■ 26 バームクーヘンのブラックホール

 教室の雰囲気は今日になって変わったんじゃなかったんだ。あたしがここに転校したときからもう変だったんだ。

 午後の授業をぼんやりとしたまま終えて、誰にも誘われないままにあたしは帰路についた。

 平山さんには謝っておこうかな。迷惑かけちゃったし。

 あるじ様の言う通り安易に学校に来たのが悪かったのかな。

『召喚主が三つの願望を要求、達成すれば、そこに携わった人々の中からランプの魔神に関係する記憶は消える。残るのは賞神主の記憶のみ』

 だからあんまり深く考えて無かった。願望が達成すればあるじ様の頭の中以外、あたしという存在はこっちの世界から消えるから。どうせ居なくなるから何をしても大丈夫、今までランプの魔人という存在がこの世界で話題にならないのもこの記憶消去のおかげだった。

 でも……傷つけられたらそれは残る。もし誰かが死んだら生き返らない。

 あたし、あのアパートから出るべきではなかったのかな。

 どう歩いていたか判らないけど、あたしの目の前にあるのは大きくて真っ白な建物。峰京総合病院。

 何かお見舞い持ってきた方がいいかなって思って、平山さんが好きだって言っていたバームクーヘンってお菓子の詰め合わせを買ってきた。

 窓口で平山さんの名前を告げるとまだ入院中。三階の三〇三号室って個室に居るけど面会は可能だと聞いて面会票貰った。

 病院か。この雰囲気ってカンデーラのそれとよく似ている。ここまで消毒薬の匂いがきつくないけど、働いている人がみんな清潔な衣服につつまれてきびきびと動いている。

 あたしはあのときの真っ白な部屋を思い出しながら病室が並ぶ廊下を歩いた。

 三〇三号室はすぐに見つかった。ネームプレートに「平山由美子」って書いてある。

 扉が半分開いていて中から数人の話し声が聞こえてきた。

「良かったね酷いケガが無くて。緊急入院したって聞いたから心配しちゃった」

「そうそう。沙織はもう退院したらしいよ。ユミはまだ入院必要なの?」

「足の捻挫がね、まだ少し痛いから。骨には異常が無いけど無理しないようにって言われているの」

 そっか。クラスの女の子たちも来てたんだ。

 どうしよう、バームクーヘンは部屋に帰ってマハリタと二人で食べようかな。そう思いながら病室の中の会話を聞いていた。

「でも迷惑よね、ユミを巻き込むなんて。あの田中がユミたちを助けたってのも信じられないけど」

「そうそう。あいつ全然ケンカとか強そうじゃないじゃん。もしかしてその男たちとつるんでユミたちを襲ったんじゃないの」

「ありえるー。だって田中だってスマホのカメラ使ってたんだよね、気を付けないと」

「なんか不気味じゃん、何考えているんだか判らないし。ああいうのむっつりで変態だよ」

 そこまでで限界だった。

「田中くんはそんなのじゃない!」

 あたしたまらず病室に飛び込んでいた。たぶんあとあと反省すると思う。

 病室の中に居た女の子はびっくりしてあたしを見ている。もちろん平山さんも。

 しかしあたしが二の句を告げないでいると冷静になった女の子の一人が眉をつり上げた。

「あんたもつるんでいたんでしょ、ユミが昨日カラオケに誘ったの断ってあの連中に告げ口してたでしょ。少しくらい目立つからってなに?」

「そうよ、田中がそんな不良相手に何かできるわけ無いじゃん。あんたたちユミと沙織に何がしたかったのさ。どうしてあんただけケガとかしてなくて入院もしてないのさ」

「あたし聞いたことがあるよ、あんたいつも田中と一緒に来てるんでしょ。やっぱ何か企んでいたんじゃないの!」

 言い返せない。あたしが立ち尽くしていると思い出すのはこどものころ。ダメだと思ってもどうしても。

 平山さんがベットの上で上半身起こしてどこかおろおろしている。みんなの口撃は泊まらない。

「病室ではもう少し静かにしたほうが良いと思いますよ」

 ふとその声に言葉通り病室がしんとなった。

 入り口に立っているのはあるじ様。いつもの無表情でみんなのことを見ている。右手に持っているのはあるじ様ご推薦の和菓子屋の包みだった。

「シャランラさんはぼくの済んでいるアパートの隣人です。加えてマハリタ先生も隣人ですよ。峰京町での良い物件が無くて、ぼくの祖父が所有しているアパートを紹介されたので学校の行き帰りが同じになるのは道理ですけど」

 あるじ様はそう言いながらベットに近づいて来る。

「それと昨日の暴漢とは何の面識もありません。それを信じるか信じないかはあなたたちの自由ですけどね」

「それ、証拠があるの」

「信じられないのなら徹底的に調べて頂いて構いませんよ。何でしたら峰京署の事情聴取を取り寄せても良いですし。ぼくがどうこう言っても仕方ないでしょうからあなたたちで調べて見ればどうでしょう」

