■ 32 あたしバカよね
夢を見ているのだと思う。
あるじ様がとても優しくて、笑顔をあたしに向けてくる。変なものでどうしても反射的に警戒してしまうあたしはすでに調教済みってことなのかしら。
それでも笑顔の方がいいよね。
泣いているより痛がっているより苦しくて辛いより、笑っていられるって素晴らしいと思う。
あたしはあるじ様と手を繋いで学校に向かう。あるじ様の白い手とあたしの褐色の手が重なってとても暖かい。
「さあ学校にいきましょう」
「はい」
それは幸せな夢。
『シャランラ!』
どこかから聞こえる声。なぜあたしを呼ぶのだろう。あたしはこれからあるじ様と学校に行かなければいけないのに。
『シャランラ、シャランラ!』
声はますます大きくなる。耳を塞ごうかと思ったけど右手はあるじ様の左手の中だ。
その手がふっと軽くなった。
「シャランラさん。行ってください」
あるじ様はそう言って手を振った。いや、あっちには行きたくない。あるじ様と学校に行く!
「あまりわがままを言うと胸が大きくなりませんよ」
結局胸か、あるじ様は胸が全てなのか!
「ぼくは待っていますよ」
そして微笑む顔、小さくなる姿。あたしはあたしを呼びかけ続ける声に引っ張られて……
「シャランラ!」
懐かしい響きにあたしは両目を開いた。
飛び込んできたのはお父さんの顔。
え? お父さん? ここどこ?
身体を起こすとあちこち痛い。でもしっかりと動かせるし視界も変わる。
どこかの病室だろうか、何となく懐かしい感じの文字が並んだ機械。その持つ形状とか雰囲気がとてもしっくりしていて、いつの間にかどこかなじめ無さを感じている。
「ここ……どこ?」
「カンデーラの魔法アカデミー、重傷者病棟だよ。まだ動いてはいけない」
あたしのそばに立つお父さんが説明してくれた。お父さん以外にもお医者様らしい魔人も数名居る。みんな身体を起こしたあたしをじっと見ている。
「カンデーラ? どうしてここにあたしが居るの」
「マハリタによってこちらの世界に送られたのだ。そしてこちらに緊急搬送し魔法石段によって治癒された」
「待って、まだあたしはあるじ様のお願いを一つも聞いてないのよ。カンデーラには戻れないはず」
「例外事項が起きたのだ。そのためおまえの召喚主との主従契約が解除された」
「主従関係の……解除?」
「召喚主が願いを恒久的に要求できない条件になった」
あたしは息を飲む。お父さんの言葉は明確にあたしの頭にしみこんだ。
あるじ様が……死んだ。
「信じられない、死ぬんだったらあたしよ、あたしは精霊力がうまく制御できなくて暴発して」
「そう、あの時点でおまえを救う手立てはあちらの世界に無い。唯一カンデーラに戻りここで精霊力を分散調整しなければならない。そのためにおまえのあるじは自らの命をおまえに注ぎ込む願いをマハリタに託した。魔神はそれを了承し実行した」
あたしは胸の前で手のひらを重ねた。あたしの中にあるじ様の命が宿っている。
あたしを助けたと言うの、それで満足で笑っていると言うの、いつでも勝手なことばかりして、あたしのことなんてちっとも考えないで!
