■ 31 願いは一つ
数日後、沙羅はとても軽くなってぼくの手の中にある。
空っぽになった病室のベット。残されたのは小さなクマのぬいぐるみと数冊のおとぎ話。
その中でも沙羅がお気に入りだった「百万回生きたねこ」を開いてみた。もう何百回繰り返し読まれているのだろう、戸口はすっかり汚れている。ぼくはゆっくりとページをめくり奥付にそれを見つけた。
手もろくに動かなかったのだろう。とても下手くそな字で。
『ゆめをみたの。あたしはとってもげんきになってひやけしていて、いじわるなおにいちゃんとこうこうにてをつないでいくの。きっとかなうよね。だからまっていてね』
「……待っている」
そのとき水滴が落ちた。ぼくはようやく涙を流していた。
ぼくの作った薬は別の患者で効果が確認されたという。これでまた一つ医学は病を克服したのだと言う。
ぼくはそれをどこか虚ろな表情のまま聞いていた。
結局ぼくの力は沙羅を救うことができなかった。ぼくは何の焼くにも建てなかった。
何が天才だ。何が科学万能だ。
もし科学が万能ならいますぐに沙羅を、元気な沙羅をぼくの前に連れてこい。
ぼくはSIファクトリーの運営を祖父に任せ、自室にこもっていた。
ただ、沙羅との約束は守らなければいけない。
「あの……いま何とおっしゃったのですか」
「ぼくとぼくのSIファクトリーはこの私立峰京高校に無利息で資金援助を行います。立て直しに必要な金額を教えて下さい」
峰京高校を運営している学校法人との打ち合わせの席、最初あざけりの表情を浮かべていた彼らはぼくとぼくの代理人の言葉と、会社の資金フローを見て愕然としていた。
改めて調べて見ると峰京高校は学校法人として破産寸前だった。生徒数が減少し優秀な教師を雇うこともできずその惨状を解決しようと小田原評定が繰り返されるだけになっていた。
問題はとても単純。資金が圧倒的に足りない。無い袖は振れない。
ならばぼくが通う三年間だけでも保つ資金を入れてやればいい。
ぼくの作り出した薬、有機物質の反応加速実験装置、携帯電話のアプリ向け統括サーバーシステム、それにIT関係を初めとする株の運用資金。
祖父がまとめたぼくの資産はまさしく天文学的な数字となっていた。来年の税金対策を考えなければそれなりに国庫が潤う額になるだろう。
特許やライセンス収入は来年以降も確実に資産を作り出すはずだ。こんな学校なら新たに一〇〇校でも作り出せるだろう。
代理人の話に目を丸くしていた学校関係者は、ぼくをどういう目で見ていたのだろう。
打ち合わせの最後、ぼくはこう言った。
「ただ、条件があります。ぼくがこの高校の生徒として通えること、ただし授業を受けても受け答えはしませんしイベントにも参加しません。その特別待遇を許して頂ければこのお話を進めましょう」
相手にその条件を飲まない選択肢は無かった。
一年後、峰京高校は潤沢な資金を元に建て治っていた。
掘っ立て小屋と揶揄されていた校舎も体育館も各種運動設備も一新された。教員も質の高い優秀な人材をスカウトした。細かいところでは生徒が利用する食堂も国内では有数の味と低価格にしあがっている。
まだまだ生徒の数は増えないだろうけど、ぼくが通うには問題無かった。
ただそのまま高校一年生としてぼくはこの高校に通えなくなった。
祖父が倒れた。それなりの年齢の上にSIファクトリーを初めとしてかなり無理させてしまったのだ。
「おまえのせいでは無いよ、一郎。もうわたしも歳なのだ」
病床で祖父はそう言ってほほえんだ。病名は膵臓ガン。発見したときには手遅れだった。
「わたしの事業と遺産はおまえが引き継ぐがいい。わたしの代理人にも伝えてある。おまえも逢ったことがあるだろう一条という男だ。遠慮も愛想も無い男だが実直であり、おまえが年下であろうとも事業家としてのおまえをきちんと見てくれる」
「知ってるよ、おじいちゃん。でもぼくにはもう何かをしようという気力も無いんだ」
「それでもあの高校を建て直したではないか」
「あれは沙羅との約束だから」
「そうか……もし沙羅との約束を果たすのであればあのアパートに住むがいい。おまえに特別な遺産を一つだけ残してある」
「アパート? あのグレートハイツスズキとか言う変な名前の」
「そこの二号室に新たな可能性が待っているだろう」
そして祖父は微笑んだ。
「おまえたち兄妹が居たおかげで、わたしの今まではとても楽しかった。ありがとう一郎」
それが祖父の最期の言葉になった。
意識を失った祖父の代わりに、引き継いだ事業の統括や後始末を一条さんと行い一年が過ぎた。
高校二年生の五月、祖父は息を引き取った。
最後の肉親を亡くしてぼくは一人になった。
ぼくが峰京高校に入学したのはその直後、とても中途半端な時期だった。
クラスは編成を終えた直後であり、ぼくの席は最後尾窓際だ。沙羅との約束と言え、一人で通う高校に何の魅力も無い。
同級生は何かしら話しかけてきていたが、ぼくを見る教師の様子をいぶかしがりだんだんと近づかなくなっていた。
この学校の職員にしてみるとぼくはこの学校の実質オーナーなのだ。不興を買ったらどうなるか判らない。それこそ腫れ物に触れるように扱われた。
