第2話①
「とまあ、そんな具合にな。自警団の捕虜から復讐女の捕虜に転職しちゃったのよ、オイラ。むっさい野郎どもに殺されるよりはマシなんだろうけど、こーんな首輪付けられちまって、気分は捕虜っていうより奴隷だ、奴隷」
首に嵌められた首輪を指さして、アルジール・シーブスはけらけらと笑った。
アルの話を聞いているのは、同じテーブルを囲んでいる三人の男たちである。その中の一人、髭面の男が「でもよお」と切り出した。
「その奴隷がどうして、こんなところでビール煽りながらくだまいてんだ」
こんなところというのは、とある農村に一件だけある小さな酒場のことである。日が沈んでしばらく経ったこの時間帯、店内には仕事を終えた男たちが大勢集まって騒がしい。中には妻子連れできている者たちもいるので、ちびっ子の嬌声と酔っぱらいのわめき声が混ざり合って混沌としている。
「なんでビール飲んでるかって? そりゃあ飲みてえからだよ。奴隷だって労働のあとのビールは美味いんだ」
「いや、そうじゃなくってだな」
「ああ、なんでここにいるのかって話な。もちろん、逃げ出してきたんだよ。決まってんだろ」
だってよお、とアルは続けてまくしたてた。
「オイラのこと家族の仇だって言ってる女の子。エルちゃんっていうんだけどよ。あいつ捕虜の扱いがひでえんだ。あれしろー、これしろー、でもそれはだめー。って、犬のしつけかっつーの。しかもな、ちょっとでも言うこと聞かないとお仕置きされるんだよ」
アルはシャツの袖をまくって、二の腕を露わにした。
「見ろよこれ。ひでえだろ?」
尋ねるまでもなく、髭面たち三人の男は表情をひきつらせていた。
「お前の飼い主はお仕置きで刺青させるのか……?」
「あん? あー、いや、タトゥーは自前だよ。エルちゃんにやられたのはこっちのアザ。かったいブーツでがしがし蹴ってくるから、もう身がもたねえよ」
「刺青が邪魔でどこがアザだかわかんねえんだがな」
「えー、そんなことねえだろ。つか、刺青じゃなくてタトゥーって言ってくれよ。そっちのほうがオシャレだろ?」
「オシャレっていうか、ガラ悪く見えてダメだな」
「うちの息子がそんなふうになったら泣くな、ワシ」
「うっそ、マジかよ。厳しいな世間の目」
がやがやと益体のない話に興じながら酒を飲む。なんと楽しいひと時だろう。復讐女ことエルに殴る蹴るの暴行を受けながら、ろくに酒も飲めない日々を二週間ほど過ごしていたからか、なんでもないこんな時間に至高の幸福感を覚えてしまう。
けれどアルは理解していた。この時間が長くは続かないことを。
「お、なんだあその赤い調味料」
自前の小瓶から赤いパウダーを鶏の唐揚げにふりかけていると、髭面に尋ねられた。
「これか? オイラ特性の激辛スパイスだよ。揚げ物にかけるとメチャクチャうめえんだ」
「ほっほー。どれ、ひとつ食べさせてくれよ」
「うーん……、やめといたほうがいいんじゃねえかな。唐辛子を生でかじるくらいの辛党じゃないと、火ぃ吹いて死んじまうぜ?」
「そう言われると余計に気になるなあ」
「いやいや、マジにやめとけって」
などと、アルと髭面が話しているときだった。
「アルジール・シーブスッ!」
突如、酒場の喧騒を打ち払うように鋭い声が響いた。客達の目が一斉に店の入り口へ向けられる。
唐揚げを指でつまもうとしていた髭面が、「おっ」と嬉しそうな声を上げた。
「なんだあ、祭りでもないのに踊り子が来たじゃねえか。でも一人だけだな。仲間とはぐれたジプシーか?」
アルは入り口に背を向ける席にいたが、振り返ってみるまでもなく、来訪者の正体はわかっている。ガッ、ガッという、床が心配になるほど硬質な足音が聞こえてくれば、なおさらだ。
足音はアルの背後で止まった。
「アルジール・シーブス。こんな自由行動を許した覚えはないのです」
「あれ、そうだっけ。よく覚えてねえなあ」
「事実がないのだから覚えていなくて当然なのです」
踊り子衣装を身につけた少女―――エルはおもしろくもなさそうに言った。
そりゃそうだ。アルはククッと喉で笑って、ジョッキの中身をあおった。
すると、髭面が怪訝そうな顔を寄せてきた。
