鈴鳴の昼

 昨夜は寝汗をかきそうなほど蒸し暑かったというのに、起きて目が覚めれば昼前。

 初夏の入口。二階の自室で、霜月は二日連続で寝汗の気怠さを感じながらいつもより遅くに目を覚ました。

 既に今日は骨上げや還骨法要まで終えた翌日。色々と準備もあり霜月は自宅へと戻っていた。


 涼しく、澄んだ空気が感じられる時間から暖かさを感じ始める時間。夜とは大違いだ。

 もっとも、寝汗をかいた理由は熱帯夜だけではない。霜月は椅子に座り、ベッドに腰掛けている相手を見る。


「ふむ、柔っこくていいのう。これは初めでじゃ。おお、沈む沈む」


 相手――扇子の付喪神である少女は霜月のベッドの仰向けに倒れ、そのまま右へ左へと寝返りを打つ。

 その様子を眺めながら霜月は先日の事を思い出す。


 祖父の飲み友達であり、あの夜に現れた少女はあの後霜月と共に眠った。流石に同じ布団はどうなのだと押し問答をしたが、あまり騒ぐわけにもいかず、また疲れていたこともあった。ベッドの中に入ってきた少女が「ならばこれならよかろう?」と扇子の姿に戻った事で話は終わりとなった。

 目の前で変わられ「ああ、本当にそうなのか」と驚いたこともある。霜月はそのまま眠ってしまい、朝目が覚めたら腕の中には眠る少女の姿があった。


 胸元に扇子を差し込み、大仰な着物姿のまま。規則正しい寝息に小さく上下に揺れる胸元。

 鼻の下で香る僅かに甘く、懐かしさを覚える匂い。霜月が視線をおろしたすぐそば、閉じた瞳と長い睫毛が印象的だった。


 きっと、霜月が寝た後すぐにでも戻ったのだろう。近くの体温が伝わり、いつもより暖かい眠り。

 安心感でもあったのか眠りは深く、起きたら霜月は僅かに寝汗をかいていた。

 霜月の驚きを感じたように少女は身じろぎし、小さなあくびと共に目を覚ましたのだ。眠そうな目で霜月を見て「うむ。おはよう、主様や」と。

 その姿を誰にも見つからなかったのは運が良かったというより他ない。

 

 送別式や火葬があった昨日、彼女は他の親族の前に姿を現さなかった。

 それ故に彼女からの頼みを受け、霜月は常に懐に扇を入れて残りの葬儀に臨んだのだ。

 そうして昨夜のうちに霜月は自宅に帰り自分のベッドに入った。

 そして今日の昼、目覚めると昨日同様に少女が同衾しており今に至る。


「ベッドでは寝たことがなかったのか?」

「うむ。布団か、もしくは蔵や棚の中が普通じゃったぞ。あのバカの家には布団しかなかったしの。なかなかいいものだのう。ほほ、お主の匂いが染み付いておる」

「複雑な気分になるから止めてくれないか」

「気にするでない。悪くはない。まあ、ベッドもいいがやはり儂としては布団の方がいいのう」


 そういいつつゴロゴロする少女の姿に、霜月は嘆息する。もはや朝のことで色々と吹っ切れている。どうしたものか、それを考える。

 少女が動くごとに着物が僅かにズレ、足や胸元などがはだける。無駄な肉がついておらずしなやかな曲線を描いた足と覗く鎖骨。

 ふと、その胸元に見える扇子を見て霜月は口を開く。


「なあ、君はその扇子の――」

「違う。扇子ではなく、正しくは扇じゃ」


 起き上がった少女が霜月を見つめる。肩と鎖骨がはだけた着物を意にも介さず、少女は扇子を抜き、それを開く。

 何度となく見たあの祖父の扇子。幾重にも塗られた漆の外骨、要とそれを支える木釘。組まれた骨組みに貼られる和紙には情緒ある景色に金粉がまぶされ厳かな佇まい。


 保存を気にかければ優に千年以上和紙は保つ。色あせながらも受け継がれた絵が描かれたそれは、土産物などで売っている物より大きく無骨だ。

 小さな頃、その重さと触れた硬さに霜月は驚いた覚えがある。


「今は扇ぐ物が扇子、儀礼に使う物が扇と言われているが、元来は同じものじゃ。元来『あふぎ』として扇ぐ為の物じゃった。それが時代の移り変わりに伴い儀礼用にも使われ、更に時代が経つと扇ぐ為に使われぬようになり意味合いが逆転した。扇子、というのもその頃から言われるようになったのう」

「なるほど。つまり、君は扇子ではなく扇なのか」

「うむ。意味としては余り変わらぬが、そちらの方が正しい。儂は随分古くからあるからの。じゃから、こんな大きさでもある」


 ほれ、と扇子を少女が霜月に放る。慌ててそれを落とさぬよう受け取る。ずっしりとした重さが霜月の手にかかる。軽量化とコンパクトさを求める今の世では考えられぬその重さと無骨さが、改めてその歴史を伝えてくる。