『待っていますよ』
「待ってなさいよ!」
あたしはベットから起きて虚空をにらむ。この命を届けるために。
「何をするシャランラ」
「あるじ様のところに戻ります」
「ランプによる転移魔法は使用できないぞ。あれ無しでは郁恵にも仕掛けられた障壁を自らが破壊して進まなければならない」
「なら、そうするまで」
お父さんはあたしの肩を掴む。そして身体ごと振り向かせた。
「シャランラ、良く聞きなさい。これからおまえがあの世界に戻り魔法を行使すると言うことは、おまえの魔法だけで全てを行わなければならない。願望実現班は手助けできないのだ」
「判っているわ、それが何だって言うの!」
あたしはお父さんの手を払った。
「あたしはね、まだ一つもお願い聞いてないのよ。そのくせマハリタに最初にお願いするってどういうことよ、その目を覚まさして散々文句を言わないと気が済まないわ!」
あれほど魔法は信じませんって言っておきながら、どういう顔してお願いなんかできるの。順番が違うでしょう。
「……そうか、なら行きなさい。おまえの思うようにやりなさい。後始末はわたしがつけよう」
「お父さん」
「それとこれは父親としての餞別だ。持って行きなさい」
お父さんは右の手のひらをあたしの額に当てる。そしてそこに力がこもると。
とてもキレイな精霊力がどんどんあたしの中に入ってくる。何となくこれ覚えている。あたしとお父さんが出逢ったとき。
「あのときはおまえから貰うばかりだったな。これは本の少しだが返すのだ。受け取るがいい一三番目の魔神、テクニカの常人五〇〇人分の精霊力と禁断の魔術式を」
「魔神? お父さんが?」
「行けシャランラ、おまえの役目を果たしてこい。そして父親として願う、おまえのあるじを救ってくれ!」
「うん! シャルルリラー! あるじ様のところにあたしを導け!」
即座にあたしの跳躍魔法が展開した。目指すはあるじ様のところ。
目の前が暗くなり、一直線に進むトンネルが見える。あたしはその中を駆けた。
【魔人シャランラに警告。承認許可の無い別世界への転移は禁じられている。すみやかに進行を停止せよ!】
やなこった。あたしは急いでいるのよ!
【転移ルートに防壁障壁生成、シャランラの暴走を許すな!】
うるさい!
目の前の通路に次々とふさがる障壁、そんなものであたしの勢いを止められると思っているの!
あたしは進む、目の前の壁をぶちこわしながら進む、あたしの勢いと後押ししてくれるお父さんの力。それこそ精霊粒子の速さとなって全ての壁を突破する。
あたしの服がぼろぼろになる、スカートがちぎれて靴下もダメになる。せっかくあるじ様に買って貰ったのにこんなにするなんて許せなくてそれが力となって最後の一枚が目の前に迫った。
あたしを止められるものは居ない、あたしには大好きなお父さんの、魔神の力が注ぎ込まれているのだから!
あるじ様があたしを引っ張るんだから!
だから最後の一枚を突破するときにこう叫んだ。
「シャランラー!」
「シャランラさん!」
そばにマハリタ、横たわっているあるじ様。
「ご主人様はまだ完全に事切れていませんわ」
やつれたマハリタがそういう。
「ご主人様の願いは一つ、シャランラさんにご自分の命をぎりぎりまで注ぐこと。召喚システムがご主人様に願望を要求できないと判断するレベルまで仮死状態に落ち込ませること、それであなたはカンデーラに戻れた」
判ってる。いまあたしの中にあるじ様の命がある、感じることができる。
「少しお時間がかかり過ぎでしてよ。わたくしの肉体活性魔法でご主人様の残り火を結合していますがそれも限界。わたくしの精霊力はもう使えませんわ」
「判ってる、残りはあたしの仕事よ!」
あたしはあるじ様の身体に馬乗りになる。そして心臓の真上に両手を添える。
全く動いていない心臓。それでもほんの小さな命が見える。
これからあたしが行うのは通常魔神が数人がかりで行う最高難易度の魔法、あたしの中のあなたの命を元に戻す。
「シャルルリラー! あたしの中のあるじ様の命よ、元のすみかに戻れ!」
気合いを込めて魔法式展開、自らのレベルを超えた術に頭の中に警報が鳴り響く。
【警告:魔人シャランラの行使する魔法は魔人レベルを逸脱するものである。別世界での魔法使用条例に違反する】
知ったことでは無いわ。
【精霊量増大、肉体にかかる負担増大、魔法制御を直ちに停止せよ!】
判っているわよそんなこと!
【これ以上の魔法行使は重大な違反行為となる。ただちに停止しなければ学会に重要違法行為として通達する】
やりたければやれば。
【緊急! カンデーラ外務省より緊急通達、直ちに魔人シャランラの魔法行使を中止させよ】
止められるものなら止めてみなさい!
