■ 22 もう一人のあたし

「マハリタ先生、今朝は元気なかったね」

 昼休みの学生食堂。あたしはクラスの女子数人で昼ご飯を食べている。あるじ様の忠告もあって本日のメニューはたぬきうどん。ところでたぬきが入っていないんだけどこれって詐欺?

「それでもあの胸はすごいよね。背がそんなに高く無いから余計にそう見えるし」

「もう男子ったら露骨に見ててこっちが恥ずかしくなる」

「ホントホント」

 まああの胸はしばらく話題になると思う。正確にどれくらいのサイズかはあるじ様に聞けば判るかもしれない。

 ところで。

「ねえ、なんだか変な匂いがするんだけど」

 話題が話題なのでみんなが食べ終わってからそんな話をした。どうもここ数日、学生食堂で食事していると気になっていた。

「どんな匂い?」

「タマネギの刺激臭みたいな」

「ああ、それ都市ガスの匂いだよ。シャランラさん、敏感だね」

「都市ガス? それって匂いが付いてるの」

「ガスを使っているのを判るようにわざと匂いを付けてるんだって。この食堂だとたくさん使っているから鼻が敏感な人だと判るらしいよ」

「そうなんだ」

「でもね、この学校の卒業生の話だと、以前の学生食堂はすっごく汚くてとても食事なんてできるところじゃなかったみたいだよ。ラーメン頼んでもスープがぬるいし麺はのびているし、乗っかってる具が極薄のハム一枚だけなんだって」

 あたしは近くでラーメンを食べている男子生徒を見る。器はキレイだし具はテレビの料理特集のようにきちんと乗せられている。

「聞いたことがあるよ。それに汚いのは食堂だけじゃなくて校舎や体育館もまるでプレハブの出来損ないって言ってた。エアコンも無くて夏場は扇風機の動いている教室にみんな集まっていたんだって」

「よかったよね、わたしたちが入学する前に全部建て替えたらしいよ。卒業生が文化祭に来て驚いていたって」

「ここワタクシリツだからきっと理事長が替わったんだよね。このまま卒業まで保てばいいな」

 それを聞くとあたしも運が良い方なのかな。

 あたしたちはそろって食堂を出た。あたしだけ途中でお手洗いに寄って、一人教室に戻ると入り口に渡辺さんが立っていた。

 いつものようにあたしの顔をじっと見て、あとは逃げちゃうのかなとか思っていると大きくうなづきあたしに近づいた。

「シャランラさん、今日の放課後お時間ありますか?」

「今日? 特に用事無いけど」

「よろしければわたしにお時間いただけますか。この前の学生証のお礼がしたいのです」

「別にそこまで畏まることじゃないけど」

「ぜひお願いします。わたし、そういうのほったらかしにするのが我慢ならないんです」

 ここまで言われて断るのも悪いと思った。そこで待ち合わせは放課後裏門にてということになった。

「すいませんあるじ様。今日お友だちに誘われているので帰りが遅くなるかもしれません」

 教室に入りそばに誰も居ないことを確認してから小さな声で語りかけると、特に驚いた様子もなくうなづいた。

「遅くなるようなら連絡を入れてください。最近ここら辺も質の悪い学生が増えているそうですから」

「心配してくださっているのですか?」

「それはもう。胸を侮蔑されたあなたが逆上し返り討ちにしたら正当防衛どころか過剰防衛でこの国の警察組織のごやっかいになりかねませんからね。まさか身元引受人にハイサーさんを呼ぶわけにもいかないでしょう」

 ちくしょー。実際にその通りにしそうなあたしが怖い。そして後始末に駆けつけた係長のデコピンがさらに怖い。

 そのまま何も無く時間が進み放課後。

「シャランラさん、みんなでカラオケ行くんだけどどうかしら」

 平山さんにそう誘われたが先客があるのでまた今度と言って一人裏門に。

 日本の資料によると「裏」と付いている場所には正規で無いとか悪いとかいう意味があるのだとか。峰京高校の裏門も正面門に比べると小さくて目立たないが、目の前にコンビニがあるせいか悪い印象は無い。

