2話 異動 上

『……――以上で本人のトラウマを呼び起こし、被害者と同等の精神的苦痛を与える「黒歴史強制フラッシュバック」の刑執行を終了します。フジムラ・コウタロウ上等兵起きて下さい』


 やけに無機質で女性的な声が俺に呼びかける。

 肝心の俺はと言うと醒めたばかりの悪夢から完全に抜け出せておらず、汗が止まりきっていなかった。

 声に応えようにも、悪夢の霞が掛かった体は動かない。


『完全な覚醒は出来ていない様ですね。えい』


 直後に俺の首筋に一瞬の弾けた痛みが起きると、続いてバチッと音が鳴る。

 俺を縛っている椅子から首筋へと電流が流れたのだ。


「……もう少し、優しい起こし方はないのか」

『船内の倫理観と人道的なモラルに則った、最低限な罪人の扱いです。目が醒めたでしょ?』

「……機械の癖にいい性格してやがる」

『お褒めにあずかり光栄です。またのご利用をお待ちしています』


 俺を縛っていた椅子の拘束が外されていく。


「いや、美人なAIに虐められて喜ぶ趣味はないから」

『そうですか? 残念です』


 俺は椅子から立ち上がり、俺と拷問器具だけの懲罰室からさっさと出ようとしたがドアはロックされたままだ。


「何で開かないんだ?」


 俺を部屋に連れて来た案内人も刑の執行が終わったと言うのに戻ってくる気配はない。


「どうなってるんだ、マリー?」


 俺は先程まで俺に酷いことをしていたAIの名前を呼んだ。

 すると、部屋の天井中央から生える様にぶら下がっていたスピーカー付きのカメラが、ホースの様に俺の目の前まで伸びて来る。


『人が来ないのはあなたに人を割く必要がないからです。セルフサービスですね。あなたの刑については「処罰をした」と言う形式としての意味合いが強く、私が与えられた情報通りであるならば、あなたは新しい部隊に配属されますよ。因みにキャピタルブロック駐屯地のジョン・ロックフェラー司令の指示です』

「……なんだって?」


 何故か急に軍の上層部の名前を出され、思考が固まりかけた。

 ジョン・ロックフェラー司令と言えば宇宙船内の首都区域の軍隊を任されている人物で、宇宙船内を牛耳っている企業上層部とも直接的な関係がある。

 一兵士である俺にとっては雲の上の人物である。

 そんなお偉いさんが一兵士の起こした不祥事に介入して、自分の所に来いとは一体どういう積もりか。

 疑問が止まる事無く溢れる俺を気にしない様子でマリーは言葉を続ける。


『フジムラ・コウタロウ上等兵、貴方が今回の刑にかけられた原因はなんでも9日前にあった巨大蟻達への威力偵察の際に、パワードスーツ越しで上官を殴ったからだとか』


 マリーが俺こんな所に送られた経緯を相変わらずの無感情な声で確認してくる。

 俺の中で一度は沈下した怒りが再び燻り始めるのを自覚出来た。


「それだけ言うと俺だけが悪い奴じゃないか、あの上官殿は自分の立てた作戦を成功させるのに躍起になって、俺の隊ごと蟻どもを吹き飛ばしたんだぞ! 死人こそ出なかったけど俺と隊長以外はまだ病院だ!!」


 頭の中で熱が上がるのが自覚出来た。

 今、思い出しても腸が煮えくりかえる。

 五つ葉製作所の坊ちゃんだがなんだか知らないが、素人に自分と仲間の命を預けれる訳が無い。

 社会勉強なんて名目で戦場に出てくるのは勝手だが、そんな事で俺達の命が余計な危険に晒されるのはあまりにも理不尽だ。

 理不尽だが、それを許されているのがこの宇宙船の上層部だ。

 彼らがその気になれば、立場の弱い貧民層や身元保証がないスラム区域の住人、果てには自分達にとって邪魔な人間はこの宇宙船内から簡単に放り出されてしまうだろう。

 現に俺がホープで生まれる三年前には、碌な周辺調査もせずに「人が生身で生存可能ならそれで十分」と民間人を含んだ大勢の人間を降ろした。

 結果はどうなったか俺自信が身をもって知っている。


『貴方の今のバイタルから激しい怒りを読み取れます。怒らせてしまいましたね、ごめんなさい』

「…………いいよ、俺も急に怒鳴って悪かった」

『はい、やはりあなたは私のデータベースに無いタイプの人間の様ですね、非常に興味深いです。申し訳ついでにお知らせしますと、今現在この部屋の鍵をロックしているのは私の権限です。私情とも言えますね』

