第26話 弊衣破帽

 翌日。

 いつも通り予鈴五分前に登校した八王子(はちおうじ)は、柏(かしわ)の隣の席につくと、いまだ空いたままの廊下側最後尾席を見て言った。


「アイツ、まだ来てねーの?」

「そうみたい。珍しいよね、いつも早いのに」

「なんなんだよー。デケーこと言いやがるから楽しみにして来てやったのに、まだ来てねーとかナメてんのか」


 相模(さがみ)が来ようが来まいが、今日は学園祭出し物の参加受付最終日である。和泉を笑顔にするという使命を胸に秘めた八王子は、もうここまで来たら何でもいいからコンビ名を決めて、書類を提出しなければならなかった。


 学園祭実行委員から受け取ってからというもの、何度も引っ張り出して書いたり消したりを繰り返し、ヨレヨレになった申込用紙を机に広げる。記入者と責任者、出し物の種類、キャストの項目はすべて埋まっているが、団体名だけは空欄のままだ。この部分だけ、消しゴムのかけすぎで紙が薄くなり、毛羽立っている。ああでもないこうでもないと、そのとき浮かんだ最高と思えるコンビ名を書いては消し、書いては消しを繰り返したためだ。


 今日じゅうに、この手強い空欄を埋めなければならない。絶対。


 そのときだ。八王子は、廊下が騒然となるのを聞いた。うろたえる男子の声と、悲鳴に近い女子の声が錯綜する。

 柏と目を合わせてから何事かと立ち上がったとき、教室の後部ドアが開いて、異様な存在が目に飛び込んできた。


 見上げる上背、その一番上に乗っているのは、今や誰もかぶっていない制帽――しかも派手に破れている。高い詰め襟、かつ膝まで丈のある長ランを素肌に直接纏い、屈強な上半身を見せつけていた。下衣がドカンと呼ばれる太いズボンなのは、まだいい。素足に引っかけているのは、靴ではなく、下駄だった。

 いくら服装に関する決まりがないヒバ高とはいえ――


「いつの時代の番長だオマエー!」


 相方への第一声を、剣道で鍛えた全力の大声で張る羽目になる八王子。

 一方相模は軽快な足音を伴いつつ、顔を強ばらせる相方に近づいた。


「どう、これ? 番長ならさ、喧嘩に明け暮れてるかなと思って」


 言いながら長ランの前を全開にして見せると、裏地に見事と言うほかない上り竜の刺繍がコンニチハ。


「イヤイヤイヤ、格好と口調が全然合ってなくっておかしいだろーが! フワッフワしゃべってんじゃねーよ!」


 傍らで、いすに座ったまま相模を見上げ、口を全開にして固まっている柏は、会話に入って来ない。来られない。


「変かね? どう喋ればいいだろう」

「もっとさー、こう、バンカラな感じじゃねーとおかしいって。『ナントカだぜ』『ナントカぜよ』みたいな語尾で、一人称はワシで、二人称は貴様だな。よし、コレでいこう」

「わかったんだぜ」


 地を這うような了解の応答。

 しかし八王子は首を傾げた。


「……なーんかおかしくねえ?」

「仕方がないだろ、普段そんな言葉遣いしないんだから」


 言われてみれば、このゾンビ野郎は凶悪そうな顔面をしているくせに、普段は至って丁寧な口調だった。忘れられがちだが、一応は真面目で成績も優秀な優等生である。


「いやー、しかしスゲーな」一日で様変わりした相方を、頭のてっぺんからつま先まで何度も見返した。「今どきそんな格好が似合うヤツなんて、オマエくらいしかいねーって。普通もっとこう、コスプレっぽくなるじゃん。どーしてそう、馴染むかなあ。つーか、どこから調達してきたんだ?」

「家にあったんだぜ。親父のをパクってきた」

「マジでオマエのオヤジは何者なんだよ、こえーよ!」


 これまでの相模の証言を総合すると、学生時代はリアル番長であり、今はスキンヘッドで鈍器を振り回している人物ということになる。ヤバい臭いしかしない。

 もう習慣のように毎日ボコボコに殴る蹴るしているが、果たして大丈夫なのか。ある日突然、コンクリ詰めにされて東京湾に沈むことになりはしないか。

 悪魔の心を持つ男は、急に不安になってきた。


「あと無精髭と胸毛があれば完成なんだけれど、お恥ずかしいことに、どっちもあまり濃くなくて。毛生え薬ぬったら少しは変わるかね? ついでに剣道の袴で擦り切れたスネ毛って、やめたら生えてくる?」


 八王子の気持ちなどお構いなしに、自分の毛の心配をし始める相模。


(ダメだコイツ、存在そのものが異様すぎる)


 相模が話しているそばから体を仰け反らせて大笑いを始めた八王子。ひとしきり笑ってから急に真顔になり、番長ルックの大男をもう一度しげしげと眺めて言った。


「しゃくって、アゴ」

「しゃ……しゃくって?」

「こう、下アゴを上アゴより前に出す」


 実践してみせると、相模はすぐに合点がいったようだった。


「ああ……こう?」

「そー!」


 八王子は満足げに頷いた。

 その様子に気を良くしたのか、いっそう漫画に出てくる番長に近づいた相模も、アゴをしゃくれさせたまま笑って見せた。


「オマエさー、そのカッコが似合いすぎて、若干男前な番長っぽくなってたから。やるからには、オモシロにしねーとな」


 それは理由のうち、たったの三割にすぎない。

 残りの七割は、絶対にないと思うが、万が一何かの弾みと運命のイタズラで、うっかり和泉(いずみ)が相模によろめいてしまわないための予防線以外の何物でもない。

 八王子にとって、学園祭の漫才は手段だ。和泉を得るという最終目的の、過程にすぎない。


「そうかね。まあ八王子に任せるよ」

「このヘッポコがー! 口調忘れてんじゃねーぞ!」


 ここで日頃の練習の成果が発揮され、八王子のツッコミジャブが炸裂。

 相模も律儀に吹っ飛んで、床に転がった。


 当然というべきか、内の空気が凍りつく。事情を知らないクラスメートたちにしてみれば、実は番長だったクラスメイト対、ガラの悪いヤンキーが突然乱闘し始めたようにしか思えなかった。


 直後、番長がゆらりと立ち上がり、八王子を見下ろして笑った。


「貴様、いい拳持ってるじゃねぇか」


 そしてニヤリ。

 教室内に、ちょっとした笑い声と拍手が起こった。


「お……」

「……おお?」八王子は一度教室内を見回してから、もう一度相模を見た。「もしかして、ウケた?」

「っぽいな」


 お互いにニヤニヤしながらハイタッチでもしてやろうかとタイミングをうかがっているうちに、予鈴が鳴った。同時にクラス担任にがドアを開けて入ってきたので、それぞれ自分の席に戻る。


 担任の練馬は、出欠確認のためにクラスを一望してから、目を見開いて廊下側最後尾に視線を戻した。

 二度見かつガン見というおいしい反応に、八王子が口を押さえて笑った。

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