■ 18 アインシュタインはかく語りき

 夕食を終えてからあたしとあるじ様はテレビを見ている。

 このテレビ、画面があまりに大きくてそれなりに離れないと見ていて疲れるのだが、実は二分割して二つの番組を同時に見ることができる。

 音声はどちらかだけ聞けるが、あるじ様は無線のイヤホンで別画面の音声を聞いていた。

 あたしはアニメーションかクイズ番組、ニュースを見ている。いま放送しているのは近年のノーベル賞特集というものだ。

 ノーベル賞とは世の中の焼くに立つ発明・発見をした人に贈られる、この世界での国際的な賞らしい。

「シャランラさんの世界でもノーベル賞のようなものはあるのですか」

「ありますよ。以前お話した第一種第一級魔神クラスの方が、世界的に優秀な発明などを行った魔人に贈る名誉があります。初代の魔神にちなんで『ラミパス賞』と呼ばれてますけど」

「それは毎年贈られるのですか」

「定期的なものではありません。何か画期的な発明が行われてそれが評価されれば随時発表されます。有名なのは精霊通信網の開発者に送られました」

 あるじ様も今はあたしと一緒にドキュメンタリーを見ていた。

 近年日本からノーベル賞を受賞する方々が増えていて、これまで目立たなかった研究の成果が花開いているからだと解説者が笑顔で説明していた。

 続いて今後ノーベル賞が期待できそうな研究について説明されている。一つは物理学のニュートリノと呼ばれる物質の実験結果について、もう一つが遺伝子異常による神経性筋肉硬化症の特効薬、それとヒト遺伝子の高速判定システムの発明らしい。

 自慢で無いがあたしにとってさっぱりな内容だった。

「あるじ様、質問しても良いですか」

「お答えしても良いですけど、シャランラさんに理解できる説明が出来るか保証しませんよ」

 ぶー。確かにその通りなんだけどさ。

「と、とりあえず、ニュートリノって何ですか」

「日本語にすると中性微子になりますね。もともとは中性子がアルファ崩壊したときに電子と陽子になりますがそれだけだと反応後の質量とスピンが合わないために、何らかの粒子が欠損した質量をエネルギーに変換して持ち去っているのだろうと預言されたものです」

 おかしい。確か日本語を翻訳理解するためのライブラリは購入したはずなのに、あるじ様のしゃべる用語がさっぱり判らない。

「何となく質量がエネルギーにって聞こえましたが」

「アインシュタインの特殊相対性理論で有名な質量はエネルギーと光速の二乗をかけたものに等しいというものですね。実際に超高エネルギーの粒子加速器では素粒子の衝突後、発生したガンマ線から陽電子と電子のペアが生成されることがありますし……」

「ターイム!」

 あたしは腕をクロスさせた。

「判りました、いや判りませんがダメです。こちらの物理学の基礎知識もなしに全然理解できないお話です」

「こちらの物理学とシャランラさんの世界の物理学は同じなのですか」

「同じだと思います。ニュートリノって言葉は聞いたことがないですけど同じものが別の発音かもしれませんし。カンデーラにも精霊機械が発展するに従って電磁力が注目を浴びていますし、違いと言えば精霊力の有無くらいではないですかね」

 木の実は熟すと地面に落ちるし、天の星は一定の運動をし動きを予測できる。炎は熱くて氷は冷たく静電気には痺れるからきっと同じ。

「精霊力は決定的に大きな違いだと思います」

「そうなんですか……でもエネルギーと質量が同じってカンデーラの魔法学でも似たような話があったような。そうそう、事象改変と精霊力は等価だって論文でした」

 あるじ様は無反応だけどあたしは説明を続けた。

「例えば精霊力を消費して炎を起こしたとします。以前はこの精霊力から事象改変は一方通行だと思われていたのですが、術式を制御することで事象から精霊力に変換できたんです」

「それでしたら自然のエネルギーから精霊力が作り出せるはずですし、人間の歓喜のエネルギーは必要無いのではないですか」

「ただその事象から精霊力変換がとてつもなく難しいんですね。変換のための精霊量はほとんど必要無く術者の体内に精霊力を取り込むことになるんですけど、自然に起きている事象はつねに混沌としていて、取り込んだ術者の中で暴発しかねないんです。だから実験レベルでしか成功してません」