「もっとも、今を考えるなら扇子と言うのが適しているのも事実。主様が望むなら、そう呼んでくれても構わぬぞ」

「確かにそっちの方が楽かもしれない。ずっと扇子だと思って来たからな。まあ、扇が正しいって覚えおくとしよう」


 小さな頃からの思い込みはそう簡単には変えられない。霜月としても、そう容易く扇だと認識を改めにくい。しかも、差が余りないというのだから尚更。

 扇子……改、扇を開いたり閉じたりする霜月を見て、少女は自らの身を抱きしめる。はだけた肌をそのままに、流し目で霜月を見て妖艶にクスクス笑う。


「主様や、それは私の体ぞ。よくもまあ、そう開けたり閉じたりなぞ……好き者よのう」

「な……っ!?」

「ふふ、冗談じゃよ。気にするでない」


 慌てた霜月を誂う様に少女は肩を震わせまた笑う。

 霜月は扇を見つめ、何ともなくバツが悪くなりピシャリと閉じる。


「そんな主様にもう一つ教えてしんぜようかの。お主様や、私が何だか覚えておるかや?」

「何って、これの付喪神なのだろう?」


 霜月は宙に文字を指で描く。

 それを見つめ、少女は小さく頷く。


「合っているのじゃが、それもまた少し違う。正しくは『九十九神』じゃ」


 少女の指が九十九、と宙に文字を描く。


「主様が言うた『付喪』は当て字じゃ。元々は『九十九』。これは字から見てわかるように長い年月を表しておる。人工物に限らず長い年月を経たものに魂が宿ったものを九十九神という」

「なら、そこらの石ころでも有り得るのか」

「可能性はある。だが儂のように人型は人に関わり使われた道具が多い。それに人に使われた方が早く九十九神になりやすい」


 霜月の記憶にある付喪神のイメージは昔読んだ本の物だ。

 倉庫の奥にしまわれた、昔使われた道具たち。それが夜になって動き出し、人に見つからぬよう騒ぐ。

 だから元が人に使われた道具から変わる、というのは霜月としては理解が及びやすい。


「当て字というたがまあ、これもまた今の時代では大して変わらん。『喪』に『付く』という意味では、これもまた正しいと言えよう。字というのはそのモノの魂を表すからのう。こちらの方が魂の実体化である我らの本質を表しているとも言える」

「……つまりあれだ、纏めると、君は扇子の付喪神でなく、扇の九十九神だと」

「うむ!! だが、好きな方で呼ぶといい。あくまで儂は道具。在り方は持ち主に従うからの」

「考えとくよ」


 満足げに大きく頷いた少女は、けれど直ぐに寂しそうに眉を八の字に顰める。


「しかしあれじゃ。その、『君』という呼び方は寂しいのう。名前を呼んでくれぬのか……」

「いや、名前って言われてもな」


 そもそも霜月はこの扇についてそこまで詳しいことは知らない。名前があるのかすら聞いていない。仮にあるとすれば少女が知っているはずだが、


「儂を作った者の名(めい)なら分かるが、儂自身の名は色々とのぅ。造りや木組み、絵の名ならある。それに儂は……ま、まあ、それはちと違う気がするのじゃ! 出来れば付けて欲しいのう」