 渡辺さんはすでにそこに居た。

「待った?」

「いいえ全然。それでは行きましょうか」

 あたしは彼女の先導で歩き出した。

「これからどこに行くの?」

「わたしの家です。裏門の方が近いのでこちらで待ち合わせたんですよ」

 お礼と言ったので快速食堂か家族食堂に案内されるのかと思ったら家そのものだった。あるじ様以外の個人宅への訪問に少し緊張する。礼儀とか大丈夫かな。何気に渡辺さん礼儀正しいし良いところのお嬢様だったり。

「渡辺さん、あたし日本での礼儀とか今ひとつで」

「そんなに畏まらなくて大丈夫ですよ。それにわたしのことは華子って呼んでください」

 それから五分くらい歩いたろうか。道筋としてはグレートハイツスズキに向かっている。そりゃそうか、あのときだってダンボール箱抱えてあるじ様のところに戻る最中だったんだから。

「シャランラさんは田中くんと良くお話してますよね」

「うーん、それは席が隣同士だし。あたしからすると一番話しやすいところに居るからかな」

「シャランラさんはそうかもしれませんけど、田中くんが誰かにあれほど話しかける姿は久しぶりに見ました」

 久しぶり? それが気になったけど華子さんの足がぴたりと止まった。

 目の前には三階建てのそれなりに大きな邸宅があった。表札は「渡辺」やっぱりお嬢様だったのか。

 華子さんは鉄製の門を開くとあたしを招く。

 扉もこれまた頑丈そうで威圧的。グレートハイツも名前負けしないようにこれくらいの付けないとね。

 華子さんは鍵を開くと中に入る。あたしは差し出されたスリッパに足を通した。

「ただいま」

「おじゃまします」

 すると奥からスリッパの近づく音がして、華子さんによく似た女性が現れた。姉妹という年齢では無いと思うから華子さんの母親なのだろう。

「ハナちゃんおかえりなさい。あらお友だち……」

 微笑んでいたお母様の表情が途中で止まる。なぜか知らないがあたしの顔を見て硬直してしまった。

 あたしいきなり失礼なことしたのかと大慌てするが、華子さんがぽんとお母様の肩を叩いた。

「この人はインドからの留学生のシャランラさん。わたしの学生証を拾ってくれたの。それでお礼ができないかと思ってお招きしたのよ」

「あ、あらそうだったのね、ごめんなさい、あんまり似ているので驚いてしまって。華子がお世話になりました。今日はごゆっくりしていただけるのかしら?」

「あ、え、その大丈夫ですけど」

「でしたら夕ご飯ご用意しますから食べて行ってくださいね」

「それよりママ、あとでお菓子とお茶を取りに行くから用意しておいてくれる? まだシフォンケーキが残っていたでしょう」

「そんな残り物を出すようなことをしてはいけません。これからちょっと買ってくるから待っていなさい。シャランラさんはケーキのお好みあるかしら?」

「いえその、あたしは甘いものならそれほど区別無くスキですけど」

「判ったわ、それでは楽しみにしてね」

 お母様はとても楽しそうに微笑んで奥に引っ込んだ。あたしは華子さんに案内されて二階の彼女の自室に通された。

 部屋の広さはグレートハイツの居間と変わらないと思うのだが、大きなベットと大きなテーブルに机が並べられて空間はぐっと狭い。と言うかこれくらいが普通なのだと思う。

 ガラス製のテーブルの上に紅茶のセットと白磁のカップが並び、お母様が買ってきてくださったチョコレートケーキがどんとのっかっている。あるじ様はどちらかというと和菓子専門なので洋菓子は余り食べたことが無かったがとてもおいしかった。

