■ 17 開け! 地獄門

 土曜日、二号室のお掃除と一週間分のお洗濯を終えるといくつかの変化が起きていた。

 一つは先週あるじ様が契約していた光回線が開通したこと。これで世界中の参加者とゲームが行えるようになったという。

 また液晶テレビでインターネットサイトと言うものが見られるようになった。

「ランプの世界にこちらの世界のインターネットみたいなものは存在するのですか」

「あるにはありますけどここまで大規模ではありません。精霊電話の通信網で情報のやりとりを行う程度ですね」

 例によってそこら辺の技術的な何かを説明できない自分がもどかしい。インターネットと精霊通信網の大きな違いは転送できる情報の容量くらいしか説明できなかったが、あるじ様はそれで納得したみたい。

 あるじ様は別に購入したキーボードとマウスと呼んでいる機器を使っていくつものサイトを見せてくれた。ニュースを取り扱ったもの、お天気予報や料理を詳しく解説しているもの。

 興味はあるけどキーボードのカチカチはどこか苦手だ。発音とスイッチを割り当てているために一つ一つ探して押すのが面倒に思える。

「カンデーラでの情報端末の入力はなでるものですから。こんなスイッチの固まりはよほど慣れた一部の魔人くらいしか使いません」

「そこは技術的な差異ですから仕方ありません」

 聞けばマウスだけでもサイトは見て回れるとのことなので、あるじ様に教えて貰いながら使って見よう。

 光回線の開通に伴って居間の片隅に固定電話機が置かれた。あたしの精霊電話から指定の電話番号に発信すると何かの曲が流れる。

「日本の普通の固定電話とIP電話の違いを説明しても仕方ないでしょう。ですからこれが固定電話だと思って頂いて間違いありませんよ」

 うん。ここでその説明を聞いても昼食と同時に忘れそうだ。

 もう一つの変化は隣の部屋だった。

 三号室の水道・ガス・電気が開通した。実は一号室のそれらも同時に開通しているためにグレートハイツスズキは全ての部屋が即入居可能となった。

 あたしは三号室の鍵を預かって早速部屋に入ってみる。

 蛇口をひねると水が出る。瞬間湯沸かし器からはお湯がでる。お風呂場とトイレも問題無い。

 照明はつり下げ型の蛍光灯だがヒモをひっぱるときちんと点灯した。

 居間には据え付けのタンスの他にあるじ様の部屋にあるのと同型上のコタツが一つに、あの大型液晶テレビを購入したときにおまけして貰ったという小さなテレビがあった。

 小さいと言っても対角線での大きさは三二インチ。アンテナとかの配線は済んでいる。

 押し入れの中は空っぽ。

 夕食をあるじ様と摂ったあと、

「それでは今日からお休みのときは三号室を使用してください。壁は防音処理を追加していますがあまり騒音を立てると近隣の住民に迷惑とされるので注意して下さい」

 あたしはあるじ様から受け取った布団一式と寝間着を床に置いてふうと息を吐く。

 何だか広い。面積なら隣の居間と変わらないのにどこか寒々しい。

 蛍光灯の明かりが追いついていないのかな。見上げるとそこそこまぶしいけど何かが足りない気がした。

 リモコンを取り上げてテレビを点けてみたけどそれは変わらない。

 しばらくはニュース番組を見ていたけどふと手を伸ばしたコタツの上に、お茶もお菓子も無いことに驚いた。

 そういったことにぬかりのないあるじ様は台所に追加された小さな冷蔵庫にペットボトルのお茶が入ってる。戸棚にはお皿とコップ、それにえびせん。あたしの好きなお菓子だ。

 それらを持って居間に帰ったけど何だろう、やっぱり足りないまんまだ。

 部屋が広すぎるからかな。でもカンデーラのあたしの部屋より狭いんだし。

 家具とかが何も無いからかな、でも以前のあたしだってそこまで家具持ちでもアクセサリ持ちでも無かった。