「起きてあるじ様!」
あたしは叫んだ、あたしの中のお父さんの精霊力を絞り出して叫んだ。
「どうしていつもいつもあたしをいじめるんですか、もう少しあたしに優しくしてくれてもいいじゃないですか、あたしの命を助けてドヤ顔で死んでくつもりですか、そんなのあたしは許しません!」
膨大な魔法式と集中力、魔神の力とお父さんの精霊力がぐんぐんと減っていく。
あたしの鼓動も激しくなる。手の甲に腕に額に血管が浮かびだして破裂するように脈動する。
まるで湯船のお湯をひっくり返すように精霊力を流す、この鈍い心臓が動き出すまで!
でも、このままでは精霊力が足りない……
「パパラパー!」
視界の隅っこに白煙、そして大男の影。
「係長さん!」
「シャランラ、外務省の通達によりおまえの違法魔法行使を止めに来た」
そうか……それこそ中間管理職、しかたないよね。
でもあたしは従わない。絶対に!
係長が動く、あたしに手を伸ばす、額に触れる。あたしは瞳を閉じた。
……しかしいつまでたっても昏倒しない。それどころか、精霊力が流れ込んでくる。
「田中様はわたしにとって優良な顧客でね。毎度出してくれるお茶とお菓子と話は楽しみにしているのだ」
「係長」
「係長さん、こんなことをしては始末書ですみませんわよ」
「始末書を書いてこそ中間管理職。上司の嫌みが怖くて係長が務まるものか」
係長とマハリタの笑顔が見える。そのあとハゲ頭はあたしを見た。
「この力は魔神テクニカより預かった。シャランラほどの許容量は無いが、それでも常任二〇人分、全て受け取れ!」
「はい!」
聞いてるあるじ様。あなたの復活はみんな望んでいるんだよ!
誰が言ったのあなたがこの世に必要無い存在だなんて。係長だってマハリタだってきっと華子さんだって平山さんだって上月さんだって一条サンだって天晴書店の店主さんだって、もう居ないけど沙羅さんだって。
なによりあたしが必要としているんだよ!
「まだ一つも願いを聞いてないのにマハリタだけクル五を与えるなんてどういうこと! あたしなんかいっつも圏外じゃん!」
全ての精霊力、すべてのあるじ様の命を与えた。だから動け心臓、答えてよ!
「そんなに胸が、胸が大事かぁー!」
「……ぼくは」
小さな声。ゆっくりと開いたまぶたの中に黒い瞳。
あたしはあるじ様に馬乗りになったままぼろぼろと泣いていた。瞬きも忘れて水滴を、あるじ様の鼓動感じる自分の手の甲に落としていた。
実感する。やはり魔人の七割は水で出来ている。その中の五割は涙に違いない。
あるじ様はゆっくりとした動作でハンカチを取り出すとあたしの頬まで延ばしてそれをぬぐう。それでも次々と涙は溢れる。
「別に胸はどうでも良いのですよ。ただシャランラさんの反応がおもしろかっただけですから」
「だったらそう言えばいいじゃないですか」
「……それは恥ずかしいですね」
そしてはにかむ。
「どうやらあなたも助かったようですね」
「あるじ様、無茶しすぎ」
「良く言われます。でもぼくはようやく焼くに建てた。本当に良かった」
気がつけばあるじ様の目に涙が浮かんでいる。
あたしバカだ。
目の前であるじ様が泣いているのにそれをぬぐうハンカチ持ってない。
あたしが涙ぐむたびにあるじ様はそっとハンカチを差し出してくれたのに、いまそのお返しができるチャンスなのにハンカチ持ってない。
あたしホントにバカだ。
だからあるじ様の涙はあたしの服でぬぐうんだ。
あるじ様の身体を引き寄せて顔をあたしの胸に着けた。黒い髪とつむじが見える。
とても暖かい身体、生きている証明。
どうしてあたしの胸はあるじ様を優しく迎えるだけの大きさが無いんだろう。
あたし……バカだ。
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