「アルよお。もしかして、その踊り子がおまえさんの、その……飼い主というか、持ち主というか……なのか?」
「そ。年上の男を首輪つけて奴隷にして喜ぶ変態女さんだよ」
「人聞きの悪い事を言わないで欲しいのです」
「それじゃお嬢ちゃんは……、その、アルジールに家族を……?」
「殺されたのです」
ことの成り行きを興味津々で見守っていた客達がざわついた。アルと楽しいひとときを過ごしていた髭面たち三人も、アルのことを見る目を変えた。
アルはくひひっと笑った。
「なんだ、もしかして冗談だと思ってたのか?」
「そりゃあ……あんな嘘みたいな話を聞かされちゃあな。作り話だと思っちまうだろ」
「田舎の人たちは純粋だなあ」
つい最近まで居着いていたアジュールはやくざ者ばかりの荒くれた町だったから、農村の人々の純朴さがアルには新鮮だった。
「そうだ、エルちゃんもここで暮らしてみたらいいんじゃねえ? 畑で野菜をつくる日々を送れば、復讐なんて後ろ向きな気持ちを忘れて、前向きに明るく楽しい人生を送れるかもよ」
エルはアルのすぐ前までやってくると、おもむろに彼の首をつかんだ。ルビーの瞳がアルを至近距離で見据える。
「あの、エルちゃ―――」
最後まで言い切る前に、アルは悲鳴を上げた。エルに椅子ごと引きずり倒され、床に後頭部をぶつけたのだ。
少女の華奢な腕が発揮した予想外の膂力に、店内にざわめきが広がった。立ち上がってアルたちを取り囲んでいた客達が、それぞれのテーブルに退散していく。相席していた髭面たち三人も、席を立ってアルたちから離れていった。
周囲の様子にはお構いなしで、エルは仰向けになったアルの上に馬乗りになった。
「逃げても無駄だと言ったはずなのです。この首輪―――」
エルはアルの首輪に触れた。
「これあなたの力を封じています。そして、わたしは臭いであなたを追いかけることができます。だから逃げられないのです。現にあなたは、この二週間で三十回以上も逃亡に失敗しています」
「無駄とかできないとか言われるとさ。頑張りたくなっちゃうんだよね、オイラ」
「それは嘘なのです」
即答だった。アルはくかかっと笑った。
「そう、嘘だ。オイラは無駄なことはしたくないし、頑張るのもけっこう嫌い。でも死ぬよりは頑張るほうがマシなんで、こうして何度も脱走を試みてる。―――ところで、努力する男ってかっこ良くねエ?」
「そういうことはよくわからないのです」
エルはにべもなかった。
エルは肩掛けカバンからリードを取り出して、アルの首輪にとりつけた。このリードは小さな鎖をより合わせてつくった特性のもので、とても頑丈にできている。捕まったばかりの頃は普通のヒモだったのだが、何度もヒモを切って逃亡していたら、こんなことになってしまった。お陰で逃げづらくてかなわない。
「さあ、旅を続けるのです」
「その前に飯食わせてくれよ。せっかく注文したのに、食べないのはあまりにもったいねエ」
「駄目なのです。わたしは急いでいるのです」
エルの故郷であるルーメンスまでは数ヶ月の旅路になる。ここで食事をする時間をとったところで、たいした違いはないはずだ。彼女の判断はあまりに厳しい。なにより、アルはお腹が空いていた。
なので、アルは頑として動かなかった。
けれども、エルは気にせず出口に向かった。
首輪に付いたリードをエルが持っているため、彼女が歩けばアルは引きずられてしまう。店内にひしめく椅子やテーブルに、アルはいちいち頭や肩や脚を引っ掛けた。もちろん痛い。エルは力づくが大好きな女の子なので、アルがなにかに引っかかると、とにかく力任せに引っ張った。そうされるとよりいっそう痛かった。
「痛い痛い痛い痛い」
「なら自分で立って歩くのです」
「食べ物を粗末にする子の言うことは聞けない」
「む」
エルは口をへの字に曲げた。
「たしかに、食べ物を粗末にしてはいけないのです」
エルは部屋に入ってくるために壁に穴を開ける常識知らずのくせに、常識的なしつけの文句に敏感だ。夜に口笛を吹いてはいけないとか、人の話を聞くときは目を見なさいとか、それらしいフレーズにはたいてい素直に従う。夜に脱走したいときは、「寝る子は育つ」と言うのがおすすめだ。
