第14話 思い出

 薄暗い階段を上り屋上のドアを開けると、凶器のような太陽光線が目に突き刺さる。暗がりに慣れた目に、残暑厳しい九月の日差しは破壊力が強すぎた。

 ようやく視界が確保できた頃、フェンスに囲まれたテニスコート二つ分ほどの空間を見回し、隣のゾンビ――相模さがみが口を開いた。


「結構混んでるな」

「――と思うだろー?」


 ジンジャーコーラを入れた弁当袋を肩に掛け、八王子はちおうじは入り口のドアから少し距離を取った。直後、軽い助走をつけて跳び上がり、ドアノブを踏み台にしつつさらにジャンプ。昇降口に屋根に手をかけたら、跳躍の力を乗せた懸垂で体を持ち上げる。

 一連の動作を、相模はまるでパルクールでも見ているようだと感じた。

 そして八王子は見事、屋上のさらに上の空間を占有する。


「来いよ、メシ預かっといてやるから」

「え、そこ上がるの?」


 食パンと牛乳を手渡しながら、相模が顔を仰け反らせて見上げてくる。常に見下ろされている身としては、気分がいい。チェシャ猫になったような心地だった。


「そんな軽業師みたいな動き、俺はできんよ」

「手順教えてやるから」

「それはだいたいわかったけど、俺が乗ったらドアノブもげないか?」


 考えてみたこともなかった。

 しかし確かに、相模が八王子より軽いはずがない。あまり重すぎるなら、引きずり上げるにしても腰がヤバかろう。


「オマエ、体重何キロあんだよ」

「八十九」

「ブフォ!」反射的に八王子は噴いた。「そんなあんのかよー」


 予想以上すぎた。八王子の中では、体重八十キロを越えるとデブという基準があったが、見た感じそういう雰囲気はない。これはアレか、骨がアダマンチウム製とか、そういう系か。

 だとすれば、ドアノブがもげても不思議はない。そしてもしそういう事態になったら、外からドアを開けられなくなり、屋上の至るところでイチャついている集団から大ひんしゅくを買う羽目になるだろう。

 却下だ。


「ちなみに身長は?」

「八十四とか五とか」

「うわー、腹立つ」


 現状百六十半ばで、このまま行けば男性の平均身長をギリギリでクリアできるかできないかという瀬戸際の人間にとって、百八十オーバーは――いや、百七十五以上あるヤツは敵だ。学祭の漫才という用が済んだら、早々に潰しておくべきだろう。


 結局相模は、ジャンプして屋根に手をかけ、そこから懸垂の要領で這い上がってきた。ひたすら地味だ。八王子のようなスマートさはかけらもなく、ご丁寧に着込んだ学ランは上下ともに砂埃で真っ白になっていた。


「じゃー、まずは腹ごしらえだな」

「そうだな、体を動かしたら腹が減った」


 八王子は弁当のフタを、ためらいがちに開いた。

 俵型のおにぎりは全部で四つ。その一つ一つが違う色のふりかけで彩られていて、とんでもなくカラフルだ。ウィンナーは言うまでもなくタコさん型。ご丁寧に黒ゴマの目までつけられていて、無駄にクオリティーが高い。ミートボールはペンギンの飾りがついたパステルイエローの爪楊枝に貫かれている。コールスローサラダにはプチトマトが当然のように添えられていた。デザートは王道の兎リンゴだ。

 全体的な見た目は、幼稚園児から小学生までが対象年齢だろうか。大きさだけが食べ盛りの高校生男子用となっている。


 じっと注がれる相模の視線を感じ、何か言われる前に八王子は口を開いた。


「んだゴラ。目ェ潰すぞ」

「……スミマセン」

「いや、姉貴だから、コレ作ったの」

「ああ、お姉さんいるよね。なんかそんな感じがした」

「なんだよ、そんな感じってよー」


 子供の頃から三人の姉たちにはオモチャにされてきて、現在進行形でオモチャにされている身としては、あまり知られたくない真実だった。五歳の頃に体験した十二時間耐久お母さんゴッコで子供役を強要されたのは、いまだにトラウマだ。


「手が込んでていいじゃないか。器用なお姉さんだな」

「中姉――二番目の姉貴が幼稚園の先生なんだよ。だからこんな。教室で食うとき大変なんだぜー、見られねーように隠すのがさ」

「堂々と食べればいい。別に変な物じゃないんだから」

「恥ずかしーだろうがコレぇ。オマエ言いふらしたりする度胸なさそうだからこうしてっけどさ、ぜってー言うなよ? 特にかしわとか。言ったらボコボコにすっからな」

「ボコボコにされるのは構わないけれど、言わないよ」

「よし」頷いてから、相模の手の中にある物をじっと見つめる。「オマエ、なんで食パン一斤丸ごと食ってんの? しかも切れてねーじゃんソレ」

「好きなんだよね、食パン。通学路にあるパン屋の――」

「プラナリ屋」

「そうそう。朝は焼きたてがあるんだ。でも冷めないとスライスできないんだって。だからそのまま売ってもらった」

「へー」


 食パンをちぎっては口に放り込み牛乳を飲む相模を、八王子は不思議なものであるかのように見つめた。

 それぞれ昼食を半分ほど食べ進めたところで、再度口を開く。


「さっきのコ、どう思う?」

「さっきって、ええと……」両方のほっぺたに詰め込んだ食パンを飲み込んでから、相模は片手で膝を打った。「コケてた子ね。うん、今どき珍しいくらい純情そうな人だったな」

