忘失の憩

 どんなものにも理由はある。

 奇跡のような偶然であろうと、決まっていた必然であろうと。それが起こる始まりは確かに存在する。

 人の心であろうとそうだ。何かを思い、行動するそこに確かな理由はある。

 そして、それは記憶もまた。

 忘却の彼方に追いやられた過去。霞む記憶にもそれは確かにある。

 時の流れであり、他の記憶の蓄積故の圧迫かもしれない。


 薄れたそれは時に歪み、ありもしないナニカとの、他との繋がりの整合性を求め改竄される。

 そして、それは忘れられていく。そして何かの拍子にふと、思い出すこともあるかもしれない。


 だが、大抵は思い出さない。思い出せず、風化し錆び朽ち果てていくものだ。

 そこにあるモノが、なんであろうと。



 例え――自分を守る為の楔であろうとも。










 この家には文明の利器が少ない。

 エアコンが入っているのも祖父の部屋だけ。それ以外は扇風機しかない。

 霜月が私室として使っている部屋はそこでない以上、エアコンの恩恵は受けられず暑さを和らげるものはない。

 祖父の部屋を使えばとも思うが、もう暫くはあのままに、という思いがある。

 まだ初夏さえ来ていないといえ、雨でも振れば蒸し暑くなる。時折、涼しさが恋しくなる。


 昨夜がまさにそうだった。少しでも涼しさをと薄い布地の寝巻きにしたが、それでも霜月は早くに目が覚めた。

 一番原因はやはり、布団の中に潜り込んでくる九十九のせいだろう。近くで寝られてはその熱が霜月にも来る。

 それに近くに九十九がいる為、薄着で寝ようにも限度があるのだ。流石に下着一枚で寝るわけにもいかない。

 そのような理由で霜月は眠る九十九を布団に残し、玄関の脇にあったつっかけを履いて一人で外に出ていた。外で風に当たったほうが涼しいからだ。


 朝食までは霜月の個人的な感覚だがまだ時間がある。九十九が起きてからでもいい。

 足元に感じる石畳は硬い感触を返し、それが霜月の意識を覚醒させていく。

 自然と出るあくびを噛み殺し、道に一歩出て朝の冷えた空気と日の光を浴びて軽く伸びをする。

 出た涙に滲んだ視界、日に照らされる朝の静かな時間帯。緑色の森と田園風景が霜月の目に映る。街の中に住んでいた時と比べ、仄かに空気も澄んでいる様にさえ感じる。


「あら、若いのに早起きなのねぇ」

「お早うございます」


 隣の家の奥さんに話しかけられ霜月は軽く会釈で返す。

 歳は不明だが一見、若い女性だ。ジーンズに半袖シャツといった服装から分かるように中々にはっきりとした性格で、引っ越し日に挨拶に行った霜月はその勢いに少々押され気味になった。

