第23話 タイキック
「そういえばさー、蹴りでいってもいいの?」
「水臭いな、いいに決まってるだろ」
ゾンビのくせに爽やかに言うんじゃねーよ。
そう思いつつ八王子(はちおうじ)は、同意を得られたことを喜んだ。
九月後半に差しかかった、ある日の放課後である。
このところ八王子はずっと、ツッコミのバリエーションを増やしたいと思っていた。
手によるツッコミは、ビンタ、裏拳から始まって、今ではフックやアッパーまで繰り出せるようになっていた。本人曰く、ジムで一番上手いお墨付きをもらったという相模(さがみ)からフォームの指導を受けたため、見栄えも格段に良くなった。
ただ……これだけでは既存の枠組みを壊せないとも感じでいたのだ。
「オマエ、キックも習ってたりする?」
「普通の立ち技としてのキックならね」頬張っていた食パンを飲み込んでから、相模は答える。「見せる意味じゃドロップキックみたいなののほうが、派手で見栄えもするだろうけどな」
「あー、それならいける。正式なやり方は知らねーけど、オレ垂直跳びスゲーじゃん? だから、けっこうハデにかませるぜ」
いつか見た八王子のジャンプの高さと、何よりも異様なまでの滞空時間を思い出したらしく、相模は大きく力強くうなずいた。
「それはいいね。楽しそうだ」
そこで二人は体育館の隅っこを拝借し、床運動のマットを引っ張り出して実践してみることにする。
「じゃー、まず普通に」
「よし、カモン」
八王子はいたずらっ子の顔で軽く助走をつけ、仁王立ちする相模の斜め後ろから背中に両足でドロップキックを入れた。そしてマットに落ちながら、最近となっては耳に馴染んでしまった低すぎる笑い声を聞く。
「あー、いい。いいな、これ。すごい蹴られてる感じがする」
「オマエ、ソレだけ聞くと単なるアブネーヤツだぞ」
八王子も、寝そべったまま笑いが止まらない。いい具合に腹筋が鍛えられそうだ。
「あのアレ、反動つけて起きあがるヤツできねーかな。よくジャッキー・チェンがやるヤツ」
「お、それで起きて元の立ち位置に戻れれば、スピード感落とさなくてよさそう」
「だろー」
そこで八王子は笑いを収め、数秒間集中してから足を振り上げ、反動をつけて飛び起きようとした――が、上半身が上がらなかった。
「ダメかあぁー」
「リズム感と、あと腹筋だな」
「じゃー家でやるわ、腹筋。次の蹴り技いこう」
この調子でツッコミのレパートリーが増えれば、もっと派手で盛り上がる漫才ができそうな予感がする八王子。学園祭での手応えが――ひいては和泉に対する手応えが、次第に確かになっていく。そう、彼は特につらいと感じるとき、主にジョギング中、脳裏に和泉の笑顔を思い浮かべて乗り切っていたのである。
「それじゃ、まあ、ローから」
「よくアレだろ? 腿パァンって蹴られて、悶絶してるやつ」
「そうそう」
「え、アレもいっちゃっていいのかよ。悶絶しねーの?」
テレビのバラエティで見た限り、結構ガチで痛そうにしていたと八王子は記憶している。
痛すぎたのか、たまにテレビだということを忘れてマジギレしている芸人も何回か見た気がする。
あとあれだ、サッカーの試合で相手の足が運悪くあたってしまい、立てなくなって運ばれていくヤツとか。
「まあ、慣れてるから平気。二十も三十も入ると、さすがに効くと思うけど」
それはつまり、ローをカットできてないってことじゃないのか。ダメじゃん。
「やっぱ頭オカシイな」一応八王子なりに褒めてから、若干ニヤニヤしている相模に気づいて真顔に戻る。「じゃーオマエ、いくからな。泣くなよ」
「はいはい、どうぞ」
蹴りやすいようにわざわざ左足を前に出して立っている相模の腿に、八王子はつま先をたたき込む。
相模は表情一つ変えず、「うーん」と首を傾げた。すでにオカシイ。
「痛くねーのかよ!」
「え? ああ、うん」
思わずツッコミを入れた。
この相模というゾンビ野郎は、天然なのだと思い知る。女の天然は可愛らしいようだが――和泉(いずみ)意外の女に興味はない、念のため――男の天然はヤバさしか感じられない。
だが逸材だと八王子は思う。ボケを演じるまでもなく、素のまま――相模という存在そのものがボケなのだと確信した。
そんなふうに自分の見方について八王子が考察しているとはつゆ知らず、相模は蹴りのレクチャーを始めた。
「まず狙うところは、ここね。これ以上上でも下でも、あまり効かないから」言いながら相模は、自分の左膝の少し上辺りを示した。「それから、蹴るときは脛を使う。硬い骨で痛いポイントをぶったたくイメージ」
「え、ココなの? あー、剣道のとき、竹刀でたたけってほざいてたトコか」
「そう」
八王子は、ゆっくりと繰り出した左足の脛を、相模の右膝の斜め上辺りに当てる。
「ケツじゃねーんだ」
「おケツは肉があるから、そんなに痛くないんだよ。バラエティーなら、あえておケツ蹴ってリアクションで痛さを演出ってのがあるかもしれないけれど」
「オレら、そっちでいいんじゃないの? オマエはどこに行こうとしてんだ?」
「方向性は任せるけれど、おケツにいくと、わかる人が見ればガチじゃないってわかっちゃうぞ」
「あー、それはちょっと、茶番くせーのはカッコ悪いよな」
口の中でつぶやきながら、脛で膝上のポイントを何度も確認した。
「ココなー」
「うまく入れられると、立ってられなくなるからね。しかも結構長いこと効くし」
まじめ腐った顔で言う相模に、八王子は笑って尋ねた。
「オマエはさー、どーされたいの?」
「どうされたいというか、ほら、スタントマン志望だから、どうしてもリアリティを追求してしまうわけなんだな。見てる人に『あ、これ痛くないやつだ』って思われたら恥ずかしいだろ」
(オマエはガチで来てほしくても、相手のスタントマンは行けないと思うぞ?)
自分は言われるままに加減もせず殴る蹴るの暴行を加えていることは、この際置いておく。
まじまじと見返せば、前髪の奥でよく見えない相模の目がそれでも輝いているように、八王子には感じられた。巻き込まれた形でここにいる相模が、自分と同等の心づもりでいることに、初めて気づかされた。
「なるほどな。そういうことなら、この――喧嘩漫才、フルパワーでいこうぜ」
「そうだな」
こうして、体育館の片隅でマジな肉弾音を響かせ始めた二人が、バスケ部の顧問に止められかけたのは言うまでもない。
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