「へー。オマエ、ああいう感じがタイプなのか?」


 若干、ほんの少しだが、八王子の声が硬くなったのも無理はない。

 和泉いずみの危機を実際に救ったのは、自分ではなく相模だった。その後はなんとか自分に注意が向くよう仕向けてはみたが、相模のほうが好感度を稼いだ可能性は否めない。

 だとすれば――相模もまた和泉に好感を抱いていた場合、ちょっと分が悪くなる。


「タイプというわけではない、かな」


 これにはあからさまにホッとする。


「じゃー、どんなコがタイプなんだよ」

「ううん、そう聞かれると困るな。俺は今のところ、女の子と付き合うより、夢を追いかけるほうに必死だから」

「えー? オマエの夢って、なんか……スゲー寒いのだったことは覚える。なんだっけ?」

「寒かないだろ。スタントマンだよ」

「あー! ソレ」思わず箸の先で相模を指した。「ギャグじゃねーの?」

「大まじめだよ。ずっと小さい頃から追いかけてるんだからな」


 相模が親指と人差指で作った「小さい」のジェスチャーに、心の中で「そのサイズだと胎児な」とツッコミを入れてからつまらなそうに吐き捨てる。


「普通にアクション俳優でいいじゃねーか。なんであえて代役目指すんだ?」


 そう問えば、相模は小さくなった食パンをもてあそびながら「いやあ」とか「まあ」とか、言いにくそうにし始めた。

 正直、ちょっと気色悪い。


「なんだよ、スッと言えよ」

「あんまり言いふらさないでくれよ?」

「心配すんな、オレ友だちいねーから」

「いやいや、そんなことはないだろ」

「つか、そんなことこそどーでもいいんだよ。早く話せ」


 かなり無茶苦茶なことを言っている自覚はあった。それでも相模は、カチンときた様子もイラッとした気配もない。

 不良三人に寄ってたかってボコボコにされていながらノーダメージだったように、メンタル的な部分においても驚異的な防御力があるのだろうか。


「四歳……五歳のときだったかな。戦隊モノで『格闘戦隊グラディエージャー』ってのがあって」

「あー、あったなー! でも、たまーにしか見られなかったわ。姉貴どもが見たい『エンジェルアンジェラ』と時間かぶってて」

「そうそう、それ。俺、すごくハマってて、特にムエタイブルーに憧れてて」

「マジか。オレはカンフーレッド派だったわ。こう……さ」


 八王子は箸を置いて立ち上がり、リーダーの少林寺龍郎しょうりんじたつろうがカンフーレッドへ変身した直後に行なう演舞をやって見せた。

 南拳ベースだが、恐らく見た目のインパクトのため派手に跳躍してから虎爪でキメる。


 すると相模、普段は奥まったところで眠そうにしている目を最大限に開いて大絶賛。拍手喝采。


「すごいな! あれだけ腰を落とした体勢からの跳躍。滞空時間がべらぼうに長いし、重心がまったくブレてない」

「だろー」

「何か習ってるのか?」

「何かって、何を?」

「中国武術」

「いいや?」


 無理やり通わされた剣道以外、習い事なんてしてないよな。

 などと思い出しながら、八王子は無意識に体を動かす。直立の姿勢から少し内股気味に腰を落とし、腕を前に伸ばして手首をしなやかに動かす。


「それ――」

「あぁ?」

「詠春拳、だよな?」


 相模の声に我に返った八王子。自分が少々奇妙なポーズで静止しているのに気づいて、慌てて足踏みした。


「それ、どこで? 確か、日本人は習えない流派だったと思うけど」

「知らねー、無意識。剣道だけだな、ちゃんと習ったのは。あとソロバン二週間だけ」

「うーん……」


 ずっと首を傾げている相模だが、八王子に言わせれば全力の殴打を受けてもノーダメージなそっちのほうが異常だろという話だ。

 しばらくすると相模は何度か頷きながら、自分を納得させたようだった。それから「話は戻るけど」と、脱線した会話を軌道修正する。


「『格闘戦隊グラディエージャー』さ、俺はムエタイブルー派で、いまだに大好き。だから変身シーンの古式ムエタイ、必死に覚えたクチなんだ」


 残りの食パンを口に詰め込んでから立ち上がると、「ヤシの実を蹴る馬の型」をひとしきり実演した。

 今度は八王子が拍手する番だった。


「ふはは! オマエ、いつになく動きがキレッキレだな」

「録画してもらって延々練習したからね」

「でも、ピンク最強な」

「そう、カポイェラピンク最強! 蹴り、当ててないからね。風圧で吹っ飛ばしてるだけだからね」


 懐かしさに大ウケし、またしても話が脱線する。

 当時はカポイェラが発音できなかったとか、サンボグリーンのせいでロシアの格闘技であるサンボをメキシコ辺りのそれだと勘違いしていたとか。

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