入学と同時にグレートハイツスズキにも引っ越した。昔ながらのアパートはどこか広々としている。
こんなところに何があると言うのだろう。ぼくは最低限度の家具だけ購入し日々を過ごした。
それが訪れたのは六月の日曜日のことだ。
宅配便が大きなダンボールをぼくの元に届けた。送信元は祖父。どうやらぼくがここに引っ越したら届くように手配したらしい。
大きさのわりに重量は軽い。ぼくはそれを持って居間に戻ると開封した。
新聞紙と衝撃緩衝剤に包まれたそれは小さなランプ。なぜその形状をランプと呼ぶのか判らないが、アラジンのランプとしか言えない形状だった。
ぼくは同封されていた手紙を開いた。
『一郎へ。おまえには到底信じられないだろうがそれは魔法のランプだ。それの表面をこするとランプの魔人が現れ、三つの願いを叶えてくれるだろう。魔人の存在に不信を覚えるかもしれないが彼らは自らをランプの魔人と呼称する身分証を持っている。ともかくその表面をなでてみると良い』
ぼくは久しぶりに笑った。声を上げて笑った。
誰も居ない部屋の中床に転がって笑った。
あの祖父が、ぼくと沙羅の面倒を見てくれた祖父が、最後の最後にこんなに笑わせてくれるなんて。
ひとしきり笑ったあと、ぼくはランプをコタツの上に乗せてダンボールは片付けた。
科学の次は魔法と来た。
大きなため息をつく。もし三つの願いが叶うとしたら。
願いは一つで構わない。
ぼくはゆっくりとランプをなでた。
部屋の中に白煙が巻き起こる。その中に人影が見えた。
「シャランラー!」
その声を聞いたとき。
「はじめましてー! あたしは美少女ランプの魔人ことシャランラちゃんでーす! あたしを召喚してくれてありがとねー!」
その姿を見たとき。
「あたしを召喚できたご褒美に、あなたのお願い二つまで叶えてあげましょう……と言うのは昨日までのこと、何と今日からランプの魔人特別感謝大セールでもう一つ願いが叶うのです」
ぼくは思った。
「なななんと、あなたの願い、三つまで叶えましょう!」
ぼくのたった一つの願い、それは適ったのだと。
「さあ、あなたのお願いプリーズ!」
沙羅が居た。
とても元気で日焼けしていて可愛い沙羅が居た。
ウソかと思った。夢かと思った。これも悪質な冗談だと思った。
だから見つめた。相手が不信に思うほど見つめた。
それから確認を込めてこう質問した。
「どちら様でしょう」
だが答えは単純だった。彼女は沙羅では無かった。
当たり前だ。沙羅は死んだのだ。死んだ人間は元に戻らない。だから彼女を何とか追い出そうとしたのにどうにもならない。
仕方なしにぼくたちは共同生活した。なぜそんな選択をしたのかぼくには判らない。
諦めて帰ってしまうように嫌がらせまがいのこともした。でも彼女はかたくなにぼくの願いを叶えるのだと訴えた。
そのうち……怒る彼女を見て、恥ずかしがる彼女を見て、謝る彼女を見て、困る彼女を見て。
笑う彼女を見て、ぼくは彼女だから一緒に居てもよいのかと思った。
沙羅ではなくシャランラとして。
そのシャランラが死の淵にある。
ぼくの大切な人がまたもやぼくの目の前から消えようとしている。
「シャランラさんの体内の精霊力が制御できない状態にありますわ。これを治すにはカンデーラの特別な施設と魔神の力が必要です」
「ならばあなたに願いを告げます。シャランラさんを元の世界に送り込んでください」
彼女の巻き毛がくるくると回る。今まで見たどれよりも大きな回転、それが六段階の六番目の振動なのだろう。
「畏まりました、今すぐに……」
しかしマハリタは目を見開いて首を振る。
「ダメです、ご主人様の願いとシャランラさんの主従関係が衝突してその願いがキャンセルされました」
「こんなときに。全く抜け道が無いのですね」
シャランラ、君の言うとおり融通の利かないシステムはこれだから困る。
つまりどんなに真剣に「帰ってください」とお願いしてもシャランラは帰れなかったわけだ。
「あなたの力で無理矢理シャランラさんをあちらの世界に送ることはできないのですか」
「精霊力が足りません。足りたとしても不法転送者を防ぐための障壁突破にシャランラさんの身体が堪えられないでしょう」
彼女を助けるにはランプの世界に戻さなければならない。
正規ルートはぼくが三つの願いを彼女に告げて、あのアンテナと称した髪を震えさせる。
だが彼女はすでにぼくの声も聞くことが出来ず、ぼくの瞳を見ることも適わない。
「ご主人様!」
だからぼくの取り得る手段はたった一つ。シャランラが教えてくれた異常ルート。
ぼくはマハリタの瞳を見た。
「マハリタさん。別の願いがあります」
マハリタは目を見開いてぼくを見た。
「その願い、よろしいのですね」
「はい。難しいお願いですがあなたなら出来るのでしょう『肉欲魔法のマハリタ』であれば」
「……畏まりました。願いはそれだけでよろしくて」
ぼくはうなづく。
そう、願いは一つだけだ。
君を助ける。
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