「シャランラさんは行ったことがあるんですか」

「ほんの小さな炎を精霊力にしてみたことはありますけど、やっぱり精霊力が暴れて精霊酔いになりました。しかもそれを体外にうまく放出できなくてしばらく頭が痛かったですよ」

 それにしてもこれだけの話が通じているように見えるのに、どうしてあるじ様は魔法を信じてくれないのだろう。

「次の神経性筋肉硬化症の特効薬って必ず効く薬ってことですか?」

「そう考えて問題無いでしょう」

「これってどんな病気なんですか?」

「筋肉を動かすために脳から指令を伝達する神経に異常を起こして常に緊張状態になり、やがて筋肉が硬直して動かなくなる病気です」

 あ、こっちの説明は何となく判る。

「症例は少ないようですがそれでも関連する病気はありますから特効薬ができたことは病気の方々に救いではないかと思います」

「こちらでは薬や徒手による手術で病気やケガを治す技術が進んでいますね」

「ところでシャランラさんの世界ではケガとか病気も魔法で治せるのですか?」

「ケガも病気もどれほど重いかによって治癒の成功率が変わるみたいです。魔法で治すと言うことは術者の生命力を注ぎ込むことになるのだそうです。つまり相手が治っても治した方が生命力を失ってしまうんです。ただ術者が健康であれば病人より確実に回復できるってことですね」

「寿命を延ばすことはできるんですか?」

「それは魔法でケガや病気を治すことと原理は同じです。つまり自分の寿命を相手に付け足すしか方法は無いみたいです。輸魂[ゆこん]魔法と言って最大難易度ですよ。まともに行えるのは魔神レベル、しかも複数の魔神が連携して行うものです」

「なるほど。つまり誰かの命を削らないといけないわけですね」

「魔法学として解明しているのは、命はエネルギーと同じで保存則が成り立つとか。そこら辺の話はさっぱりなんですけど」

「だとすると完全に死亡した魔人を生き返らせる事は不可能なようですね」

「研究はされていると思うのですけど、倫理的にどうとかいろいろ問題があるみたいですよ」

「そうですか」

「まあこれだけ説明してもあるじ様は、魔法より科学を信じるんでしょうけど」

 ほんの少しだけ皮肉のつもりで言ったのに、あるじ様は無表情を崩さずに首を振った。

「どうやら誤解があるようですね。ぼくは魔法を信じていませんが科学も信じていませんよ」

「え? あれそうなんですか?」

「進んだ科学は魔法と見極めがつかないという言葉がありますが、ぼくにしてみればどちらも危ういものですよ。科学は利用できていると思いますけど万能ではありませんし」

「こちらの世界を見ているとそんなことは無いと思いますけど」

「もし科学が万能であれば、人類は追い求めているものをとっくに掴んでいるでしょう、それこそ魔法にすがらなければ求められないものを」

「それは何ですか?」

「永遠の命。死との決別です」

 そのときあるじ様の目が強く輝いたように見えた。

「シャランラさんのお話を聞く限り、魔法でもそれは求められていないようですしね。でしたら科学も魔法も信じるに足る存在ではありません」

 あるじ様はそう言ったきりテレビから視線を離してしまった。

 ふとコタツの上を見ると今日のお菓子の粟おこしが無くなっている。

 あるじ様は腰を上げると台所に向かった。こんなときは召し使い同然のあたしが向かうのが一番だと思うのだけど、お菓子の管理はあるじ様。あたしに任せると無節操に食べてしまうとのことだ。

「うむ」

 珍しく台所からあるじ様のうなる声が聞こえてきた。

「どうしました?」

「菓子の在庫を見るついでに明日の朝食に考えていたメニューを調べたのですがどうやら買い忘れていたようです」

「別に他のメニューがあれば問題無いと思いますけど」

「そうですか。なら良いのですが明日はコーンシリアルにしようかと……」

「それはいけません! あたしこれから買いに行ってきます」

 あたしは全力でうなづいた。

「大丈夫ですか、それなりに遅い時間ですよ」

「平気です。コーンシリアルのためなら何でもありません」

 そしてお金を預かると夜の町に出た。

 あたしあのコーンシリアル大好きだ。牛乳をかけたときに堅い部分と柔らかい部分ができてどっちも好み。少しだけ砂糖かハチミツを混ぜて食べるともう幸せ。

 あるじ様の朝食ローテーションだと一週間に一回くらいしか出て来ないのに、このチャンスを逃すわけにいかない。あたしは強い決意を込めて峰京町を進む。目指すは深夜まで営業しているスーパー丸一。

