第11話
決意してから、はやいもので一週間が過ぎていた。
パソコンのキーボードに置かれた春香の手は止まっていた。うーんと首を傾げている。モヤモヤ、モヤモヤ。外は晴れているが、春香の頭の中の天気は曇り空だ。
そうだ、図書館に行こう。気分転換も必要だよね。帽子、リンゴ柄のトートバッグ、貸出カードと100円、自転車のカギを持って階段を降りる。
「お母さん。ちょっと図書館に行ってくるね」
春香は台所で食器を洗っていた母に声をかけた。
「ちょっと待ちなさい」
母は、水分補給は大事よと春香に水筒を渡してきた。振るとカランコロンと涼しげな音がする。
「ありがとう。いってきます」
「いってらっしゃい」
外に出ると、夏特有の強い日差しが春香を襲ってきた。あっ、日焼け止め塗るの忘れてた。まあ、いっか。オレンジ色の自転車にまたがって坂道を下る。吹き抜ける風が生温い。誰かさんの家の花壇に朝顔が咲いているのが見える。青、紫、ピンクなどカラフルな朝顔たちは暑い夏に負けずに元気に咲いている。冬生まれの春香にとって夏の暑さは苦手だ。あつーい、とけてしまいそう! なんて言わないで、君たちを見習わないとね。えっ、冬生まれなのにどうして春なんだって? 知らないよ、お母さんに聞いてください。一人でツッコミを入れているうちに目的地に着いた。
クーラーのきいた館内は快適で、汗が引いていく。うーん、本の香りがする。春香はこの香りが好きだ。ほこりっぽくて苦手っていう人もいるけれど、落ち着くんだよね。緑茶でのどを潤してからロッカーに100円玉を入れて鞄を預ける。
二週間ぶりの図書館は、子どもたちでにぎわっていた。いつもは大人の方が多いから、夏休みだなーって実感する。
春香は館内をしばらくうろつき、一人のご老人に目を止めた。丸メガネがよく似合う。グレーの髪が窓からの光を受けてきらめいている。机にはたくさんの本を積んで忙しそうにノートに万年筆を滑らしている。なんだか熱心なおじいさんだな。春香はしばらく本棚に隠れて様子を見ていたが、司書がそばを通ったことを機に慌てて動く。ジロジロと見ていたら怪しまれてしまう。
何冊か手に取った後、席を探すがなかなか見つからない。さすが夏休みだ。ほとんど埋まっている。空いているのはおじいさんの前だけだ。みんな、おじいさんの熱心さに気が引けたのかな。今日は家で読もうと考えていたら、おじいさんがこっちをむいて手招きをしていた。座ろうか迷っていると思って呼んでくれたのかな。ここはおじいさんの厚意に甘えよう。
軽くお辞儀をしてから椅子に座る。大きな窓からの日差しが強い。おじいさん、眩しくないのかな。ブラインド下げたらいいのに。でも、話しかけたら悪いかな。春香は話しかけるのはやめにして小説を読み始めた。
しばらく経ってから何やら視線を感じる。恐る恐るおじいさんを見てみると、春香が机に置いた植物図鑑を見つめていた。小説に使えるかなと思って持って来たものだ。
「あの、よかったらどうぞ」
あまりにも真剣に見ているので声をかけてしまった。
「あぁ、これは失礼。気になってつい見てしまった」
ご老人は頭を掻きながら微笑んだ。
「植物がお好きなのですか?」
春香は植物図鑑を差し出す。
「いやー、ちょっとね。妻がガーデニングをしているから気になったのかもしれないね」
すまないねとご老人は図鑑を受け取る。
「まぶしくないですか? よかったら、ブラインド下げましょうか」
「おぉ、ブラインドがあったなんて気づかなかったよ。お願いするね」
気づかないほど集中していたのだろうか。春香はブラインドを下げた。 再び二人はそれぞれの本の世界へと旅に出る。
「ゆうやーけこやけーのあかとーんぼー」のメロディが流れている。図書館に来てから3時間が経過していた。春香はそろそろ帰ろうと席を立つ。ご老人も腕時計を一瞥したあと、立ち上がった。
「あまりおそくなると妻が怒るんでね」
そう言いながら笑顔を浮かべている。あっ、また頭を掻いた。お父さんと同じで照れているのかな。
その優しい笑顔に、奥さん愛されてるなと思い、春香は見たこともない奥さんが少し羨ましくなった。
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