 一息ついて。

「あのね、ちょっと気になることがあるの」

 あたしはカップを置いて華子さんを見る。彼女はその質問を想定していたのか静かにうなづいた。

「ママの言っていたことでしょう」

 あたしがうなづくと華子さんは大きなアルバムを取りだしてページを開くとあたしの前に差し出した。

 華子さんの小さな頃の写真。顔つきからして五、六歳くらいだろうか。とても可愛らしい。だが問題はそこでは無い。

 一緒に二人の人物が写っている。一人は間違いなくあるじ様。こちらも年齢は五、六歳。まだメガネをかけていなかった。

 そして二人の間に一人の女の子。年齢は二人と同じくらいだがその顔はまるで。

「……あたしが居る」

 まるっきりそっくりという訳では無い。あたしは褐色の肌に蒼い瞳、それに茶色の髪だけど写真の女の子は日本人らしく瞳と髪は黒、肌はどちらかと言えば白い。

 でも顔立ちはまるっきりあたし。あたしの小さい頃そのままだ。その姿を見ているだけであの頃の嫌な記憶が湧きでてきそうになるが、写真の女の子は満面の笑顔だ。

「その子の名前は田中沙羅[さら]ちゃん。小学校入学のときに記念撮影したのを印字したの」

「田中? じゃあ田中くんのご兄妹」

「そう。一郎くんと沙羅ちゃんは双子の兄妹なの。そしてわたしの幼なじみ」

 華子さんは身を乗り出してアルバムのページをめくった。

 そこには華子さんのお母様も交えて家の中で撮影されている。

「これはわたしの誕生会をこの家で行ったときの写真よ。一郎くんと沙羅ちゃんは良くわたしの家に遊びに来ていたし、ママとも仲が良かったわ。だからさっきあなたの姿を見て驚いたのだと思う。わたしも驚いたから」

「でも田中くんは妹さんが居ることなんて少しも話してくれなかったけど」

「今は居ないわ」

 華子さんのさびしそうな一言であるじ様の言葉を思い出す。

『ぼくに家族は居ません』

「沙羅ちゃんは小学校四年生のときに病気になって、その五年後一四歳のときに亡くなったの。先天性神経性筋肉硬化症というとても治療の難しい病気でね」

 ん? その病気名どこかで聞いたような。

「テレビでやっていたけど今後のノーベル賞候補になった特効薬ってその病気じゃなかったかしら」

「よく知っているのね。そう、その病気。でも薬ができたのは沙羅ちゃんが亡くなった直後だって聞いたわ。もしそれが間に合えば沙羅ちゃんは元気になっていたかもしれないわね」

 あるじ様が魔法で病気が治るのかって聞いていたのはこれのことだったのかな。

「一郎くんと沙羅ちゃんはとても仲が良かったわ。小学校低学年のときはわたしと三人でいつも遊んでいた。沙羅ちゃんが泣き出すと一郎くんがどこからかすぐにハンカチ取りだして涙を拭いてあげるの。まるで手品みたいに」

 そっか。そのときからハンカチは常備していたのね。

「沙羅ちゃんが病気になって大きな大学病院に入院してから一郎くんの姿も見なくなったの。きっと看病していると思ったのだけど結局、再会できたのはあの峰京高校の二年生のクラス。でもね、どこか変わっちゃった」

「変わった?」

「その写真を見て何か気がつかない?」

「田中くんが笑っている」

「そう。こどもの頃の一郎くんは普通の男の子だったわ。笑うこともあれば怒ることもある。沙羅ちゃんやわたしとケンカすることもあればママに叱られてさびしそうにすることもある。でもね、あのクラスに居る一郎くんはまるで別人みたい。怒るどころかさびしがることも笑うこともないの。わたしを見ても会釈するだけ。まるで姿形が同じで中身が誰かに入れ替わってしまったみたいに」

 あたしにとっては今の無表情があるじ様そのままだから、この写真の中の田中一郎くんが作り物に見える。

「あの頃の一郎くんは頭が良くてわたしも沙羅ちゃんも良く勉強教えてもらったわ。ママやパパに教わるより良く判ったの。それにとてもゲームに強かったわ。オセロって知ってる?」

「裏表が白黒の駒を並べて挟むとひっくり返すゲーム?」

「うんそれ。一郎くんとオセロすると全然勝てなかったわ。パパはオセロ得意だって言っていたけどそれでも勝てなかった。一郎くんにオセロで勝てるのは沙羅ちゃんだけだったわ」

「沙羅さんってそのゲーム強かったの?」

 そこで華子さんはクスリと小さく笑った。

「一郎くんに聞いたことがあるけどわざとなんだって。沙羅ちゃんに勝つとすねちゃうしわざと負けると怒られるから、自然に沙羅ちゃんが勝ったように誘導するって。わたしそれを聞いてもよく判らなかった」

