第32話 学園祭
背後ではさっそく、柏と千葉がプログラムを広げて、やれ何を食べようだの肝試しにはいつ行こうだのとはしゃいでいる声がした。こういったイベントに乗っかって、楽しむのに慣れた人間の反応だろう。
だが、八王子(はちおうじ)違った。学校全体がこういう雰囲気になると、身の置き所がわからなくなってしまう。運動会や球技大会、音楽祭などの校内イベントや、修学旅行なども反吐が出るほど嫌いだ。今日は、ただでさえ人口の多い校内に外部の人間までもが大挙して押し寄せるのだ。人嫌いにとっては、地獄絵図以外の何物でもない。
一般公開が始まるまでに、避難場所を確保しておくことにする。学園祭とはいえすべての教室で催し物が行なわれているわけではなく、準備室や控え室として利用されている場合もあった。そこへ潜り込もうという算段だ。
しかし教室を出てすぐに、八王子は漫才のときのトーンでツッコミをしなければならなかった。
「おい、テメーはなに人の後をついてこようとしてんだ。カルガモのゾンビか!」
「え、ダメなのか?」
「アゴ! 姿勢! しゃべり方!」
「お……おう、すまねぇ」
引きずるような、軽快とは言い難い下駄の足音を立てるヤツなど、ヒバ高には一人しかいない。
八王子から矢継ぎ早な指示に、相模(さがみ)はアゴをしゃくれさせ、猫背なまま腹を突き出し、〝番長Sの相模〟へと変身する。口調も、どこかぎこちないバンカラ系を意識して応じた。
「これから人がわんさか増えやがるんだろ? ぞっとしねぇぜ。しかしだ、貴様のことだから、少しゃあマシな所を知ってるんじゃぁねぇかと思ってな」
「チッ、お見通しかよ」
八王子は、一転して豪快な足音がするようになった背後へ吐き捨てる。
ただ、ついてくるなとまでは言わないでおいてやった。
転校してきて二ヵ月たらずの相模は、まだ校舎の全容を把握できていないだろう。それを捨て置くというのは、やはりあまり格好のよろしいものではないように思えたからだ。
本気になれば、このゾンビ野郎を人混みに巻いて行方をくらますことなど、わけない。
「催し物に使われてねー教室を探すんだよ。多少はウチの生徒がいるだろうが、ワケわかんねー外部の連中まではなだれ込んでこねーだろうからな」
「承知の助。じゃあ俺も探すんだぜ」
少しずつ行き交う生徒が増え始めた廊下を、一階から上に向かって攻めていく。
しかし、主に八王子にとっての安住の地は、なかなか見つからなかった。
空き教室のほとんどは倉庫として使われているようで、他の教室の机やイスがうずたかく積み上げられており、立ち入り禁止の張り紙がしてある。
そうこうするうち、私服姿の女の子二人連れとすれ違って、ついに一般公開が始まったのを知らされた。あとはもう、人口密度が増す一方だろう。
四階の空き教室を苦し紛れに開け放ったとき、非常に気まずい空気に包まれた。
中にいたのは三年生の集団だったのだ。
ドアを閉めて立ち去るにしても、一言あってしかるべきだろう。ただ、何を言うべきか八王子には思い浮かばなかった。
するとその上から、制帽を頭に乗せた相模が顔をニュッと突き出し、大音声で告知した。
「我々、番長ズの公演は、午後三時二十五分からだ! 体育館で正座して待て!」
「……おっけ」
机に脚を乗せていた三年生の一人が指で輪っかを作って応じたのを合図に、八王子がドアをピシャッと閉める。そしてダッシュでその場を離れる。問答無用で置き去りだ。
三階と四階をつなぐ階段の踊り場、その角に体をめり込ませるようにしていると、後ろからのんきそうな下駄履きの足音が近づいてくる。
八王子は角に顔を突っ込んだまま低くうめいた。
「オマエ……よく三年相手にあんなコト言えんなー」
「番長に学年は関係ねぇだろ」
「それにしてもよー、オレ変な汗かいたじゃねーか」
「宣伝もしておかんとな。見に来てくれる奴は一人でも多いほうが盛り上がるのぜ」
「ホントに、番長キャラ装備したオマエは無敵だな」
ようやく壁の角から顔を引っこ抜き、呆れ気味言うと、相模は無駄にある上背を仰け反らせて高笑いした。
「グハハハ! なんせ番長だからな!」
性格そのものまで変えてしまえる……ように見える相方が、素直に羨ましい。人見知りで人間嫌いの八王子は、〝番長Sの八王子〟であっても内面に変わりはない。強気な物言いをしたとしても不遜な態度だったとしても、それはあくまで演技の範疇。内側まで〝無敵の番長〟になれるわけではなかった。そこが相模とは違う。
校内にもいよいよゲストが増えてくる。他校の制服姿。来年ヒバ高を受験するのだろう親子連れ。よくわからない私服の人々は、まあ……OBかなんかじゃないか。
うつむきがちに三白眼を走らせ、校内では見慣れぬ人たちを観察した。するとどういうわけか、彼らと馬鹿によく目が合った。
最初のうち、八王子にはその理由がわからなかったが、携帯電話のシャッター音が聞こえるようになると、ようやく合点がいった。
「おいゾンビ野郎、どーやらオレたちは、ちょっとした見せ物らしーぜ」
「あぁ? ひと月前じゃあるめぇし、そんなわけがあるかよ」
「お客さんらにとっちゃ、新鮮なんだろーよ」
番長Sを結成してからというもの、授業中も休み時間も登下校の最中も、とにかく四六時中それぞれの番長スタイルだ。
そのうえ、和泉に少しでも注目されようと、校内のあちこちでゲリラ漫才を行なってきた。金髪赤シャツボンタンに弊衣破帽の下駄履きドカンという物珍しいスタイルも、ヒバ高生であればいい加減見慣れた頃だろう。
しかし、学園祭に訪れたゲストにとっては新鮮というか――何かの冗談のような二人連れに見えたとして不思議はない。ましてやここは、全校生徒の六十パーセントが吹奏楽部という噂が本気で信じられているほどの文系天国ヒバ校である。ヤンキーや番長といった種類の人種は、およそ存在し得ないというのが世間の常識なのだ。
そして――この「ヒバ校に番長がいる」という噂が数時間後『番長S』に災難をもたらすとは、悪魔もゾンビも知る由もなかった。
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