 目を逸らし、少しはっきりとしないが、言われれば確かにそうだと霜月は思う。

 物は違うが日本刀は鍛冶の名と代目、場所の名が付けられる。屏風などならば固有の名もあるが、扇となれば恐らく別なのだろう。

 少し考え、少女に聞く。


「そう言えば、爺ちゃんは何て呼んでたんだ?」

「あやつか? あやつはの、扇子だからと『扇(せん)』と呼んでおったわ」

「ああ、そんな感じでいいのか。同じではダメなのだろうか?」

「別に構わん。だが、先ほど言ったように字というのは魂を表す。同様に名も同じ。折角なら、新たな魂を得て浮世を楽しみたいじゃろ?」


 そんなものかと霜月は納得する。納得し、暫し考える。そして少女に告げる。


「なら、『九十九(つくも)』でどうだ。おい、そんな呆れ顔をするな」

「……あやつの孫じゃの、お主。まあ、良い。ありがたくその魂を貰わせて頂くかの。儂は今日から『九十九』じゃ」


 言葉とは裏腹に嬉しそうに九十九は笑みを浮かべる。

 その笑みを見ながら霜月は現状に納得している自分に呆れる。既にこの事態を受け入れているのだ。

 本来ならば知らぬ少女を受け入れることなどありえない。仮に親戚だとしても、また他の縁者にでも頼んだだろう。


 だが目の前の少女が亡き祖父の友人であり、かつて欲し、約束した形見である現実。霜月の心はそうあるべきだとでもいうべく、自然と受け入れていた。

 大事にする、あの約束は不可侵として自分の心に刻まれている。


 窓から差し込む日が目に眩しい。扇を九十九へ返すべく霜月は椅子から立ち上がり近づく。はだけた着物が目にあまり、注意する。


「着物、直しておいてくれ」

「おお、これはこれは……やはり好き者じゃのう」


 ほれ、どうじゃ? と悪戯な顔で九十九は更にはだけさせる。

 呆れた霜月は扇で九十九の頭を叩く。痛みに頭を抑え涙目になった九十九に扇を返し、軽く伸びをする。


「下に行こう。色々と用意しないと」

「酷いのじゃ……」


 先に部屋を出た霜月を、着付け直した九十九が追って一階に降りる。

 大学は長期休暇期間。これといって用はないが、引越しのための荷造りを霜月はしないといけない。


「お腹が減ったのう。何か食べぬか?」

「空腹を感じるのか? そういうイメージはないのだが」

「物に戻っているときは大丈夫なのだが、人形(ひとかた)になっておるとの」


 よく理解はできないが、そういうものなのだと霜月は納得する。霜月自身空腹を感じていたので軽く食事を用意する。

 冷蔵庫を開け適当な冷凍食品を解凍。ベーコンを焼き、その上から溶き卵を落としスクランブルエッグに。味噌汁はインスタント。炊いておいた米を茶碗によそり、漬物と品々をテーブルに乗せる。


「手抜きさを感じるの」

「冷蔵庫の中身を使い切らなければいけない。そこまで得意なわけでもないし、そう言うな。何なら九十九が作るか?」

「……そういったことは苦手じゃ」


 そっぽを向く九十九に呆れつつ霜月たちは食事を始める。


「使い切ると言っておったが、何か予定でもあるのかの?」

「荷造りだ。爺ちゃんの家に引っ越さないとだからな」


 九十九の目が輝く。もぐもぐと口を動かしながら必死で咀嚼していく。それを微笑ましいとみる霜月の前、飲み込んだ九十九が口を開く。


「あやつの家に戻るのか!」

「大学に通うためにな。他の家族は仕事の都合で少し離れた場所に行ったよ」

「だいがく、かのう。よくわからぬが、それはいいのじゃ!!」


 今まで住んできた家、というのが嬉しいのだろう。九十九は嬉しそうだ。その気持ちは霜月にもわかる。この家から離れなければいけない事を思うと、ひどく寂しい気持ちに見舞われるからだ。

 よくある、一時的にアパートでも借りるというのとは話が違う。

 帰省すれば実家がある、というのではない。だから、霜月は九十九のその気持ちを大事にしてやりたい。


 霜月として救いがあるとすれば、移り住む先が小さな頃から何度も行った祖父の家だということ。両親が忙しい時、預けられたこともあった。

 ある意味、第二の家とも言えるだろう。


 食事を終え、簡単に荷物を整理する。最も、大抵の大きなものは既に業者に頼んである。纏めるのは私物がほとんど。引越し当日には親も来る予定だが、それまでは一人だ。


「二階に行くか……どうした九十九、手を広げて」

「連れて行って欲しいのじゃ。抱えてくれぬか」


 聞けば、着物では階段は使いづらいとのこと。小さな体ともなればそれは尚更。さきほど降りた際も、手すりに捕まって戦々恐々としていたらしい。


「元の姿に戻ればいいんじゃないのか? それか下にいれば」

「連れないことを言うでない。ほれほれ、はよう」


 仕方がない、と霜月はため息一つ。着物では背中に乗せづらいだろう。しゃがみ、九十九の膝の裏と背中に手を支えにいれ、そのまま持ち上げる。

 いわゆるお姫様抱っこだ。着物と容姿もあいまり、名前負けは決してしていないだろう。


「思ったより軽いな」

「そうであろうそうであろう。さ、早く登るのじゃ」


 安定のために九十九の腕が霜月の首に回される。近づいた九十九の香りが、霜月に伝わる。

 記憶の中にしかない酷く懐かしい哀愁の匂いと、秘められたほのかな甘さ。

 心がくすぐられるのに、ストンと落ちて酷く落ち着く。ずっと嗅いでいたいとさえ思える香り。


 動かないのが気に障ったのだろう、扇でペチペチと叩かれ、霜月は気を取り直す。腕の中の重さを感じながら階段を上る。

 二階には霜月の私室と、妹の私室もある。他にも小さな物置など。

 二階に上がり九十九を下ろすと、好きに動き出す。降りるときはまた、抱えなければならないのだろうか。

 あまり好き勝手しないように。そう伝え、霜月は自分の部屋に向かった。




 色々と繰り上がり、引越しは明日。あの家を開けていたくないと願った霜月の意思。

 風鈴の音が、どこからか響いた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る