 そこで改めて思いついたこと。あたしがここでひとりぼっちだということだった。

 部屋の中で一人、それはカンデーラでも同じではなかったか。ランプの魔人として勤め始め、家を出てから一人で暮らしていたはずでは無かったか。

 そっか、いまはそのときと同じなんだ。それまでそばにお父さんが居て一緒にご飯食べて精霊動画見て本を読んで。

 一緒に過ごしている人が居なくなってあたしは一人になったんだと改めて思ったからだ。

 ……思い出したくも無い、ちっちゃな頃に戻ったみたいで怖かった。

 目を開けるとおはようと声をかけてくれる人が居なくて、お腹が空いても誰も相手をしてくれなくて、泣いても叫んでも遠回しにしかあたしを見てくれない魔人々。

 もうそんな生活は終わったんだ。あたしはお父さんと家族になったんだ。ひとり暮らしを始めたばかりの部屋であたしは何度も何度もそう言い聞かせた。

 あのときに比べれば……あたしは壁越しに二号室を見る。そこにはあるじ様が居るはずだ。

 そう言えば、あるじ様は何をされているのだろう。

 あたしにプライベートな部屋を提供する理由として、あるじ様もプライベートな空間を求めていた。あるじ様はあたしが居ない部屋で何をされているのかな。

 興味がわいてしまった。

 もしかしてもしかするような光景になったら全力で目をつぶるとして、あたしはつま先だった。

「シャルルリラー。壁を透明にして隣の様子を映せ」

【魔人シャランラに警告。使用した魔法は貴殿の魔人レベルより逸脱するものである】

 これはそれなりに高度な魔法だ。実は第五級でないと使用するたびに警告がでるのだが一応使える。警告も出るだけで魔法が効かないことはまずない。

 障害物を透明にして覗き見するための魔法だ。透明になるのは一方通行、あたしから見ると透明で、あちらからは普通の壁のまま。

 確かにこれが一般に使用しまくられたらプライベートも何もない。だから第三種魔人以上、日本で言うところの国家公務員にしか使用を許されていないのだから。

 そうそうあたしってこれでも公務員なのだ。胸の大きさは関係ないのよ。

 それはどうでもいいけど……

 無事壁が透けて二号室の居間が見えている。まだあるじ様は起きているみたい。

 コタツの前に座って本を読んでいる……あれ、いつものカバー付きの分厚い本じゃない。

 あたしは目を凝らしてその本のタイトルを調べた。『百万回生きたねこ』その装丁からこども向けの絵本と呼ばれるものではないだろうか。

 かなり汚れて表紙も傷んでいる。何回も読み返された証拠だ。何だかあるじ様と似合っていない。

 あと声は聞こえないんだけど口がわずかに動いていた。ページをめくる手と口の動きが連動しているところから、ひょっとしてその絵本を音読しているのだろうか。

 よくコタツを見るとお茶とお菓子以外に見慣れないものが、いや見たことはあるのだが意外なものがあった。

 小さなクマのぬいぐるみ。普段は戸棚の中から台所を監視しているあれだ。

 もしかしてクマのぬいぐるみに絵本を語りかけているの。あるじ様が?

 あたしはちょっと混乱した。

 いつもは無言で本を読んでいるあるじ様。たまに音読したと思ったら、

『一五世紀中世ヨーロッパで行われた魔女裁判は裁判と言いながらその過程は拷問そのもので、魔女としてとらえた女性をどのように自供させるかでは無くどのような精神的肉体的苦痛を与えるかに主眼が置かれた。しかし精神的な拷問は高度な技術を要したのに対して肉体的な拷問は苦痛という判りやすい五感に訴えかけるためにあまり手練れを必要とせず、鍛冶職人の協力を得て各種の拷問器具の発達を促した』

 何てことを聞こえよがしに口にするあるじ様が絵本の朗読?