エルはアルが食事をしていたテーブルに引き返した。アルも引きずられてついていった。往路で障害物をあらかた押しのけていたから、復路では痛い目に遭わずにすんだ。
「エルちゃん、エルちゃん」
アルは口を大きく開けた。
「あーん」
エルは意に介する様子をまるで見せず、唐揚げをひとつつまんで口に放った。
「まずいのです」
「ならそれ以上食うなよ」
次の唐揚げをつまむエルを睨んでアルは言った。
「しかし、残すべきではないのです」
ひとつ、ふたつ、みっつ、よっつ。エルは皿の上の唐揚げをつまんでは口に入れていく。
リスのように頬を膨らませ、もぐもぐと口を動かしていても、エルは相変わらず無表情だ。本当に不味いと思っているのか疑わしい。アルへの嫌がらせで適当なことを言っているのかもしれない。
エルは唐揚げをすべて平らげると、ん、と唸ってお腹を叩いた。
それから、ちろり、と舌を出した。
「なんだかピリピリするのです」
「ピリッと辛いスパイスがかかってるからな」
「スパイ……ス?」
エルは顔をしかめて、口元に手をやった。
「辛い……じゃな……これ……」
エルはなんだか呂律が回っていない。喋れなくなるほど辛かったのか、舌を出したまま犬のように呼吸している。彼女の視線が、アルの飲み差しのジョッキに向いた。
「おーっと、こいつはオイラのだぞ」
アルはひょいっとジョッキを掠めとった。これみよがしにごくごく飲んでやる。
エルはアルからジョッキを奪おうと手を伸ばしたが、不意に、糸の切れた人形のように膝を折った。そのままストンと床に尻餅をついて、びっくりした顔になる。
「足…、動かな……」
彼女の言葉は先へ続かない。声の出せなくなった喉に手をやろうとして、その手も膝の上に落ちてしまう。彼女の姿はまるで、立ち上がることのできない赤ん坊のようだった。
「――――くけっ、くかけけけけけけけけけけッ!」
たっぷり十秒ほどエルの表情を堪能してから、アルは弾けるように爆笑した。
「くけけけけっ! どうしたのかなーエルちゃーん? 身体が動かなーい? うまくしゃべれなーい? くかけけけけっ! 残念でしたぁー。オマエさんは痺れ薬を盛った唐揚げを食べちまったんだなぁー、エルちゃぁん」
アルは赤い粉の入った小瓶を懐から出して、エルに見せてやった。
「薬……。そう、ですか……」
「なーに澄ました顔してるのかなー? オイラ逃げちゃうよ? 家族の仇のオイラ、スタコラサッサと逃げちゃうよ? あ、その前にオイラの首輪なんてつけてくれちゃったオマエさんに仕返しとかしてやろうかなー、恥ずかしい目に遭わせてやろうかなー」
アルはエルの顔を右手で鷲づかみにして、ぐい、と自分の方に寄せた。キスでも迫るように、エルと鼻の触れるほどの距離に顔を近づける。エルはいつも通り硬い無表情だったが、アルが視線で舐めるように顔を動かすと、燃えるように赤い目玉でアルの顔を追った。
「大の男に首輪はめちまうようなじゃじゃ馬だけど、おまえさんも一応女なんだよな。てことは、人前でされたら立ち直れなくなっちまうようなコトが、ひとつやふたつはあるはずだ。思いつくか? つかない? あーそっか、薬が回りきってもうしゃべれないのか」
アルは首輪についたリードを外して、エルの両手を机の脚に縛り付けた。
「ははぁ。さすが露出度が高いだけあって、こうして縛ってみるとイケナイ雰囲気が漂ってくるな。ガキンチョの残念ボディーに色気なんて期待してなかったんだが、こうしてみるとオマエさんも、なかなか捨てたもんじゃねぇかもよ?」
「な……、を……」
「なにをするのー、ってか?」
指をわきわき動かしながら、両手をろくに抵抗できない少女の身体に近づける。
「こうするのさ」
ぐに、と、指先にやわらかな感触。思っていたより弾力があったので、アルは「ほう」と洩らした。押したり引いたり叩いたり。柔肌を無遠慮にいじりまわす。
アルは力加減というものをしなかったから、多少なりとも痛みはあるだろうに、エルは今までと変わらない無表情を貫いた。魔物相手の戦闘で手傷を負っても顔色一つ変えないような女だが、こんな扱いを受けたのなら、多少は常ならぬ反応を返してくれそうなものだが。
