第20話 ゲリラ漫才
ある日。四時限目の美術が長引き、昼飯争奪戦に出遅れてしまった。終業のチャイムと同時に飛び出してさえ、目当てのブツが手に入る保証のない世界である。五分も遅れたとなれば、八王子(はちおうじ)の狙う爆泡ラムネ王は残っているほうがおかしい。
つーか、四時限目に体育とか美術とか入りがちな時間割組んだトウヘンボクはどこのどいつだ、ブッコロ。
そんなわけで、悪魔とゾンビのコンビは急ぐこともなく、のんびり歩きながら食堂に向かった。
八王子はビックリするほど簡単にキレるが、「ま、いっか」と思い直すのも拍子抜けするほど速い。
人相と態度がが悪いことを除けば、案外付き合いやすい男なのだ。もっとも、本人は人付き合いなどゴメンだと思っているが。
さて、毎度おなじみ地下へ降りる階段の前にあるのが、和泉(いずみ)が在籍する一年八組の教室だ。よほど空気の入れ換えに積極的なクラスなのか、今日も例によって例のごとく、ドアが全開になっている。八組グッジョブ。
もしかして……と期待を込めて目をやれば――ここでガッツポーズ――和泉がいるのが見えた。女子の友人二人と机をつけて、相模の使っているのとは比べものにならないほど小さな弁当箱を広げている。
(あんだけでよく一日保つよなー。それとも女子って隠れ弁しまくってるのか?)
八王子は知らず、足を止めていた。背後では特徴的なゾンビの足音も止まっていた。
もちろん相模(さがみ)は急かさない。理由もなく立ち止まっても、十分やそこらは余裕でボーッと待つだろう――「どうしたの?」とか「早く行こう」などと急かすことなく。
だから八王子は、和泉の姿――さらに言えばクラスメートと談笑しながら浮かべる微笑みを、心ゆくまで堪能できた。
和泉は、もともとあまり大人っぽい顔立ちではないが、笑うといっそう幼く見える。もちろん、それがいいのだ。
あのほっぺたは、どんな触り心地なんだろう。マシュマロっぽいのか、それとも大福っぽいのか。焼きたてのパンという可能性もある。
いつか触れることのできる日は来るのか。それは遠い未来か、案外近い未来なのか。起こり得ない……とは、思いたくない。
いいほど時間が経ってから、それでも無言で待ち続ける背後の男に声を掛ける。
「今、何分だ? 今日電話忘れてきちまってさー」
あと何分くらい、こうして和泉を見つめていられるのか、そのタイムリミットが知りたかった。昼休みは永遠には続いてくれないのだから、仕方がない。
相模はポケットから電話を取り出して待受画面を点灯させ、八王子に向けてやった。
「十二時二十分だな」
「おいオマエ!」
画面を見たとたん、八王子の三白眼が驚愕に見開かれたかと思うと、次の瞬間には悪魔のように鋭くなった。
相模のうろたえることおびただしい。
「え、な、何?」
「誰だこの子はー!」ビシリと指先が、相模のスマートフォンにつきつけられる。「彼女か? 彼女なんだな? っつーかオマエ、ゾンビの分際で彼女持ちとか何様だー!」
「ええっ? ちょ、ま、待って」
「ウルセー! オレに対する裏切りは死をもって償えェェエ!」
八王子は相模の首に両手を回し、ぐいぐいと締め上げようとした。
しかし、相模の僧帽筋が発達しすぎて首がつかめない。
「クソっ! コイツ素手じゃ殺れねえ! 刃物ねーか、刃物」
「八王子落ち着いて。俺、彼女なんかいないから」
「この期に及んでしらを切ろうとする往生際の悪さ、まさにゾンビの鑑!」
八王子の大きな声に、通行人から笑いが起きる。
首を閉められながらスマートフォンの画面を確認し、相模はようやく合点が行ったような声を出した。
「ああ、これは俺の妹だよ」
「言い訳すんならもっと気の利いたコト言えやぁ!」
「言い訳じゃなくて事実だから、融通は利かないよ」
「マイシスターの写真を待ち受けにする気持ち悪い兄貴がドコにいんだよ!」
「ココにいるだろ!」
「ネタじゃねーのか!」とツッコんでから再度のツッコミ。「てか、気持ち悪いってトコも否定しねーのかよ!」
知らず、漫才のノリになったところでまたしても笑い声。
普通に会話をしているだけなのにギャラリーまで集まってきて、完全にやめどきを見失った。
もしかして……なんか期待されてる?
仕方ないので続行。
「しかし、えらい似てねー妹だな」
「俺に似てたらかわいそうだろ」
「自分で言うのかよ! ツッコミの仕事、奪うんじゃねー」
台本があるわけでもないのに、まさに八王子好みの返しをしてくるのがうれしくなって、テンションが上がる。
「俺の妹は……家族の誰にも似てないんだ」
「そ、そうか。変なこと聞いてゴメンな」
「母上は運動神経めちゃくちゃいいし、親父殿はツルッパゲだし」
「軽く妹ディスってんじゃねーか! つーか、ツルッパゲ気にしねーといけないのはオマエのほうだろ」
「なんでだ?」
「当たり前だろー。もしかしたら早い段階から、生え際と額の境界線が曖昧になるかもしれねーんだから」
「大丈夫じゃないかな。親父殿のパゲは、天然物じゃないし」
「ブリみてーな言い方すんな! てか、自分で剃ってんのかよ! こえーよオマエの父ちゃん、どーゆー素性の人だよ」
「よく家の中で鈍器振り回してるぞ」
どこまでがネタでどこからがマジなのか、見極めがつかない。だから八王子には、乗っかるしかなかった。
「もういいよ、父ちゃんの話は。こえーから! 妹が似なくてよかったなー、マジで」
「あ。でも鈍器振り回すところだけは似たかもしれない」
「一番似ちゃならねートコだろ、それぇ!」
「妹は吹奏楽部に入ってて、打楽器担当だからね」
「打楽器のバチは鈍器って言わねーわ! ただし、すりこぎはギリ鈍器だと思う」
「あれは三歳児用のバッ――」
「バットじゃねーから!」
さて困った。落としどころが見あたらない。仕方がないので手荒な強制終了を行うことにする。
「もういい。家族を侮辱し倒す、そんなオマエには、お仕置きだ!」
「ほほう。興味深いな」
「グーで行くぞ?」
「ウェルカメ」
わざとなのか噛んだのか微妙な相模に、握りこぶしを固めた八王子が向き合う。
目と目で「マジで行くぞ」「いつでもどうぞ」の会話をした直後、八王子の左グーが相模の右頬をとらえた。
足を残してその場に崩れ落ちる相模。しかし完全に倒れてしまう直前、急に糸を引っ張り上げられた操り人形よろしく体勢を立て直す。非常に気持ちのよろしくない動きだ。
「いたー――くない!」
「ダメだコイツ、ゾンビだったわ」
オチたかどうかは結局のところ、わからなかった。
けれども八王子は最後のセリフとともに、まるで何事もなかったかのように下り階段に向かって歩き出した。相模が展開についてこられずオタオタしていたら捨て置くつもりだったが、特有のゾンビ音は背後についてきていた。
風を切ってヨタりながら歩く背中に、笑い声がいくつもぶつかった。
手を打ち鳴らすのも聞こえる。
オイ、なんなんだこの高揚感は。
ダメだ――どうしようもなくうれしい。
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