 旦那さんは仕事で遅くなることが多いらしくまだ霜月は会った事はない。

 手に持った箒から見て、掃除でもしていたのだろうか。


「今日は休日じゃない? ウチの人は昼まで起きやしないわ。実家の弟も同じよ。どいつもこいつも全く」


 一括りにされた長い髪がやれやれと首を振る奥さんに合わせその後ろで揺れる。

 今日は休日なのかと、霜月はふと気づく。休み続きで曜日感覚を忘れていたのだ。まだ終わっていない大学の期末試験も幾つかある。そろそろ曜日感覚を取り戻さねば。

 そこまで考え、ふと霜月は自分の佇まいを思い出す。まだ寝巻きとして着た甚平のままだ。少々、気はずさを感じてしまう。


「今日の昼頃さ、お爺さんの線香上げに行っていい?」

「構いませんよ。来て頂けると祖父も嬉しいでしょう」


 ぽつりぽつりとではあるが、連日祖父の知人が線香を上げに家を訪れている。

 来てくれるというのならば霜月としては断る理由は無い。


「良かった。スーツ無かったり忙しかったり、まあ苦手だったりで葬式に参加できなかったから気にかかってたのよ」

「祖父とはよく話は……」

「雑談とか、たまに日本酒貰ったりね。美味しいお酒で、弱いはずのうちの人も美味いって言ってた。後はまあ、刀とか弓とか、骨董品自慢されたりかな」


 確かに隣の家は比較的新しく、祖父の家と違い今風の家だ。恐らく結婚して新居として立てたか、元々あったのを買って移り住んだのかその辺だろう。

 ふと、奥さんが興味深げな表情で顔を寄せてくる。


「後さ、少し聞きたいんだけど。やっぱり”出る”の? 何か見た?」

「出る、とは?」

「座敷わらしよ。あの家で消える女の子を見た噂があるらしいけれど」


 ああ、それかと霜月は思う。思って小さく笑い、奥さんに言う。


「デマですよ。『座敷わらし』は出ません」

「なんだ、やっぱりか。たまに声が聞こえた気がしたけど、あれはお爺さんの友達だったのかしら。夢が壊れたなぁ」

「ええ、そうだと思います」


 ブンブンと箒でスイングする奥さんから霜月は目を逸らす。

 ちなみに座敷わらしはその家に富を齎し、出ていけば禍を齎すと言われる妖怪だ。それを知っているのか知らぬのか。やはり豪快な性格だ。

 スイングをやめ奥さんは軽く伸びをする。


「うー、ん! そろそろ朝御飯の用意しなきゃ。じゃあね少年」

「少年と言われるほど若くありませんって」

「私から見たら学生ってだけで若いのよ。高校時代に戻れたらなぁ」


 箒を肩に担いで去っていく奥さんを霜月は見送る。

 まさか高校生と間違われているのではと不安になるが、気にしても仕方のないこと。もしそうなら今度誤解をとけばいい。


 一人になり、戻ってきた静寂に霜月は軽く息を吐く。

 まだ九十九は寝たままだろう。気持ちよさげなあの寝顔を思い浮かべ、無理に起こせば不機嫌になるだろうと霜月は思う。

 ならば、別にいいだろう。

 意識は覚醒している。生憎、寝に戻る気にもなれない。

 つっかけを履いた寝巻き替わりの甚平のまま、霜月は何処へ行くでもなく朝の道を歩き始めていった。








 祖父の遺品を整理する。

 今日、霜月はそれをしようと決めていた。

 収集癖があった祖父は多くの物を集めていた。その中の一つが九十九であり、九十九は霜月の手に渡ったとはいえまだ残りは数多くある。

 

 祖父の遺産の分配に揉める、という事は無かった。

 葬式の後、祖父の部屋の棚から遺書が見つかったからだ。

 死期を悟っていたかの如く書はしたためられていた。

 その中には計三枚分、収集物の処遇を記した紙もあった。


 今は無き祖母の私室に粗方の骨董物が集められており、他の親類はそれを分配するように。

 そしてそれ以外の物は全て霜月に任せる。特に下記の物は必ず渡すようにと幾つかの品が書かれていた。九十九の扇もその中に記されていた。

 そこまでが一、二枚目だ。三枚目は霜月への個人的な頼みが書かれていた。

 遺産を譲られるのは良いが、霜月としては少々の問題があった。

 親類向けの品と違い、霜月に譲られるはずの品の場所は記載がなかった。

 早い話、家のどこにあるか分からないので探す必要がある。


 他の親類――主に叔父――の分は既に先日の内に回収が済まされている。

 故に今、家に残っているのは霜月に任された分のはずだ。

 庭の蔵と未だ場所が分からない屋内の物置部屋。それと祖父の部屋。そこにある物品の確認と簡単な整理。

 まずは簡単な場所からと、霜月は一人で祖父の部屋を探していく。

 勝手に出かけたこと、朝食が遅れに遅れて昼と一緒になったこと。その辺りで九十九に拗ねられたのだ。


「開かないな」


 祖父の部屋の衣裳箪笥。その幾つかに鍵がかかっている。これは後回しにして父親にでも聞くか、鍵を探すしかない。

 空いている引き出しには名刺、鍵、煙管などを発見した。

 途中がクの字に曲がった、小さな金属の棒も見つける。鍵かと思ったがどこにも刺さりはしなかった。

 また、古そうな小物を幾つか見つけるが、記載の品らしき物はなかった。

 

