第24話 最強の男
九月も、残すところあと一日。
ついでに言えば、学園祭の有志参加申し込み締め切りも、あと一日に迫っていた。
八王子(はちおうじ)と相模(さがみ)のコンビは、いまだ参加表明を出していない。参加者名――つまりコンビ名が決まっていなかったからである。
「あー、パッとしねーなー」
恒例のジョギングをしながら、八王子はコンビ名の候補を思い浮かべた。最近は多少体力がついてきたのか、今はもう口も利けないほどへたばることはない。
「オマエはさー、『プロレスごっこ』と『険悪同級生』、どっちがイイと思う?」
「うーむ、どっちだろうな。ときに俺たちって、険悪かね?」
問われて八王子は相模を見上げ、悪ガキめいた顔をして見せる。
「おいオマエ、タメグチ利いてんじゃねーぞ、ほぼ中坊のクセによー」
「こりゃまた失礼しました、ほぼ先輩閣下」低く笑いつつ応じながら、相模は手を打つ。「でもね、そういうことなら同級生って言えないでしょうよ。先輩と後輩のコンビなんですから」
「あー、そっかー」
そもそも八王子と相模のコンビは、学園祭の演し物で漫才をするためだけに結成されている。より下世話な言い方をするなら、八王子が片思い中の女に気に入られたいがために組んでいるわけで、相模は手伝いで殴られているだけだ。
学園祭のプログラムにはコンビ名が載るだろうが、どのみち次の日には忘れられている存在――つまり、必死こいて考える必要はない。
それでも、たとえば『あきを&だいすけ』みたいな何のひねりもないコンビ名では、八王子の中の厨二心がどうしてもウンと言ってはくれないのだ。ちなみにその厨二心は、ほかに候補がないなら『タコツボとタンツボ』にせよと囁くものだから厄介だった。
それから一人で、あーでもないこーでもないとつぶやく八王子だったが、コンビ活動中は基本的な仕事も忘れない。
「おい中坊、ニヤニヤすんな」
「言葉だけでツッコミ済ますなんて、手抜きですか?」
仕事にケチをつけられ、八王子はジョギングの足を止めないまま、相模の腰に蹴りを放った。
「ふふふ……これは、いいミドル。そうこなくてはね」
「喜んでんじゃねー!」
気づけば、いつの間にか蝉の声がしなくなっている。今年、最後に聞いたのはいつだったのか。
あと二か月で漫才と、それに必要な体作りをしなければならないのだ。時間がたりない気がして、急に不安になってくる。
そんなとき、隣から声がかかった。
「八王子」
「ンだよ」
若干息が上がっていたため、応答はだいぶつっけんどんだ。
だが、ゾンビ野郎は気にしちゃいない。
「試合出たりしない?」
「はぁ? なんの?」
「キック」
キックボクシングどころか、普通のボクシングさえ、八王子はあまりテレビで見た経験がない。
理由は単純に、母親と姉の好みから逸脱しているから。
それでも家族の誰かがチャンネルを回しているとき、試合の中継が一瞬紛れ込むときもあった。たったそれだけの情報量では良いも悪いも判断できず、選手が顔を腫らしていているのがただただ痛そうだという印象しかない。
「ヤダ」
「格闘技習ってないんだよね?」
「習い事は剣道だけだ」
夢ん中の少林寺みたいなところで数か月しごかれまくったのをカウントしなけりゃな――という言葉は飲み込んでおく。
「八王子は、何ていうか、自分の体を使うのが上手い」
聞きなれない日本語だったので、褒められていると理解するのに時間がかかった。
「思い通りに手足を操って、的確に急所を突ける。これは天性のセンスだと思う。それに、何のためらいもなく人を殴れる思い切りの良さ。八王子なら、だいぶいいところまで行けるんじゃないかな」
「オマエなー、人を狂犬みたいに言うんじゃねーよ」
八王子は冗談めかして言ってから、自分がリングの上で殴り合い、蹴り合いをしているのを想像して首を振る。
「一方的に殴るならいいけど、殴られんのはヤだぞ。イテーじゃん。あ……思い出したら腹立ってきたぞクソッタレが!」
「な、何? どうした?」
今まで普通に話していたと思った相手に突然ガンをくれられて、相模はうろたえた。
八王子がキレやすいのは今に始まったことではないが、今回のはガチっぽい。ただ、いったい何が彼の堪忍袋の緒をぶった切ったのか想像がつかなかったので、うかつに謝ることもできない。
「オマエ、こないだオレの夢に出てきてブン殴ってきただろ」
「それ、俺が悪いのか……」
「避けたけど、かすっただけでスゲー鼻血出たんだぞ。ふざけんなよ!」
「知らないよ、どういう状況だよ」
「バーで飲んでたら」
「まずバー行かないからね、俺たち高校生だし」
「知らねーよ夢なんだから!」
あまりにもお冠なので、相模は茶々を入れずに最後まで聞いてやることにした。
「どっちが強いかって話になったんだよ」
「八王子のが強いだろ、どう考えても」
「でもオマエ、自分のがリーチ長いし体重もあるから強いって言い張ったんだぞ」
「スペックだけだとそうかもしれないけど……」
「で、じゃー試そうぜってなって、バトルになるわけだ」
「バーで?」
「バーで」
「もうただのチンピラじゃないか」
相模がグフッと笑うと、「まーそうなんだけどよー」と言いながら八王子も笑った気配がしたので、ひとまず安心した。
「剣道のときも思ったけど、オマエってバカヂカラだから、攻撃をいなそうとしても軌道を変えられねーのな。だから鼻にパンチがかすって、鼻血ドバー。イラッときたからオマエの重心崩してから床に引き倒してマウントポジションとって、ボコボコにしてやったわ」
「そう来てくれなきゃ困るよ」
「正直、かなりスッキリしたけど。でも殴られたときスゲー痛かったんだぞ! 鼻がモゲたらどーすんだよ!」
「痛いの? 夢なのに?」
「はぁ? 何言ってんだコイツ。夢だろーが現実だろーが、痛いもんは痛いし、ウマいもんはウマいだろ」
相模が「うーん」と唸りながら首をひねる。
言いたいことを言ったので、八王子も気が済んだ。
「まあとにかく、痛いのはゴメンだ」
「そうか。でもあれだな、もしも俺と八王子をたして二で割ったら、ものすごい格闘家になるかもな」
「ひゃははは! 最強だな! セガール!」
「セガール!」
結局、学校の周囲五周のジョギングを終えても、これぞと思うコンビ名は思いつかなかった。
校舎の窓から、そんな二人を和泉が微笑みながら見つめているなど、八王子は知る由もない。
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