悪魔とゾンビがコンビを組んだら

第12話 ルーズリーフ

 八王子はちおうじは登校すると、自分の座席へ向かう前に相模さがみの席で足を止めた。そして机に紙切れを叩きつける。

 驚いたのか、相模は意外な機敏さで顔を上げた。


「何か……キレてる?」

「……キレてねーよ」


 友だちではないけれど、相方だから。コンビ間の連絡は取り合わなければならないのだ。ただ、自分から誰かに話しかけるという経験がほとんどないため、声がかけられなかった。

 だが、結果的に会話のきっかけは作れた。


「コレ、ネタのコピーな。なるはやで覚えろよー」

「ネタ? 何の?」


 問われて八王子の三白眼が俄然鋭くなる。

 眼窩の奥で、相模の目がわかりやすく泳いだ。


「……よくわからないけど、ありがとう」

「……おう」


 慣れない言葉をかけられて、リアクションが取れない。

 仕方なく、眉間のシワをいっそう深くして、足早に相模の席を立ち去った。

 無意味にため息をつきながら自分の席に腰を下ろすと、さっそく隣人かしわが話しかけてくる。


「八王子、もしかして相模と友だちになったの?」

「ちげーよ。オマエ、バカじゃねーの? なんでオレがあのゾンビ野郎と友だちになんなきゃいけねーんだよ。ただの相方だ、相方」

「あいかた……って」それって友だちになるよりすごいんじゃないの? とは思っても言わないのが柏の気遣いだ。「じゃあ、あの漫才がついに?」

「だーかーらー、気が早いっつーの。昨日の今日だぜ? まだ合わせてもいねーのに、できるかどーかなんて、知るかよ」


 そんなふうに吐き捨てていたのは、朝のホームルーム前のこと。

 一時限目の数学が終わると、黒くてデカい影がユラユラと接近してきた。そして、ただ開いていただけで一文字も板書をしていない、八王子の真っ白のノートに濃厚な影を落とした。


「八王子先輩」


 低音ボイスが降ってくるのへ、先に反応したのは隣の柏だった。そりゃそうだろう、先輩って。

 クソ野郎、と思いながら、八王子は一瞬赤らんだ顔を何とか元に戻す。それからおもむろに顔を上げた。


「もう先輩はいいっつーの」

「いや、でも……じゃあ、八王子くん」

「気持ち悪いわ!」


 気づけば、顔の左にそびえ立つ黒い壁に手の甲でツッコミを入れていた。画的には、腹部に裏拳がクリーンヒット。しかしタイヤでも殴ったかのような感触に、むしろ八王子のほうが驚く。

 見上げれば、相変わらず学ランを着込んでいる相模が、例によってニヤニヤしながら突っ立っていた。なるほど、座ったままでの裏拳など効きやしないということか。


「呼び捨てでいいの? 八王子?」

「よし、なんだ?」


 本題に入る前に無駄なやり取りをしたと思いながら、イスに横座りしてふんぞり返りつつ机に肘をついた。


「さっきの読んだよ。面白かった。八王子、すごいな」

「ああ……そう?」少なからず自信はあったが、手放しで称賛されると、やはり照れる。「まあ、知ってたけどなっ」

「授業中、ツボにハマって笑い堪えるの大変だった」

「それでかー。なんか視界の隅っこで黒いモンが小刻みに動いてると思ったらオマエでさー、超気持ち悪かったぞ。小便我慢してんのかと思ったじゃねーか」

「手洗いだったら我慢しないよ」

「しろよ! 漏らすのかオマエは」

「いやいやいや、そうじゃなくて。ちゃんと挙手して、『先生トイレ』つって堂々と足しに行くから、用を」

「オマエ、先生を便所呼ばわりとかひっでーな! 超失礼じゃんか!」

「ぐふふふふ……」

「げはははは!」


 一年一組のクラス全体としては、これはちょっとした異常事態だった。

 今まで笑ったところを見たことがない最強むっつりキャラの八王子が、発作でも起こしたように、廊下にまで響き渡る大声で笑っているのである。

 一組四十二人全員――当事者二人と教室の外にいた二人を除く――の動きが、わずか一瞬とはいえ申し合わせたように静止した。地球の自転すら止まっていたといわれても納得してしまいそうな、それはそれは不思議な間だった。


 この日を堺に、八王子のキャラは確かに大きく変わっていくのだが、その件については今はどうでもよろしい。

 笑いが収まった頃を見計らって、相模が自信たっぷりに切り出した。


「で、覚えたんだけど、どうすればいいんだ?」

「はぁ? もう?」


 適当なこと言ってんじゃねーぞカス、と言うべきところだったのかもしれない。ただ、ちょっと驚いたので素で反応してしまった。


「うん。暗記と計算だけは得意だから」

「そっか。わかった。じゃー、あとでな」


 昨日からというもの、あまりにも物事が順調に運びすぎていて気味が悪い。八王子は無意識に首を傾げていた。

 そこへ、


「話は聞かせてもらったよ、八王子」


 隣から声を掛けてきたのは、もちろん柏だ。聞こえないフリをしていると、俯いている顔の前に頭を突っ込んできて――つまり、八王子の机を領空侵犯して視界に入ってこようとする。


「聞き耳立ててんじゃねー」

「早くも見られそうじゃないか、漫才」

「簡単に言ってんじゃねーよ」

「できるって。だって相模、覚えたって言ってたじゃん。おまえはネタ書いた本人だから、当然頭に入ってるよな? ほら、できるできる」


 八王子は舌打ちをしつつ、ネタを一気に書き上げたあの日、よりにもよってこの男にそれを見せたことを後悔した。思いのほか漫才好きだというのは誤算だった。千葉ちばの趣味に乗っかっているだけかもしれないが。


 しかし柏は怯まない。相模の不気味さとはまた違ったニヤニヤ笑いを顔に貼りつかせたまま、なおも言う。


「千葉にも後で言っとく。今日の放課後でいいかな?」

「なにがだよ」

「漫才、見せてもらうの」

「やるとはひとっことも言ってねー。つか、ドコでやるんだよ」


 柏を黙らせる目論見で放った言葉だが、逆効果だった。

 自称〝千葉の彼氏〟は、彼女を喜ばせることに関しては熱心なのだ。躍起になるといってもいい。


「それだったら任せてくれよ。とっておきのプレイスを紹介するから、オモロイの、頼むで」


 何に寄せてこようとしているのかサッパリな隣人に「うわぁ」と言いたいのを我慢して、八王子はいい加減に頷いて見せる。その瞬間に二時限目開始のチャイムが鳴ったのは、心底ありがたかった。

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