■ 21 教師プルンプルン物語

 何とか朝が来た。

 本日の朝食はコーンシリアル。どうも人数が増えたので急遽これになったらしい。あたしはスキだからうれしいけど。

「それでご主人様とシャランラさんはこれから学校に行ってらっしゃるのですね」

「はい。ぼくは午後四時に帰ってきますのでそれまでこちらにいらして結構です。合鍵はお渡ししますから戸締まりさえしっかりしていただければお出かけになっても良いですよ」

「ともかくあんたは日本初めてなんでしょ。あたしたちが戻るまでテレビでも見て勉強してなさい」

「シャランラさんに勉強せよと言われるのは屈辱の極みですけどそうさせていただきますわ」

 マハリタはどこか不満顔だが同意はしたようだ。

「それではいってきます」

「いってらっしゃいませご主人様」

 三つ指突いてお辞儀するマハリタ。彼女に見送られてあたしたちは部屋を出た。

「マハリタさんはこちらの世界に何回も来ているのですか」

「それなりの数は来ていると思いますよ。第三級になるにはそれだけのポイントが必要ですし」

「だとするとこちらでの常識もある程度はわきまえているということですね。地域的な違いはあるかもしれませんが無茶なことはしないでしょう」

 そこであたしを見るあるじ様。

「あたしだってそんな無茶なことしてないじゃないですか」

「シャランラ=ロレンス。インド出身とは良く考えましたね」

「う」

「もしクラスの女子がこっそりとあなたの後をついてぼくのアパートまで来ていたらどう言い訳するつもりなのかを教えて頂けますか」

「うー」

「無いとは思いますけどシャランラさん、ぼくの前以外で学生食堂のカレーライス食べてませんよね。あれビーフエキスが入っているってご存じでしたか。インドの方にとって牛は神様と同じですよ」

「うーーう」

 例によってハンカチが差し出される。

 あたしは涙をぬぐって校門をくぐり教室に入る。

 そして朝のホームルーム。いつもと異なる人影が二つ。

「えー、担任の伊集院先生が急遽出張となり、その間別の先生がこのクラスを受け持つことになった。では先生、自己紹介をよろしくお願いします」

「みなさんはじめまして。わたくしこのクラスの臨時担任となりましたマハリタ=東雲と申します。担当は保健体育です。いろいろと至らぬところもありましょうが一生懸命つとめさせていただきますのでこれからよろしくお願いします」

 アーハーハー、見てくださいよあるじ様。やりましたよあの脳内乳脂肪魔人。

「これは驚きましたね」

「そうでしょう驚いたでしょう、そのついでに想像を絶する摂関を……」

「ほんとにあの巻髪がくるくると回転しています。なかなか見事なものですね」

 そっちかい! 確かにあの乳がクラス全員の注目浴びているし煩悩本能全開でマハリタに飛び込んでいるだろうけど。

 どうしてそんなに対応が違うの! あれか全ては胸が……おっぱいが全てを許すと言うのか!

「落ち着いてくださいシャランラさん。別に許すとは言ってませんから」

「そうなんですか?」

「ただマハリタさんは普通に責めても動じないでしょう。どうするかをきちんと考えないといけませんね」

 そうこうしている間に授業は始まった。

 本日は四時間目に体育がある。昼休み直前の体育ってお腹空きすぎて身が入るのかなと思いつつあたしもジャージという服装に着替えて体育館に向かった。

 例によってあるじ様不参加。

「あーらー、田中くんはこちらに来ていないのかしら?」

「と言うかどうしてあんたが体育の時間にやってくるのよ」

 体育館に整列した生徒を前に、見たことも無い服装で乳揺らしているのは小柄な教師もどき。名をマハリタ=東雲という。

 彼女の着ている服装を検索したら日本の中世期の運動着である体操着とブルマという組み合わせだと判った。あんた何見て日本を勉強したの。

「センセー、田中はいつでも体育不参加でーす」

 最前列の男子がマハリタの胸に露骨な視線を浴びせつつそう言った。マハリタはなぜか笑顔。

 そうよね、少なくとも保健体育の教師ならあるじ様が不参加のこと、別の教師から聞いているはずよね。

 と言うことは単なる確認?

