあり変な緊張がともなってしまう。
「シャワーは浴びた、衣服も乱れてない……良しっ!」
エメリは何が良しなのかは本人も自覚せずに意を決して扉を三回ノックする。
「コウタロウ君、私、エメリだけど今いいかな~………………あれ?」
棒読み気味な自分の声を気にしながら部屋にいる筈のコウタロウへと呼び掛けるが返事は無い。反応が全く無い事にエメリは逡巡する。
今は留守なのだろうか、留守ならなば出直すべきか。兵舎では扉にカギをかけないから室内で待つ事は可能だ。しかし、相手に無断で部屋で待っていると言うのはどうなのだろうか。コウタロウはそう言った事をそこまで気にする性分では無かったと思うが。
――ダメだ。考えても埒が無い。
ただ中に入って居るかどうか確認するだけ、居なければ書置きをするか出直せばいい。
エメリは思い切って部屋に入る事にした。
狭い室内に入ると軍服の上着を脱いだ状態のままベットで仰向けになっている男性が目に入った。コウタロウだ。
「あー、寝ちゃってたんだ……この匂い……そっか、コウタロウ君もシャワー入ったんだ」
気持ち良さそうに寝ているコウタロウに近づくとシャンプーの匂いが鼻腔に届く。
あれだけ動き回った後だ、彼も直ぐに入りたかったのだろうとエメリは納得する。
のん気なまま眠るコウタロウを眺めて緊張の糸がほぐれたエメリは眠っているコウタロウを邪魔しない様にベットに腰掛ける。
「気持ち良さそうに寝てるなあ」
もし、先ほど自分達が体を洗っている時と同じタイミングでコウタロウがシャワーを浴びていたらアティ達との会話は聞かれてしまっただろうか。聞いていたとしたらどう思っのだろうか。
エメリは自分の胸に淡い熱が伴うの自覚しながら、ふと、幼年期の頃へ思いを馳せる。
毎日の様に一緒に遊んだ相手。姉と一緒に色んな所で遊び回り、時には自分が部屋に招いて今では貴重となった紙の絵本や図鑑を読み漁った。
「外ではしゃぎ過ぎて汚れて帰って来た時は3人ともコウタロウ君のお母さんにお風呂に放り込まれたっけ」
エメリにとってコウタロウは姉と一緒に何時でも自分を引っ張ってくれた。あの日の時も恐怖で必死になりながらでも自分を見捨てずに家まで連れて帰ってくれた。
「……あの時、ほんのちょっとだけ、嬉しく思っちゃったなあ……」
我ながら酷い女だと、エメリは思う。
コウタロウの家族は今も元気だろうか。妹が生まれた時のコウタロウのはしゃぎ振りは今でも鮮明だ。
「…………書置き、しようかな」
苦味を感じる様な胸の苦しさから目を背けながらエメリはベットから離れた。
「私、コウタロウ君に会えて浮かれちゃってたなあ……ごめんね」
誰かに謝罪する様に呟くとエメリは自分の用事を済ませ、コウタロウの部屋を後にする。
――この想いは叶えようとしちゃ駄目だ。
エメリは自らの胸にそう言い聞かせた。
携帯端末と部屋備え付けのタイマーからの一斉攻撃で俺の意識は叩き起こされた。
「――うる、せえっっ!!」
身をベットから弾くと流れる様に携帯端末とタイマーのアラームをチョップで止める。嫌な目覚め方だ。
「なんで部屋の方のタイマーがかかってるんだ……ん? 俺、ブランケットかけてねてたっけか?」
気づけば放り出したままにしてあった軍服の上着も丁寧に畳まれている。
「え、なにこれ、どう言うこと?」
コウタロウが書置きに気づいたのは部屋を出る時だった。
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