「へ?」

『あなたにどうしてもお願いしたい事があって』

「えーと、つまりOKしてくれないと部屋から出さないぞって、脅してる?」

『いいえまさか、お願いです。あなたの持っている支給品の連絡端末のアドレス及び番号を教えてください』



 まさか成人して最初に連絡先を交換した女性がAIになるとわ……。

 喜ぶべきか悲しむべきか迷いながらも身なりと持ち物を整え、自分の古巣であった兵舎から抜け出す。

 今の宇宙船内の時間はお昼を過ぎた所であり、船内中心部にある人工の太陽から届く光が嫌になるくらい眩しく感じる。

 荷物をまとめたダッフルバックを背負いながら、渡された辞令書を確認する。

 それにしても、転属を言い渡されるとは。

 例の不祥事を起こしたあと、独房の中で自分の浅はかさを恨みながら家族の心配をしている時はこんな事になるとは思ってもみなかった。

 そもそも、今日の朝に刑の内容とそれを今直ぐに行うと知らされた時も疑問に感じたのだ。

 上官をぶん殴った割にはやけに軽いと。

 どんな部隊へと配属されるのかは不安で仕方なかったが、こうしてまだ軍人としての仕事にありつけるのは有難い。

 正門へ向かうと、門には無精髭を生やした大柄な男性が俺を待っていた。左腕をギプスで巻いている。

 俺の部隊の隊長だ。正確にはつい17分ほど前に元隊長になった。


「よう、栄転おめでとうさん」

「いやいや、栄転じゃないっすよ」


 元隊長は俺に気づくと口の端を僅かに上げながら気さくに話しかける。

 今になって思えば、この人には新兵の頃から世話になりっぱなしだった。

 そして、兵士としてまともになってからは互いに命を預け合った。

 元隊長だけではない。つい、さっきまで所属していた隊の全員とは大なり小なりの貸し借りがある。

 こんな形で別れてしまうのは無念だった。


「まったく馬鹿野郎が、お前はもう少し世渡り上手だと思ったぜ」

「いいえ、この隊に入ってから下手になりました。これを機に世渡りを勉強してきます」

「なんだよ、余裕あるじゃねぇか」

「これもこの隊の影響です。元隊長殿」


 互いに言い合うくだらない冗談も出来なくなると思うと寂しい。

 元隊長が黙って右手を差し出してきた。

 俺も右手を出して握手に応じようとした。


「ふんっ」

「オウ!?」


 直後、俺の左手を元隊長はとてつもない力で握りしめる。

 俺も負けじと腹に力を入れて、握られた右手でやり返す。


「ぬうううぅ」

「ふっうおおおぅ」


 大の男が二人、駐屯地の門前で互いの手を握り合いながら苦悶の声を上げていた。

 そのまま体感で数分間経つ。

 互いに息を切らせながらほぼ同時に手を離す。


「おい、上官相手に、なに、してんだ」

「どんなに、大きな相手でも、怯むなって誰が、言いましたっけ?」

「この野郎、新兵だったときはもっと、素直、だったんだがなあ」

「しごかれ、ましたからねえ」


 息を整えると今度は気まずくなり互いに黙ってしまう。元隊長も俺も口が上手い方ではないのだ。

 さて、何を言えばいいのか。湿っぽくなるのは嫌だ。

 元隊長が不意打ちで大げさな咳払いをする。


「まあ、何はともあれだこれだけは言わせろ。――また会おう。勿論、生きてな」

「――はい」

「隊のやつらには退院したら俺から話しておくが、何かあいつらに伝えたい事はあるか?」

「そうですね……前のバスケの賭け試合での俺の取り分、後で必ず回収すると言っといて下さい」

「ああ、必ず伝えるさ」


 では、と二人で敬礼をする。


「コウタロウ上等兵、貴君の武運を祈る」

「私からも、442小隊のご武運を祈らせて頂きます」


 別れを告げ終えると、決して後ろを振り向かない事を意識しながら門を抜け、極東アジア駐屯地を後にした。

 行き先は宇宙船内のプラットホーム、軍が利用する駅が近くにある。更に列車に乗って数十分もすればキャピタルブロック駐屯地へつく筈だ。

 これから何が起きるのか、上層部の人間が何を考えて俺に異動をさせるのか、何もかも解らない事だらけだ。

 子供の頃から大変な目に遭うのは慣れている積もりだったが、ここまで来ると何か妙なものを感じてしまうのは考えすぎだろうか。


「……まあ、結局は言われた事を必死にやるしかないんだよなあ」


 諦観の念を込めた愚痴を己に言い聞かせる様に呟いた。

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