 あたしは写真の中の沙羅さんを見た。あたしに兄妹は居ない。だからそれがどんなものなのか創造しか出来ないけど、あるじ様は沙羅さんを大切にしていたのだろう。

「あの高校での一郎くんは先生からどんな質問を受けても『判りません』しか答えない。運動だって得意だったのに体育には参加しない。もしかしてあのクラスの中でよく話しているシャランラさんなら何か知っているのではないかと思っていたの」

「ごめんなさい……あたし何も判らない」

「ううん、わたしこそあなたを責めるようなことを言ってごめんなさい。本当はわたしが直接聞くのが一番なんだけど怖くてできなかった。だから全部わたしのせいね」

 二人の間に沈黙が支配する。

 すっかりと冷めた紅茶の残り香だけがあたしの鼻についた。

 そのあと華子さんのお母様とご帰宅されたお父様に誘われ夕食をごちそうになった。

 いつもはごはんとお味噌汁、それにおかずが二品程度のシンプルな夕食をあるじ様と食べていたのだが、今夜はどこから手を付けて良いのか判らないほどの皿が並んでいる。

 華子さんのご両親はとても上品で、この親からこのこどもが産まれて育ったんだと実感できる。あたしは自分の不作法が露呈しないか少し怖かったが、それすらもおおらかに飲み込んでくれそうな気がした。

 どこかで見た家族だなと思ったらマハリタの家がこのような雰囲気だった。

 マハリタの家計はとても有名な魔人エリートだ。今までに数人の魔神も輩出している。

 あたしは何度かマハリタの家に招かれて食事をしたっけ。あそこの家族もみんなどこかのんびりとしていた。

 そう言えば今はあるじ様とマハリタの二人で食事しているのだろうか。もう時間的に三メートル以内接近禁止も解除されているだろう。

「シャランラさん、また遊びに来てね」

 夕食を終えて一息ついてあたしは家に帰ることにした。これが金曜日だったら泊まっていくのが礼儀とまで言われそうな好待遇だが、ここは心を魔鬼にしてあるじ様の元に帰ろう。

「シャランラさん、また明日」

「うん、華子さんもね」

 玄関先まで送ってくれたご家族に手を振ってあたしは夜道を歩く。時刻は八時過ぎ、帰ったらお風呂に入ってすぐに寝てしまおう。

 見上げると空に星が見えるけどカンデーラに比べて圧倒的に少ない。ホントに数えられるほどだ。

 試しに数えてみようかなどと思っていると、

「放してください!」

 聞き覚えのある声が耳に飛び込んできた。

 平山さんの声だ。しかもかなり切迫している。

 あたしはあるじ様の忠告を思い出し声のした方向に走った。

 彼女の声は途切れたが誰かが争うような物音は大きくなっている。おそらくあの角を曲がったところだ。

 あたしは直前で足音を殺すとそっと近づいて覗き見た。

 男が三人、女性が二人。

 女性は声の主の平山さん、そして同じクラスの上月さん。ともに行き止まりに追い詰められて壁にへばりついている。

 そして男は金髪とその仲間。どうも懲りていない。あるじ様の言っていた質のよろしくない学生とはあいつらか。

 でもどうする? 平山さんたちの配置が良く無い。あたしが乗り込んでも逃げられない。かと言って男三人。前回のあれがあるから警戒するだろうし三人同時には相手にできない。

 ……魔法。

 あたしは首を振った。あたしの使える魔法では平山さんまで巻き込みかねない。

 こんなときにマハリタが居れば。あ、でも彼女も催眠魔法を係長に封印されているんだっけ、大切なときに使えない。

 ともかく連絡だけは入れよう、あたしはポケットから精霊電話を取りだしマハリタのアドレスを……

 その画面に写ったのはあたしの後ろに居る男!

 振り向こうとしたあたしの頭がガンと衝撃を受けた。

 もう一人居たなんて。消え行くあたしの意識の中で最後に見たのは男のニヤケ顔だった。

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