 女の子たちは舌打ちするとうつむき加減に病室を出て行く。扉が乱暴に閉じられて、室内は三人だけになった。

「ぼくのためにお騒がせしているようですね。申し訳ありません」

「ううん。田中くんはわたしと沙織を助けてくれたんだもの。わたしの両親も沙織も沙織の家族もみんな感謝しているわ。今度そちらにあらためてお礼に伺えればって話し合っているの」

「そのお気持ちだけ受け取っておきます。ぼくは見知らぬ人と話すのが得意ではありませんから。あとこれ、中身は手焼きせんべいですがおすすめですよ」

 あるじ様は包みをサイドテーブルに置いて席を立つ。

「もう帰るの?」

「お二人でいろいろお話があるでしょうから。こういう場面ではクールに立ち去るのが作法だと伺っています」

 そう言ってホントにクールに立ち去ってしまった。

 でも何と言うかとっても話しづらいんですけど。

「あの……平山さん。ごめんね」

「シャランラさんが謝ることではないと思う。ただ、あのとき怖くて、あなたのことをきちんと警察の人にも話せなかった」

「あたしのこと?」

「あの男の人を吹き飛ばしたのって何?」

「あー、ええと、その……じつはあたしカンフーをやっていてあれは気合砲って奥義でね……」

 真剣な平山さんの瞳。あたしこういうときのアドリブは弱いのよね。

 あたしは背筋を伸ばして覚悟を決める。信じてくれるか判らないけど、全部話す。あたしにはその義務があるから。

「あたし、魔法が使えるの。魔人なんだよ」

 そのあとイスに腰掛けてあたしはこれまでの全てを平山さんに話した。半月も前、あるじ様に呼び出されてこの世界にやってきたランプの魔人であること、どうしても願望告げてくれないあるじ様と同居してがんばっているけど精神的にいじめられ続けていること、それでもけなげにがんばっているあたし。

「魔法が使えるってホントなの?」

「見た方が速いよね。シャルルリラー、このバームクーヘン二つになーれ!」

 するとあたしの手の中のバームクーヘンが、ぽんっと弾けるように二つになった。

「これって手品ではないの?」

「魔法にはきちんと原理があるから、種も仕掛けもあるって言う意味だと手品と同じかもしれないね。英語にするとどっちもマジックだし。はい、こっちあげる」

 あたしは複製元を平山さんに差し出し、複製したバームクーヘンの包みを開いて口に入れる。

「それ一分以内に食べないとまた二つになっちゃうよ。ほっとくと三〇分後に1073741824個まで増えるから」

「え、え、ウソ!」

 大慌てで食べる平山さん。完食してどこかほっとしている。

「っというのはウソ」

「もう! シャランラさん!」

 あたしたちは顔を見合わせて笑った。

「すごいね、これだといつでもバームクーヘン食べ放題ね。わたしにも教えて」

「バームクーヘンが複製した分だけこの世界のどこかでバームクーヘン分の何かが無くなっているんだよ。ほら、こっちの物理学のエネルギー保存の法則だっけ」

「そっか。でも本当に魔人なんだ」

 あたしは頷いた。平山さんの瞳にあたしを怖がっている雰囲気は無くなっていた。

「あるじ様もね、かたくなにあたしの魔法を見てくれないんだよ。見てくれれば平山さんみたいに信じてくれるのに」

 平山さんはバームクーヘンの包み紙を見ながらどこかさびしそうだ。

「ねえ、田中くんのお願い三つ叶えたらランプの世界に帰っちゃうんだよね。そのときにわたしたちの記憶からシャランラさんのことも消えちゃうんだよね」

「消えちゃった方が良いよ。あんな連中にあんなことされて。あたしが居ても良いこと無いじゃん」

「でも学校やWOSバーガーやゲームセンターでシャランラさんと遊んだのは楽しかったよ。昨日のは少し怖かったけどそれでも忘れたらもったいないと思う。なにより魔法使いのお友だちなんてそうそう居ないでしょう」

 彼女はあたしの目をじっと見た。

「わたしがあなたのあるじ様だったら、いつまでもこっちの世界に居てずっと友だちでいてくださいってお願いするけど」

 そのとき、あたしのアンテナが振るえた。それは六段階の一番強い振動。

「ありがと平山さん」

「あしたは学校に行くから、いっしょにお昼食べましょ。シャランラさんはまたカレー食べるの?」

「ううん、最近はうどんを食べているけど、どうしてたぬきもきつねも入っていないんだろう。月見うどんにお月様が入らないのは何となく判るんだけど不思議」

 平山さんはあたしのマジ顔を見て吹き出していた。

 病室を出ると誰も居ない廊下のイスにあるじ様が座っていた。

「さて、帰りましょうか。夕食の支度もしなければいけませんし」

「あるじ様、お願いがあります」

 廊下に響くあたしの声に足を止めて振り返るあるじ様。

「メガネを外してあたしの名前を呼び捨てていただけませんか」

 珍しく一瞬の躊躇を見せたが、あるじ様はフレームに指をかけるとそっとメガネを外し正面からあたしを見た。

「シャランラ」

 その顔を見てその声を聞いて、あたしは初めて出逢ったときから抱いていた違和感の正体に何となく気がついた。

 あるじ様はどこかお父さんに似ている。

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