「それはいけませんね。みなさんでクラスメイトをお迎えに行かなければなりませんわ」

 そこで体操着の上から自分の父揉み出すマハリタ。こ、これは!

「みんな、見たらダメ!」

「マハリプルルンルン、さあみなさーんわたくしの肉欲の虜になーれー!」

 遅かった! これぞマハリタの得意技・肉欲催眠術。

 第三種の魔人が同時に影響を与えられるのは一〇名未満とあるじ様に解説していたけど、マハリタのそれは連鎖催眠という手段を用いる。

 これは催眠術にかかった人物が他の人物に触れると催眠状態になるというものだ。一人当たり九名まで、その九名がまた九名まで連鎖できることから無限連鎖魔法と呼ばれている。

 ただ連鎖を繰り返すと催眠は徐々に薄れていく。それでもあたしたちのクラス全員を催眠に陥れるのに十分だ。

 あたし? 魔人相手にそんな催眠効かないわよ。そもそも手口が判っていて相手の術にかかるほどまぬけではないわ。

「さーてみなさーん。これから田中一郎くんを迎えにいきましょうう」

 おー!

「もし一郎くんを虜にして頂ければわたくしのこの胸を存分に触れさせてあげましてよ」

 男子一斉に歓喜。

「女子のみなさーん、あたくしの胸に触れることであなたたちもこのような立派な胸に育ちましてよ」

 女子一斉に歓喜。あたしも一瞬信じ掛かった。

「さあ、一郎くんを虜にするために参りましょう」

 ま、まずい、これだけの人数があるじ様を取り囲んだらさすがにマハリタの術中に落ちてしまう。

 あたしはいち早く体育館を飛び出ると自分のクラスに向かった。

「あるじ様!」

 予想通りあるじ様は自分の席について本を読んでいる。

「どうしましたシャランラさん。もう体育は終わりですか」

「そんな悠長なことを言っている場合ではありませんよ、いまここにマハリタの肉欲軍団が……」

 とか言っているそばから教室の前後の扉が開いて、虚ろな目をした生徒のみなさんがなだれ込んできた。

「胸もませろー」「わたしのバストアップ」「ぷるんぷるんの胸」「これでわたしもFカップ」

 みな口々に自分の欲望を呟きながら、両手を前に差し出してゆっくりと近づいて来る。こういうのこっちの世界であったよね、確かゾンビ映画。

『来るな、バケモノめ!』

 ドクンとひときわ大きくあたしの鼓動が響いた。そして目の前に広がる映像。

 それが教室になだれ込むみんなと被る。

 さげすみの目、舌打ち、投げつけられる小石、罵声。

『近づくなバケモノが!』『あんたが居るからみんなこんなになるんだ!』『出て行け悪魔』

「……か、お母さん、助けて」

『何であんたみたいな子がわたしから産まれたのさ!』

 あたしは絶叫した。教室中のクラスメイト、それにマハリタに向かって金切り声を上げた。

「シャランラさん」

 あるじ様の声が遠くから聞こえる。腰が落ちて床に座り込む。

 そのとき。

 ぱーん!

 大きな音が響いた。

 あたしの意識も一気に覚醒する。

 音源はあるじ様、胸の前で手を合わせているところを見ると手のひらを打ち付けた音のようだ。

 その甲高い音に生徒のみなさんの動きが止まっている。

「みんな良く聞いてください。あなたたちのあこがれているマハリタ先生の胸部はニセモノです」

「な!」

 驚いたのはあたしとマハリタ。マハリタに至ってはまぬけな声を上げていた。

「なにを根拠にご主人様、わたくしの胸をニセモノなど」

「聞きましたかみなさん、先生は自分の胸部を胸とおっしゃいました。しかし本当にバストサイズが大きい女性は自分の胸部を誇らしげにおっぱいと呼ぶのです」

「おっぱい……」「確かにずっと胸って言っているわ」「え、あれニセモノなの?」「触ってもカップサイズは増えない?」

 生徒のざわめきが広がる。それに応じてうろたえるマハリタ。

 そこであるじ様はもう一度手を打ち合わせた。

 またもや甲高い音が響く。それはまるで集団催眠を解くかのごとく教室に響いた。

「あれ、なんで俺ここに居るんだ?」

「体育館でバスケットのはずでしょ」

「おーい平山。なんでここに居るんだ」

 そんな中。

「マハリタ先生、そろそろ授業も終わりますね」

 あるじ様がそう静かに告げると四時間目終了のチャイムが鳴り響いた。

「ええとみなさん、とりあえず体育の授業を終了します。男子と女子はそれぞれ更衣室にて着替えをすませてください」

 マハリタの声にうなづくみんな。まだどこかきつねにつままれた表情で教室を出て行く。

 その中であるじ様はゆっくりとイスに腰掛けた。

 