 笑って良いの? どちらかというと怖いんだけど。

 呆然としているあたしの目の前で絵本を閉じたあるじ様は、充電中のiTelを取り上げて何か操作している。どこかに電話かな。

 テンテロリンリンテンテロリン♪

 間近で聞こえた着信音、団体で首から下に移動するあたしの血液。

 あたしは震える指で精霊電話を取り上げると発信先をなるべく見ないように着信ボタンを押して耳に当てた。

「……もしもし」

『……なお拷問器具は痕をほとんど残さないものと肉体を完全に破壊してしまう形式のものがあり、前者は裁判の形式上尋問での詳言用、後者は魔女への制裁目的に使用された……』

 ひー!

『とりあえずこちらに来て頂けますかシャランラさん』

 あたしに拒否権は無かった。逃げられなかった。

 二号室の居間であたし座布団無しの正座。まだ寝間着を着ているだけましか。

「妙な視線を感じまして。どこからか監視されたのかと思いました。ただぼくは中二病ではありませんし自分がそこまで特別な存在だと思っていません。これはもしかしたら美少女ランプの魔人ことシャランラさんを狙ったものかと思ったのですよ。なにせ観察している方々にしてみるとあなたが三号室を使用し始めたのはまだ知らないはずですし」

「そ、そうですね」

「まさかとは思いますけど、魔法を用いてこちらの部屋を透視していませんよね。もし透視魔法などと言う破廉恥きわまりないものが存在したとしたら個人のプライベートなど無いも同じですからね」

「そ、そうですね」

 だらだらと流れ続ける汗。ああ、今のあたしってばあのときの平山さんと同じだ。やっぱり魔人も七割は水で出来ている。そのうち二割は汗だと思う。

「いやはや困ったものです。ぼくは昔家族が良く読んでいた『十万回生きたねこ』が見つかったので読んでみただけなのに」

「あれ、百万回では……」

 あっ。

 凍り付く居間の中。あるじ様のメガネが鈍く光って瞳が見えない。

 あたしバカだ。

「どうやらシャランラさんにはきついお仕置きが必要のようですね」

 LED照明の下、あるじ様が目を細めて笑顔を作る。なにこれヤバイ、もうどうしようにもヤバイ雰囲気が。

 今すぐここから逃げろとあたしの中の精霊が訴えているのよ、ハリーハリー!

「そこを動いてはいけませんよシャランラさん」

 ギャー! 動きを止められた。何と言う拘束力!

「そして目を開けたままぼくの方を見るのです」

「ななななにをされるつもりですか、あるじ様。暴力反対!」

「大丈夫。例え魔人であっても女性に暴力は振るいません。ただあなたにはぼくの魔法を見てもらおうと思ったのですよ」

「魔法?」

「良くバトル物のマンガや小説にあるのですよ、地獄の門を開く術がね。それをシャランラさんにもお見せしましょう」

 じりじりと近寄るあるじ様。後ろ手に隠しているのは何?

 間近になったあるじ様はその隠していたものをあたしの目の前に出した。

 ま、まさかこれって。

「そう、GハンターXの三週間ものです」

 Gハンター、すなわち台所にはびこる悪魔の化身、Gを粘着力で捕まえるためのトラップ。

 しかも三週間もの、その小さな隙間から見えている触覚は何、かさこそって音は何!

 そしてそのトラップの天井の構造はもしかして観音開き!

 Gハンターはいよいよあたしの目と鼻の先。

 そこであるじ様は天井の両側に添えた手を思いっきり開いた。

「……開け、地獄の門」

「――――――――――――――――――――――――?!」

 

 

「おはようございます、シャランラさん。もう朝食の用意ができますから布団を片付けていただけますか」

 さわやかな土曜日の朝。どうしたんだろうあたしずいぶんとぐっすり寝ていて。

 何気にテレビを見ると仮面も着けてないし自動二輪にも乗っていないヒーローが怪人相手に大暴れしていた。変身装置の声が妙にシブイ。

 ……あれ、この番組って日曜日の朝に放映してなかったっけ。

「シャランラさん、布団」

「すいません、ただいま片付けます」

 あたしは部屋の隅っこに電話が追加されていると重いながら布団を押し入れに収めた。

 何か忘れているような。ま、いいか。

 とても……さわやかな朝だ、うん。

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