■ 24 それはまるで痴話ゲンカのようで

 あたしは一人で狭い部屋の中に居る。

 あのときと同じだ。訳も判らずに大勢の大人に囲まれ腕を引っ張られ半ば引きずられ、誰もあたしを助けてくれなくって泣いてもわめいても聞いてくれない。

 閉じ込められた狭い部屋。あのときの部屋は冷たくて汚くて日が差さなくて。

 ここは座ってもお尻が痛くならないイスもあるし、目の前のテーブルにペットボトルの飲料が置かれている。そもそも寒くも暑くも無いし。

 ただ、一人の警官が戸口に立ってあたしの顔をじっと見ている。

 その目は平山さんと上月さんの目と同じ。

 あのときの周りのみんなと同じ。

 バケモノを見る目。正体の知れない何者かを見る目。

 あたしどうなるんだろう。このままどうなるんだろう。

 ここはカンデーラでもルーノル村でもない。峰京町の警察署だけどあたしの立場は変わらない。

 また……あのときみたいにラクガキされるのかな。あのときみたいに石を投げつけられるのかな。あのときみたいに酷い言葉を浴びせられ続けるのかな。

 ここにはお父さんも居ないのに。

 あたしはスカートの裾をぎゅっと握った。

 扉をノックする小さな音が響いて、別の警察官が顔を見せた。あたしを見張っている警察官と一言二言話してあたしを見ながら一旦部屋の外に出る。

 あたしはひとりぼっちになった。

 涙があふれそうになる。

 再度小さな音がして警官が入ってきたがその表情が変わっていた。なんだろう迷っているというのか。

 警官に続いて入ってきたのはあたしも知っている人物だった。

「いやはやシャランラさんも大変な目にあいましたな」

 机を挟んであたしの目の前に座ったのは一条さんだった。あるじ様のおじいさまの代理人。

 一条さんはちらりと戸口の警官を見てから眉間にしわを寄せる。

「不良グループの抗争に巻き込まれた上に、何を考えているのだか峰京署の連中も被害者のお嬢さんをこんなところに押し込めて」

「抗争? 何を言っているんだろう。あたしが呆けていると一条さんは話を続けた。

「お待たせしましたがこちらもあなたの身元保証人にといろいろ打診していまして。各方面からご協力いただいたおかげでここの連中も理解して頂けましたよ。今日はもうお帰りになれますからね。のちに署長自ら今回の失礼をお詫びしたいと……」

「あたしの身元保証人ですか? どちらが」

 ふと思い立ったのは係長の半裸姿だが、それだと身元保証人どころか別件で逮捕されそうだ。

「これは一部ですがこの方々です」

 一条さんが見せてくれた紙には次の名前が連なっていた。

『音羽敬一衆議院議員・前通産省大臣。

 金森優子衆議院議員 厚生労働省難病支援プロジェクト議長。

 厚生労働省・事務次官 佐々木徳氏。

 帝国医大付属病院院長 高橋晋太郎名誉教授。

 西宮制約副社長 近藤一正氏。

 西宮メディカル会長 沖田智久氏。

 株式会社メディアアンドエンターテーメントCEO 深沢直道氏。

 JIB(ジャパンインターネットブロバイダ) 取締役・須田秋信氏。

 日本産業研究所・社長 泉公太郎氏』

 素性の詳細はよく判らないけど、日本の中ではそれなりに地位のある人物だと予想できる。

「どうしてこのような方々があたしの身元を」

「それはあなたがSIファクトリーの重要な関係者だからですよ。ここに名前のある方々はどなたもSIファクトリーと深い関係にありますからね」

「そんなに大きな会社なのですか」

「いえ、SIファクトリーそのものは従業員一〇〇名以下の小さな会社です。ですが主に医療・通信・金融関係の重要な特許や研究部門を持っていますので。ご存じかもしれませんが今後のノーベル賞候補になっているとウワサの神経性筋肉硬化症の特効薬イルフィリンΒの開発もこちらの会社ですよ」

 あたしはあるじ様から頂いたSIファクトリーの身分証を取りだしてまじまじと見た。ただのプラスチックでできたそれは白金を削り出したかのような価値があるということか。

 あるじ様のおじいさま、どれほどの会社を作っていたんだろう。あるじ様はその会社も相続したのかな。

「ともかく今日はもう帰りましょう。詳細については後日また事情をこちらでお話しすることがあるかもしれませんが、そのときはわたしかわたしの法律事務所の人間が必ず立ち会いますのでご心配はいりません」