 

 そしてアパートに帰ってきて二号室の居間。

 ハゲ頭が土下座していた。その隣で乳魔人も土下座していた。

「まことに申し訳ございません田中様」

 額をじゅうたんにこすりつける係長に対してあるじ様は先ほどからシブイ表情を続けていた。

「ハイサーさんの責任ではありませんし、どうか頭を上げてください」

「いえいえこれはわたしの監督不行届。わたしがお詫びせずなんとしましょう」

 あるじ様、たぶんその頭が照明反射してまぶしいだけだと思うんだよね。

「とりあえず今回は大事にならなかったのですし、今後気を付けていただければぼくは攻めはしませんよ」

「いやあるじ様。マハリタは責めましょうよ」

「なにをおっしゃりますのシャランラさん。せっかくご主人様がああおっしゃっていらっしゃるのに」

「君はだまりたまえ、マハリタ!」

 とそこで係長の魔法デコピンがマハリタの額に炸裂した。うわーあれ痛いんだよね。マハリタ昏倒しているし。

「しかしマハリタさんはずいぶんと責めてきましたね。シャランラさんがここまで積極的で無かったので安心していましたが今後気をつけなければいけません」

「それについてはマハリタの催眠魔法についてこちらで封印させて頂きます」

「そうして頂ければ良いのですが、ひょっとして他の魔人の方々は、マハリタさんのように肉食系が多いのですか?」

「比率で言うとそうかもしれません。なにしろ魔人レベルが上がるということは地位がそのまま上昇することになりますので」

 なぜかそこでちらりとあたしを見るあるじ様。

「自分の欲に正直と言うことでしょう。そこは人間も魔人も変わりないですね」

「ところであるじ様。マハリタはどうするんです」

「まあ一応罰は考えてありますから。たぶんマハリタさんには一番きついでしょうね」

 その罰則とは。

 

 

「シクシクシクシクシクシクシク」

 んー、もうこれはこれでうっとうしい。

「何よ、完全に拒絶されたわけでは無いでしょ」

「それはそうですけど、シクシクシクシクシク」

 そんなわけで夜、あたしとマハリタは三号室の居間で布団を並べていた。

 丸一日あるじ様の半径三メートル接近禁止令で二号室で就寝適わず、マハリタに割り当てられた一号室で一人で寝るのは忍びないとあたしの部屋にやってきた。それでさっきからさめざめと泣いている。

 なるほどあるじ様の「何も相手にしないのが一番のお仕置き」というのは効果的だと思うのだが、なぜにあたしにとばっちりがやってくる。

「シャランラさんとは魔法学校からの長いお付き合いだからでしょう」

 判った判った。どうやらあたし考えていることが他人に漏れる天才体質なんだ。日本のマンガにそういうのがあったよね。そう考えないとやってられない。

「それとシャランラさん。ごめんなさい」

「あたしじゃなくてあるじ様に謝りなさいよ」

「そうでは無くて……もしかしたら、こどもの頃を思い出したのでは無いかと思いまして」

「……うん、ほんの少しね」

「わたくしそのつもりは全く無かったのですが、もしシャランラさんの心の傷を……」

「それも判ってる。だからもうそれ以上は言わないで」

「……はい」

 マハリタの消え入りそうな声。判ってる。こいつはお腹真っ黒だけどホントにやったらいけないことはわざとやらない。

 もうあんまり考えていても仕方ない。

「寝よ寝よマハリタ。あたし明日も速いから。おやすみ」

「おやすみなさい、シャランラさん」

 静かになる部屋の中。あたしは余計なことを思い出さないように目を閉じた。

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