「んっとに人形みたいな奴だな、オマエさん」
反応がないならないなりに楽しんだらいい。アルはぐにぐにと好き勝手に遊びはじめた。
「……の、…す、か」
あまりの仕打ちに耐えかねてか、絞りだされたようなかすかな声が漏れた。舌先がしびれるからか、それ以外の原因によるものか、相変わらずしゃべりづらそうだ。
「わり、聞こえなかったや。なんつったの?」
「こんっ…な、ことっ。たの……し、のっ」
「楽しいのか、って? そりゃ楽しいさ。ふだんオイラのこと犬みてぇに虐げる鉄面皮女が、今はこーんな醜態晒してるんだからよ」
両手で掴んだものを、ぐにー、と左右に引っ張ると、エルの口から「ふぅっ」と息が漏れた。所有者様の表情が普段の彼女からは想像もつかない情けないものになるのを、アルはニヤニヤと下卑た笑みを浮かべて見下ろした。
「おー、こうすると豚ちゃんみてぇだな、オマエさんの顔。鼻っ面潰すと……お、これはけっこうな豚面で。ぶひぶひー、ぶひぶひー。くかけけけっ! なんだよ、オイラよかよっぽど首輪が似合いそうじゃねぇか、エルちゃぁん」
見かけによらず結構柔らかいエルの頬を両手で引っ張り、同時に、伸ばした人差し指で鼻を潰しながら、アルは満足いくまでひとしきり笑い倒した。
(さてと。そろそろ退散しようかね)
エルはなぜかアルを探すのが上手い。臭い云々は眉唾だが、なにかアルを探しだす手段を持っていることは間違いない。少しでも遠くへ逃げなければ、またすぐにとっ捕まってしまうだろう。そうならないためにも、薬の効いている間に距離を稼いでおかなければ。
アルはエルの顔から手を離して腰を上げた。
「んじゃ、オイラはそろそろ行くわ。さいならエルちゃん。短い付き合いだったけど、オマエさんのことは忘れねぇよ。
あー、ちなみにこのしびれ薬、薬効は半日くらい続くんで、それまで大変だろうけどがんばれな。幸いここはガラの悪い店じゃねぇし、野郎どもに襲われるってことは―――うぉっ?」
不意に何かに足をとられ、アルはその場に尻餅をついた。ズドン、という衝撃が尻から脳天へと突き抜けて、「あぐふぅ」と妙な声を上げてしまう
なんだよくそ、と痛みに毒づきながら足に目をやったアルは、そこに信じられないものを目撃した。
「あれ、オイラ酔っ払ってんのかな。リードで縛っておいたはずのエルちゃんの手が、どういうわけだか、オイラの両足掴んでるように見えちまうんだけど」
「事実そうなのです」
尻餅をついたアルと入れ替わるように、エルがすっくと立ち上がった。
「他に気づくことはないのですか」
「―――そういや、なんでそんな流暢におしゃべりできるんだ? ていうか縄ほどけたところで薬が効いてたら立てないはず……。
え、もしかして効いてない? そうなの? 薬効きづらそうな鈍感野郎でも半日動けなくなるような薬なのに、効いてないの? なんで? ねぇなんで?」
冷や汗をだらだらかき始めたアルを、エルは冷然と見下ろした。
「効いていました。ただ、もう効き目が切れてしまったのです」
「なんでだよ!」
「そういう体質なのです」
平然と言われてしまってはどうしようもない。アルはぐったりと項垂れた。
そんなアルの首根っこを、がしっ、とエルの手が掴んだ。小さく華奢な身体からは想像もつかない馬鹿力でもって、アルのことを持ち上げる。
「これから自分がどうなるのか、わかっていますか」
「…………お仕置き?」
「正解です」
にこりともせずに言って、綺麗なフォームで脚を振り上げるエルフィータ。
エルフィータという少女は底が知れない。気配を絶って現れ消える神出鬼没さ。小さな体にぴったりな素早さと、逆に不釣合いな馬鹿力。その上、薬物耐性までもっているのだ。これでは、彼女から逃げられるのはいつになることやら。
流星のごとく振り下ろされたブーツの踵に脳天を打ちぬかれ、アルは痛みとともに意識を失った。
LR @orikadoyuki
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