 あたしは一条さんと取調室を出る。部屋の外には制服を着た方が数人直立していてあたしに深々と頭を下げた。

「シャランラさん」

 そのまま通されたのは誰も居ない受付ロビー。そこにあるじ様が一人で待っていた。

 一条さんはあるじ様と何かしゃべっていたがすぐにうなづいてあたしに会釈すると席を外した。

「古典的なシーケンスではお勤めご苦労様ですと言うのですけどね。まあもう夜も遅いですしさっさと帰りましょう」

「あの、平山さんと上月さんは?」

「お二人ともケガはありませんが、念のために峰京総合病院に向かわれました。ご家族にも連絡が入っているはずですから大丈夫ですよ」

 あたしはそれを聞いて肩の力が抜ける。

「あれだけのことがあったんです。数日は学校をお休みするかもしれません。シャランラさんも無理せずに今週はお休みになったほうが良いですよ」

「あのあるじ様。お聞きしてよいですか」

「構いませんけど何でしょう」

「あるじ様はどのような魔法を使われたのですか」

 歩き賭けていたあるじ様がこちらを振り向いた。

「何に対して、と逆に質問してよろしいですか」

「あたし、あの金髪の男にあんなことをしたはずなのに、あたしが被害者になっていることです」

「シャランラさんは間違いなく被害者ですよ。平山さんと上月さんと同じ、不良グループに襲われていた。ぼくの詳言の他に彼らの蛮行を録画したビデオデータもありますし」

「でも、あれってあるじ様のおっしゃっていた過剰防衛になるのでは?」

「そう思われるのも無理もありませんがあまりここでは言わないでいただけますか。まあもうあなたに何らかの疑いを持つ方もいらっしゃらないでしょうし」

「でも!」

「しいて言えばぼくが使ったのは魔法ではなく錬金術かもしれませんね。その言葉がシャランラさんの世界にあるか分かりませんが」

「錬金術……どこにでもある素材から貴重な素材を作り出すことですか」

「日本は資本主義という錬金術が有効なのです。ぼくもこの力を使うのは不本意なのですが、あまりハイサーさんに気苦労賭けるのは申し訳なくて。あれ以上頭髪が残念なことになるのは避けたいですから」