 一通り部屋を漁り終えた所で庭に降り蔵へ向かう。

 蔵は物を保管するための建物だ。何かあるだろうという予測だ。

 戸を開けると中の空気が漏れ、乾いた風が頬を撫でる。


 さほどそこまで広くは無い土蔵だ。薄蔭の暗闇の中、雑多に物が置かれているのが分かる。

 所々に見える木箱や黄袋は残された骨董物だろう。だが要らぬものや嵩張る物もここに放り投げたらしい。


 光を入れるために霜月は窓を開け放つ。

 

「……ん?」


 ふと、霜月は小さな違和感を感じた。

 だがその答えが出るより早く、耳が音を捉える。玄関の呼び鈴だ。

 灯りの有無による錯覚だろう。そう納得した霜月は玄関へと向かう。

 隣家の婦人が良人を連れ玄関に居た。亭主は学者然とした、下縁の四角い眼鏡をした腰の低そうな男性だ。


「上がっていい?」

「はい。お二人ともどうぞ」


 朝の会話を思い出し、霜月は二人を家に上げる。

 初めて見た亭主は霜月に小さく会釈し家に上がる。霜月も軽く会釈して返す。

 夫人が祖父の仏壇に線香を上げ手を合わせる。次に亭主もそれに続く。

 終わった頃を見計らい、霜月はお茶を客間のテーブルに並べ二人を呼ぶ。

 二人とも遠慮していたが、一杯だけならと、客間に来て腰を下ろす。


「お爺さんには色々貰ったわね。お酒が無くなるの悲しいわ」

「私は少し、お酒が好きになりましたよ。ただ流石に君が日本刀持っていた時は驚いたけれど」

「はは。……でも思えば、少し距離を取られた雰囲気あったかしら」


 ポツリと、婦人が言った。


「そうでしたか? 私としては気さくで話しやすい人でしたが」

「良い人だったわよ。ただ何となく、家に近づかないようにされていた気がね。此処に来て二年くらいだけど、家の中に入ったのこれが初めてだと思うわ」

「……」

「ああ、ごめんね。線香上げに来たのにお爺さんの変な話しちゃって」


 お気になさらず、と霜月は首を横に振る。

 ただ、女性の呟きに霜月は気づいたのだ。ここ数年、霜月は祖父の家に来た覚えがない。十になる前はそれこそしょっちゅう来ていたとさえ思えほどだった。

 記憶を探るが霜月はその理由が思い出せない。

 脳裏に浮かび微かに漂う古ぼけた埃の匂い。とっかかりは有る様に思えるが、確信はない。それとも、単に忘れているだけなのだろうか。

 思考する霜月の前で、婦人がお茶を飲み干す。


「そろそろお暇しましょう。ほら、早く飲みなさい」

「ちょっと待ってください。猫舌なんですから」


 無理やりお茶を流し込ませた亭主を連れ婦人が出ていく。

 茶器を片付けた霜月は何とはなしに家の中を探索に移る。遺品の整理は一旦、後回しだ。

 引っ越してから何日か経ったが、霜月はこの家に何があるのか、それをまだ完全には知らない。色々な準備や新しい生活への適応で忙しかったこともある。

 小さな頃の記憶はある。だが、その頃から変わったものもあるはずだ。

 先ほどの会話での疑問が霜月の心に小さなシコリとして残っていた。

 答えが出るとは思わないが、何か見つかるかもしれないと思ったのだ。


 玄関、風呂場、居間、茶の間……何が何処にあるのかを確認しながら一通り霜月は見ていく。


 そう言えば、九十九はどこに行ったのだろう。まだ姿を見ていない。


 この家には二階はなかったはず。一通り見る場所は見たはずだと霜月は廊下を歩きながら思う。特に何かあるわけでもなかった。


――コトッ……


 何かが動く小さな音がした。

 ピタリと、霜月の足が止まる。

 それは一瞬。気のせいだったとさえ思える程の微かな物音。

 ふと振り向いた先、一枚の扉があった。その中はまだ調べてない。


 だが、不思議だと霜月は思う。

 自分は先程まで確かに調べられるところは調べたと思ったはずなのだ。その扉のことなど意識の端にもなかった。

