第16話 ツッコミ
「それはまあ、退っ引きならない事情なら考えるよ」
そんなことを言うゾンビ野郎に嘘をついて、バレない自信はあった。
たとえば「オマエと同じで夢があるんだ。実は漫才師になりたいんだよ」というシナリオを
けれども、いろいろな意味で鈍くて、決して悪いヤツではなさそうなこの大男を騙すのは、なんとなく良心が痛んだ。
どちらにせよ相模を利用して自分の恋を成就させようというプランを変えるつもりはないが、自分がより悪者になる気がしたのだ。結局八王子は、どこまでいっても自分の保身しか考えられない。
当たり前だろ、と自分に言い聞かせる。そんな自分だから、今までも、そしてこれからも、学園生活というたった一つのミスで人生終了になりかねない煉獄を、一人ぼっちで生き抜いて生けるのだ。
「今はまだ、言えねー」
「今はって、どういうことだ?」
「とりあえず漫才の練習して、オレのある計画に実行のメドが立ったら、そのとき教えてやる」
あくまでも上から。
普通ならキレでいいところだが、それでも相模に気を悪くした様子はなかった。
これだからゾンビは……。
「じゃあ、それでもいいよ。目処が立つの、いつぐらいになりそう?」
「そーだな……」風になぶられる金髪に顔をビシビシ引ったたかれるのに耐えつつ、八王子は素早く計算する。「まあ、今月中にはいけるだろーな」
「わかった、じゃあその件は改めて。早く練習しよう」
言われて腕時計に目を落とすと、昼休みの終了まで十分あるかどうかというところだった。
「あーもう。オマエが変なトコで突っかかるから、もう時間ねーじゃん」
「でも、一回くらいは通しでやれるよ」
相模が牛乳パックを握りつぶし、学ランの懐から台本のコピーを取り出す。
八王子は尻のポケットから、無惨な状態になり果てた原本を引っ張り出した。
「ココで声張ると下にいるバカッポーどもに聞こえるかもしれねーから、フェンスんトコ行くぞ」
「よし」
「で、フェンス向いて喋れよ」
「合点承知の助」
二人は改めてフェンスに向かい、並んで立った。
フェンスの網目に一つだけねじ込まれている空き缶を客席中央――センターマイクに見立てて、向かって左に八王子。右に相模。
「立ち位置、こっちでいいの?」
「オマエはボケだから……バイクマジシャンてボケが向かって右側にいるよな?」
「それじゃとりあえずこれでやってみよう。ツッコんでみて」
「よし」
いざツッコミを入れるとなると、今度はお互いの距離が気になりだす八王子。これはツッコミのリーチということでいいのだろうか? 実際にやってみないことにはわからないことが多すぎる。
というわけで八王子は、左手の甲で相模の右胸辺りを叩いてみた。多くの漫才コンビが日常的に行なっているような、普通のツッコミだ。
リアクションがないので左側を見上げると、相模が「引くわー」みたいな顔をしてやがった。ゾンビ野郎のクセになんだその態度は。
カッとなって凶悪な顔で凄むと、相模はちょっと肩を落として言った。
「いやいや、待て待て。本番でそんなツッコミする気なのか?」
「他にどんなツッコミがあんだよ」
「フックとかボディーブローとか、いろいろ」
「オレ見たことねーよ、ネタ中にボディーブローする漫才師」
「それならなおさら新鮮でいいよ」
「え、マジで言ってんの?」
そう尋ねると、相模は例のキモチワルイ含み笑いで頷いていた。
もう、どうなっても知らねー。
軽くやってみようとすると、今の立ち位置では利き手がふさがれたような具合になって、非常にやりづらかった。
「おい、やっぱ逆だ。オマエ、オレの右手側」
「承知の助」
ノコノコ移動し終わった相模の腹に、すかさずグーパンチを入れる。
「さっさと歩け! 時間ねーんだぞ!」
良い音と、重い手応え。まるでサンドバッグでも殴ったかのように、あっけなく跳ね返される。サンドバッグを殴ったことはないが。
新鮮味のある手応えだったので「?」と思いつつ顔を上げると、そこにはやっぱりニヤつく相模がいた。
「ああ、いいね。内蔵を揺らすイメージで頼むよ」
「はぁ?」
「殴るんならマジでやってもらわないと」
などとアホなことぬかしよるので、練習のときのツッコミはすべて、ボディーブローにしてやった。強めのパンチはかなり疲れるもので、終わる頃には八王子のほうが息が上がっていた。
相模はゾンビだから、息してないんじゃないかというくらいに落ち着いている。
最後は二人とも、ヨタヨタしながら笑っていた。
ネタが面白かったのではない。八王子はボコボコに殴られている相模が面白くて、相模は必死の形相で殴ってくる八王子が面白くて、それぞれ笑っていただけだった。
漫才で体育館の観客をドッカンドッカン笑わせ、
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