第13話 おじいさんの初恋
春香は、今日も図書館に来ていた。
子どもたちが少なくなってきた気がする……。みんな夏休みの宿題を大慌てでやっているのかな。それとも、夏休み最後の思い出作りをしに家族で旅行に行っているのかな。
春香は、数冊手に取ってからテーブルへと向かった。
「おじいさん、こんにちは」
春香がご老人と会うのは、これで5回目だ。はじめて会った日から、いつも同じ場所に座っている。司書さんの様子から、毎日、図書館に来ているようだ。机の上には6冊積まれている。
「お嬢さん、こんにちは」
ご老人は、椅子に手のひらを向けて春香に座るように勧めた。ご老人の特等席は春香の特等席にもなっていた。春香が椅子に座ると、ご老人がこう言った。
「おじいさんと呼ばれるよりも、佐々木と呼んでくれた方が嬉しいな。よかったら、お嬢さんの名前も教えてもらえるかい?」
佐々木は優しげに微笑んだ。私も、お嬢さんより名前で呼んでもらえる方がいいな。あまり話したことはなくてもクラスの子に島崎さんって呼ばれると、なんだか悲しくなってしまう。
「佐々木さん、島崎春香です。これからもよろしくお願いします」
春香は軽くお辞儀をした。
「よろしく。春香くんと呼ばせてもらってもいいかな?」
「どうぞ」
少しだけ話をして、二人は本を読む。場が図書館というのもあって、あまり話すことはないけれど、心の距離は話した時間の長さよりも縮まっている気がする。数えられるほどしか会っていないのに、私のおじいちゃんみたいな方だなって思ってしまう。そう思っていたから、聞いてしてしまったのかもしれない。
春香は小さく佐々木さんと言った後に、こう続けた。
「奥さんを好きになったきっかけは何でしたか?」
佐々木は驚いた顔をしたあとに、少し長くなるから外で話そうかと言った。
中庭には、桜、紫陽花、金木犀、山茶花等々、多種多様な植物が植えられていた。中庭に出たことはなかったけれど、たしか四季が楽しめる図書館で地元の記事に載っていたことを春香は思い出した。そんなことを思い出している場合ではない。いきなりあんなことを聞いてしまうなんて、私はバカだ。
佐々木が、そこに座って話そうかとベンチを指した。
「妻を好きになったきっかけだったかな」
「いきなり、すみません」
春香は深々と頭を下げた。
「なぜ謝るんだい? 頭をあげておくれ。私が困ってしまう」
あわてて頭をあげると、佐々木はふふっと笑った。
「私のようなおじさんの話を聞いても面白くはないと思うけれど、せっかく聞いてくれたことだ。話すとしようか」
あれはもう40年以上前のことになるかな。私が高校生だった頃、誰にも話さずにこっそりと続けていたことがあったんだ。何をしていたかって? それだけは言えないな。怪しいことではないよ。その秘密にしていたことがバレてしまいそうな物を学校の何処かに落としてしまったみたいでね。それはもう、大慌てで探したよ。廊下で探していたら、それを持った女の子に会ってね。ああ、バレてしまったか、と。恥ずかしくて、顔が熱くなっていくのが分かった。それ、俺のなんだ。返してくれるかいって恐る恐る言ったら、その子がこう言ったんだ。あっ、ごめんなさい。名前がどこかに書いてないかなって勝手に見てしまったわ。でも、あなたすごいわね。また見せてもらってもいいかしらって。その一言で、私は恋に落ちてしまった。初恋だった。秘密にしていたのだから当たり前なんだけれど、それまで褒められたことなんてなかったからね。それからは、どうやって仲良くなろうかと必死だったよ。その女の子が妻だ。
春香は頷きながら静かに聞いていた。
話し終えると、佐々木はハハっと笑いながら頭を掻いた。
「素敵な出会いですね」
「いやー、あの時よりも恥ずかしいな」
「今でも、秘密にしていたことは続けているのですか?」
「応援してくれた妻のおかげでね」
春香が いいな と思っていると、佐々木が言った。
「高校生の時が一番楽しいからね。春香くんも、後悔しないように青春を楽しんでおきなさい」
二人の間に、生暖かい風か吹いた。
たまには早く帰るとするか。春香くん、またね。そう言ってベンチを立つと、佐々木は後ろをむいたまま手を振って、さっさと去ってしまった。
夕日のせいか、佐々木さんの耳が赤くなっているように見えた。
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