 そしてあたしを正面から見る。

「シャランラさんはぼくを助けてくれました。そのあなたを犯罪者にはしません。世間が黒と言ってもぼくは白にします。あらためてありがとうございました」

 あるじ様は深々と頭を下げる。それから再び前を見ると歩き出した。向かうのは警察署の正面玄関だ。

「さあ帰りましょう。日付が変わらないうちに」

 あたしもその後を追った。

 すっかり夜もふけた峰京町を二人で歩く。自動車の往来もなく私鉄の峰京駅からそれなりに離れているせいか会社帰りの人を見ることもなかった。

 あたしもあるじ様も履いている靴はスニーカーのせいか足音はほとんどしない。一〇分もしないうちにグレートハイツスズキが見えてきた。

「それではシャランラさん。もし明日学校を休むにしても七時くらいに朝食になりますので遅れずにこちらに来てください」

 あるじ様は二号室のドアノブに手をかけた。

「もう一つお聞きしてよろしいですか」

「今日は質問が多いですね。中で話しますか」

「いいえここで。今夜はなぜあたしを助けに来てくれたのですか」

「学校でも言いませんでしたか。最近この町にも質のよろしくない学生が増えていると。そこにマハリタさんの電話に着信があったので調べてもらったのです」

「それだけですか?」

 あたしはうつむいてまた顎を上げる。

「……あたしが沙羅さんに似ているからですか」

「なるほど。渡辺さんに話を聞いたのですね」

 あるじ様は改めてあたしに向いた。

「あなたは確かに沙羅に似ています。あなたを初めて見たときは沙羅が生まれ変わったのかと思いました」

「ならなぜあのとき追い返そうとしたのですか」

「あなたが沙羅ではなくてシャランラさんだからですよ」

 あるじ様がゆっくりと息を吐くのが見えた。

「沙羅は死んだのです。魂があるとすればもうゆっくりと休んでいるんです。あれだけ病気に苦しんでいた彼女を、せっかく安心して寝ているのに起こすことはできませんよ」

「あたしに願えば良いではないですか!」

「叶えられれば、ですよね」

 いつに無く鋭い視線があたしを襲う。

「あなたもマハリタさんもぼくに提示したことは『三つの願いを叶える』……ですが、普通この手の話は『何でも願いを叶える』です。つまり叶える事項に条件が付いている。それと願望が有効か判定するアンテナ、それは魔神の力でも不可能な願いを選別することができるシステムではないのですか」

 あたしは答えられない。ただ目を見開いてあるじ様の口元を見ているだけだ。

「あなたとマハリタさんの間にどれほどの実力差があるか真意は分かりませんが、三級のレベル差はマハリタさんが催眠魔法の使い手だからでは無いのですか。覚えているか判りませんがあなたがここに来て二日目、学校で考えてきた願い事は魔法があったとしても社会システムを変更するような願いです。それは魔法で物理現象を変更しても叶えられる者ではない。そういう願いは催眠状態にして、つまり賞神主を夢見る状態にして適ったと思わせるからではないですか」

「そ、それは」

「通常三つの願いを叶える魔法の話の落ちを知っていますか。一つ目の願いは実現性の確認、二つ目の願いで失敗し、三つ目の願いで絶望する。そう、通常三つの願いは人に幸福をもたらすものではなく絶望をもたらすものです。あなた方魔人は人の歓喜をエネルギーにするのではなく、人の絶望をエネルギーにするのではないですか」

「そんなことはありません! あたしたちは心から人間の喜ぶことを求めているんです! 今のあるじ様はたくさんの遺産とおじいさまから引き継いだ会社があるから、それだけ裕福であるじ様自身もそれだけ優秀ならそう簡単に願望も浮かばないかもしれませんけど」

 そこでなぜかあるじ様が笑い出した。とても低い声で。

「……もうぼくに歓喜を起こすことなど無いのですよ。ぼくは満たされて願望が起きないのでは無く、全て諦めてしまった残念な男なのです」

「まだ一七年しか生きていないではないですか。何でもっとがんばってみないんですか。あるじ様ならなんでもできるくらいに頭も良い方だと思いますし運動だってなんだってできるじゃないですか」

「なんでもできるですか。そんなことは考えたこともありません」

 なぜそんなにご自身を否定するの。あたしだったらうらやましく思うのに、何が不満だというの!

「もうぼくは誰にも存在を求められていない。実体のある幽霊みたいなものです」

「あるじ様!」

「ぼくもシャランラさんに質問してもよろしいですか」

「あたしに答えられることですか」

 あるじ様がうなずく。

「ランプの魔神が召喚主と主従関係にある場合、もし召喚主が死亡したら主従関係はどうなるのでしょう」

「それは……異常ケースとして主従関係が解消されます」

「つまり今ぼくが死ねば、あなたは晴れてランプの世界に戻れるのですね。それなら簡単に……」

 なぜか微笑むあるじ様。どうしてそんな表情であたしを見るの!

 あたしは思いっきりあるじ様の頬を叩いていた。夜のグレートハイツの前で甲高い音が響いた。

 右手の手のひらがじんじんする。

「そんなことを言ってあたしが喜ぶとでも思ったの! あたしはこれでもランプの魔神、あたしを召喚したあるじ様の願望を叶えるための存在なのよ! あたしのお父さんを見てずっとあこがれて着いた仕事なの!」

 あたしは泣いていた。あたしの存在を否定されて泣いていた。

「全然努力もしないで絶望だけして願望が何にも無いなんて、死んでしまった人だって浮かばれないわ、そんなお兄さんだなんて沙羅さんが可愛そうよ! いつまでも一歩も前に出られないあなたはあるじでも何でも無い、もうあたしはあなたの望みなんか叶えたくない!」

 あたしはそれだけを叫ぶと三号室の扉を開けて中に入る。

 背中で扉を押さえて肩で息をする。

 聞こえてきたのは二号室の扉が開く小さな音。

 あたしは自分の手のひらを見てその場に崩れるように腰を落としていた。

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