 そして何よりもこの場にいたというのに今この瞬間までその扉に自分は気づいていなかった。

 それが、何よりも霜月には不思議だった。


 扉は廊下の隅にひっそりと有った。

 周囲の壁の木目に紛れるように嵌められた木の扉だ。

 酷く古ぼけた色をしており表面には幾つもの細かな傷が付いている。

 そういえばこの扉、引越しの日に見た扉ではないかと思い出す。

 本当に何故気づかなかったのか。今ならばまるで吸い込まれるようなほどに自分の意識はそちらに向いているのにと、霜月は思う。


 足をそちらに向け、そしておかしなことに気づく。手をかける場所がないのだ。

 引くのか押すのか或いは横へずらすのか。凹みに当たる場所がない。

 手を触れ軽く押す。微かに軋む音が後ろの空間を示す。

 左右の板を見れば僅かな段差がある。恐らくだが横に動くのだろう。

 下に目を向けた霜月は小さな穴があるのを見つける。木目模様に紛れ見えづらいが、鍵穴の様に霜月には見えた。 


「……確か」


 葬式の日に父に渡された鍵は二つあったはずだ。

 もしやと思い霜月は部屋から鍵を持ってくる。

 そうあるのが自然であると示す如く鍵は穴に丁度収まる。そのまま回すと、カタン、と何かが外れた音がした。

 霜月が扉に手をかける。扉は僅かにきしみながら横へと動いた。




 最初に感じたのは、既視感に似た懐かしさと埃の匂い。

 私室よりも広い部屋の中は薄暗く、照らす明かりは天井で揺れる電球一つ。

 霜月は電球の紐を引く。僅かな時間をおいて朧げな明かりが部屋を照らす。


 扉の中は物置といった表現が適切な空間であった。

 元は和室だった場所をそのまま転用したのだろう。

 壁際には幾つもの棚が置かれ、押入れにも収納スペースが形成されている。

 だが嘗ては所狭しと並べられていただろう品々の姿は今は無い。

 棚の多くには何も置いておらず、埃の跡だけを残し伽藍としたもので、所々に数少ない品が残されている。

 だが元の数が多かった故か、それでもそこそこの数は残されている。

 ちらりと見れば、床の方には弓矢や刀なども立てかけてある。


 恐らくだが、祖父が趣味で集めた物の一部。霜月に残された相続物だろう。

 最も、何故こんな場所に置いたのかは不明だが。置き場がなかったのだろうか。


「……俺は昔、ここに入ったことがある、のか?」


 何故か知らない懐かしさにそう、霜月は呟く。記憶にはないが、確かにそんな気がするのだ。

 揺れる電球を、この薄暗い埃の部屋を、霜月はどこかで見た気がするのだ。それも、何かの音の記憶も伴って。

 既視感の映像。記憶の底にある何かを思い出しそうで霜月は思い出せない。


 何かないかと霜月は中に踏み入る。

 当てもない。手当たり次第に己に残された物を見よう、そう思っての歩みであった。

 だが、不思議と霜月の足はとある棚の前へと真っ直ぐに進んだ。

 見回す視線は、何も置かれていない自然と吸い寄せられる。

 埃が積もりきっており、長い間そこには何もなかったのが分かる。

 だが、霜月の視線はそこを向いたまま微動だにしない。

 ゆっくりと指で埃をなぞっていると、霜月は背後に気配を感じる。


「小僧。誰ぞか知らんが、来客じゃ」

「九十九か」

 

 部屋の入り口に九十九が立っていた。 

 そして今更ながら、霜月は玄関の呼び鈴が鳴っているのに気づく。

 直ぐに行くべきだが、少しくらいならと、霜月は自分が見ていた場所を指さす。

 九十九の目が静かに細められる。

 霜月が無造作になぞったはずの跡。

 それは箱が置かれていたかの如く、綺麗な長方形を描くように埃が払われている。


「なあ、九十九。ここに何かなかったか」

「……知らんな、気のせいじゃろ。それとも何か覚えでもあるのか?」

「いや、無い。まあ、何となくそう思っただけだからな」

 