 考えたらこんなに夜遅くに外に出たのって初めてかもしれない。この町はそこそこ人が住んでいるけど夜九時を過ぎると出歩いている人がほとんど居ないみたい。

 カンデーラの首都はこの世界と同じように夜でもみんな活動している。違いはこちらの夜の方がより暗いことだろうか。

 魔法で夜も昼にできるという話だけどさすがにそれは反対派が多くて実現していない。あたしとしては夜はこれくらい暗い方が夜らしくて良いと思う。

 まるっきり無人の道を歩いているとどこかさびしく感じる。ま、気分はコーンシリアルなので気にならないけど。

 さて次の角を曲がればスーパーの入り口が見えてくるはず、そこで目に入ったのは数人の男女。正確には女性が一人と男性が三人。

 もっと具体的に言うと大人しそうな女性は十代後半。どうやら塾からの帰り道なのかメガネをかけてとても質素な感じ。ただあれだ。夜道で見ても判る「おっぱい」の人だ。

 残りの男三人はどうみても×な感じ。何て言うんだろう異世界の魔人から見てもまともじゃない雰囲気がプンプンとしている。環境で悪人になったってタイプでは無いね、匂いで判るもん。

「だからさあもう夜も遅いし俺達が送って行ってあげるからさあ」

「あの……わたしの家、すぐそばなんです」

「まあまあそんなこと言わずにさ」

 うわっ、何か話が通じていない上に強引すぎるよ×軍団。胸は大きいけど小柄な彼女はあたしの職場の同僚を思い出させるけど、とてもひ弱そうで男たち三人から逃れることができなさそうな。

 なのであたしは胸に目をつぶって女の子に加勢する。

「ハーイ、待った?」

 あたし大声で駆け足で女の子に近づく。当然のこと四人の視線があたしに集中するがあたしの目標はメガネっ子だけ。

「ささ、速く帰ろう。あんまり遅いから心配しちゃった」

「あ、あの……」

「なんだあてめえは!」

 メガネっ子の右手を取ってその場を退散しようとしたあたしの目の前に男が回り込む。金髪にピアスに三白眼。日本のアンタッチャブルデーターベースに検索かけなくてもいわゆる不良の方々だと判った。専門用語でヤンキーと呼ぶらしい。

「この子あたしの友だちなの。戻ってこないから心配して迎えに来たんだよ」

「何でガイジンのネエチャンが迎えに来るんだよ!」

「失礼だなあ、今の日本は国際化してるんだよ。地方都市にだって外国籍の人はたくさん居るんだから。それよりも速く帰ろう」

 そしてメガネっ子の腕を引くあたし。それでも回り込む金髪。

「どいてくれる」

「やだね」

「あらそ。どいてくれないと痛い目にあうよ」

「おもしれえ、どうするのか――」

 金髪、あたしの前に崩れ落ちる。

 何をしたかって? 男って判りやすいところに急所があるでしょ。そこは魔人も人間も同じみたい。

 そこに思いっきり膝蹴りを入れた。なんかいやーな感触があったけど潰れていないと思う。

 悶絶する金髪にうろたえる残り二人、あたしはメガネっ子の手を引いて一気に駆け抜けるとスーパー丸一の中に飛び込んだ。

 そして店員に状況を説明してメガネっ子を保護して貰う。一応親にここまで迎えに来て貰うことになった。

 店員のみなさんが調べたけど金髪は逃げ出していた。あれが一人で動けると思えないので二人がかついで逃げてったのだろう。

 少ししてメガネっ子の父親が自動車で現れた。何度もお礼されて、

「あなたも危険でしょうから近くまで送りましょう」

 と言う父親に説得されグレートハイツの近くまで送って貰った。

 うん。胸は大きかったけど女性を助けて良かった。

「ただいま帰りました」

「おかえりなさい。ところでどうして手ぶらなのですか」

「あ」

 結局コーンシリアルはお預けになった。とほほ。

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