 あっさりと霜月は納得して興味を無くす。

 来客の応対に赴くべく霜月が部屋の奥から戻ろうとした時、扇で口元を隠した九十九が小さくククと笑う。


「どうしたそう坊。此処にある何ぞに憑かれでもしたか?」

「憑かれ、とは」

「何、曰く付の品という物は聞いたことがあろう? 俗にいう呪いの類じゃ」

「詳しくは無いが、ファラオの墓や徳川における村正くらいなら聞いたことはあるな」

「ふ、ふぁら? ま、まあそれじゃ。旧き品の中には謂われ次第で化外な事象を起こす物もある。小僧は呑まれ易そうじゃからな」


 九十九が部屋の中に入ってくる。

 からかい気味に笑うその様を見て、霜月は小さく溜息をつく。


「……そうだな。人に化けた扇が現れたうえ、何故かそれが毎朝布団にいることだ。ツカレているかもしれん、気を付けておこう」

「ふふ、戯言を」


 口角を上げる九十九の額に霜月はデコピンをする。

 額を抑え「あぅ……」と呻く九十九を残し、灯りを消して霜月は玄関へと向かった。







 霜月が出て行った空間に独り、九十九は残っていた。

 一度背後を振り返り、耳を澄ませ、彼の者が遠く離れた事を確認する。

 音も無く九十九は霜月が立っていた場所に歩を進める。浮かべていた笑みは顔から消え、能面の如く心の色が抜け落ちている。

 頤を反らせ九十九は眼前の棚を見上げる。小さな上背では脚立の類でも使わねば埃痕を見る事など叶わない。

 しかれど睨みつける眼光は、そこに描かれた四角の残痕が見えるかの如き様であった。


「……厭わしい」


 心底(しんてい)の澱が溢れた様に低く、淀みを秘めた声色が部屋の闇に融ける。

 踵を浮かせ九十九は手を伸ばす。霜月の指の痕を乱雑に掻き消して背を向ける。

 戸を開けたままでは隠れる部分の壁、そこに貼られていた半ば剥がれた札を九十九は乱暴に剥がす。

 札は九十九の手に触れた途端に風化し、乾いた枯草の如く色褪せる。

 グシャリと手の内で札を握り潰し、九十九は部屋を出て行った。








 玄関にいたのは顎鬚を生やした老人であった。

 聞けば祖父の趣味の友人であり、先の二人と同じく線香を上げに来たというので霜月は老人を家に上げる。

 線香を上げた老人を客間に誘い茶を出すと、彼は霜月に一つの質問をする。


「遺品、ですか」

「ああ。死んだら幾つか譲ってやると言われてたんだが、知らないかい?」

「……少々お待ちください」


 霜月は一旦部屋に戻る。目的は祖父の遺書、収集物の処遇を記した三枚目だ。

 そこに記された祖父から霜月の頼み。それは自分の友人達への収集物の譲渡に関したものだ。

 何人か譲渡を約束した相手がいるため、尋ねて来たならばその約束を果たしてほしい。来なければ霜月が貰って構わない、という内容だ。

 相手の名前と譲渡品が書かれた紙を持って霜月は客間に戻る。

 

「祖父の記載と確認したいので、名前を窺ってもよろしいでしょうか?」

「ん? おお、いいぞ」


 聞いた名前は確かに紙に記されていた。

 確認が取れた事を告げ、霜月は腰を上げる。


「少々お待ちください。探してきますので」


 祖父がした約束だ。履行するのは霜月として問題無い。

 幸いにして霜月への譲渡品と違い、こちらは大雑把にだが場所の記載がある。

 だが不幸にも、それは「物置部屋の中」といった様に大雑把すぎる物だ。

 すぐに見つかればいいが、と霜月は先ほど見つけた物置部屋に向かう。

 

(九十九はもう出たのか)


 向かう途中で姿を探すが見当たらない。あれから五分と経っていないが、物置部屋の中にも無い。

 最も、残る理由もないか。そう納得し霜月は品を探し始める。

 幸運にも数分で目当ての品は見つかった。箱に入ったそれを抱え霜月は客間に戻る。

 

「これだこれ。わざわざ悪いね」

「祖父の遺言ですので。祖父とは同好の士のソレでしょうか?」


 箱の中身を確認している老人に霜月は告げる。


「趣味仲間の一人だな。おれの方は店やってるから、アイツが来て買っていくってのが多かったな」

「らしきものを遺品整理の際も多く見ました。長い付き合いなのですか?」

「付き合い自体はまあ、長いな。十年くらい前からよく店に来てたな。最近はロクに姿見せなかったがよ。アイツは他の所とも色々付き合いあったみたいだが、おれン所が一番の得意先だったと思うぞ」

「ああ、そう言えば名刺が沢山ありましたね」


 ふと思い出し霜月が告げる。

 棚の引き出しに在った名刺。あの全てが店の物だったとして、十近くは有ることになる。

 そのまま暫し霜月と老人は話を続ける。

 祖父の事、骨董の事、遺品の事。

 時間にして十分に満たぬだろう間、気ままに話す老人に合わせ霜月は聞き役に徹する。

 ふと、老人は上着のポケットを漁る。名刺ケースをだし、そこから抜いた一枚を霜月に差し出す。


「そういや忘れてた。アイツの遺品貰ったんだろ? もし要らなけりゃ店に来てくれ」

「いえ、名刺でしたら祖父のが残って……」

「いいからいいから。あれはアイツの、これは孫の君にってんだ。店商売だからよ、配れるときに配っとけってな」


 霜月は無理やり名刺を胸ポケットにねじ込まれる。

 老人は湯のみを空にして「次の用事があるから」と腰を上げる。


「ま、売らなくてもいいけどよ。アイツのを見て興味出たら買いに来るか、それか暇潰しにでも寄ってくれ。こっちも大抵灯暇してんだ」

「知らない物ばかりでしたので、何かあれば是非伺わせていただきます」

「おう。ほんと、アイツの孫にしては礼儀正しいなぁおい」


 帰っていく祖父の友人の姿を霜月は見送る。

 老人の背が見えなくなった頃、霜月の背中に弱く衝撃が走る。

 音も気配も気づかなかったが、衝撃の背丈と柔らかさは良く知ったそれだ。


「暇じゃ。あの『ぱそこん』とやらの使い方をおしえろ、そぅ坊」


 グリグリと頭を霜月の背に押しつけながら九十九が言う。

 背骨周辺に地味な痛みを感じて霜月は九十九を引き離す。

 大学入学時に購入したノートPCが霜月の自室に置いてあるのでそれだろう。


「どこにいた九十九。ずっとパソコンを弄っていたのか?」

「何処でもよかろう。それよりずっと家に居て暇なんじゃ。構うかぱそこんを教えんか」

 

 僅かに言葉に詰まる。

 九十九が家の敷地外に出たのは霜月が連れ添った時、それも扇の姿で持ち運んだときだけ。

 霜月は一人暮らしであるという体面上、九十九の姿が見られるのは問題がある。

 変な噂が立てば近所からの視線や両親からの詰問もありうる。

 

 九十九がその足で歩き回るのは家の敷地内だけ。それも家屋の中が殆ど。

 強制こそしてないものの、結果として気を使わせる形の心苦しい話だ。

 さきの発言、九十九自身にその意思は無かったであろう。

 だがそういったわけで、九十九の発した一言が霜月の心に刺さる。

 望まれるなら叶えてやろう。そう霜月は思う。


「分かった。教えるから少し大人しくしてくれ」


 外出の件、いずれ何とかしなければ。

 いっそ気にせず連れ出して、もし見つかったらその時だけの言い訳でも作ろうか。

 

「そうかそうか。ならほれ、さっさと来ぬか」


 ゲストアカウント、パスワード、フィルター、etc.

 これからする設定を霜月は脳裏へ浮かべ、小さくため息をつく。

 思案する霜月の手を九十九の小さな手が掴む。嬉しげに手が引かれる。


 そして自然と、今日感じた疑問や違和感は脳の奥へと追いやられていった。

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付喪の憑世 七織 @Nanashiki

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