第5話 ネタ

「漫才やらねーか?」

「は、え?」


 豆鉄砲で狙撃された鳩さながらのかしわを目の当たりにして、やはり早まったと痛感した。

 一学期の四ヵ月間を一年一組の連中と過ごしてみたが、八王子はちおうじが自分から話しかけられるようになったのは、この隣人ただ一人だけだった。それにしたって、必要に迫られて二言三言交わすのがせいぜい。

 一般的な感覚があれば、その程度の相手をコンビの相方に誘うのがいかに無謀な挑戦だか、事前にわかったはず。


 しかし、八王子秋雄に対人スキルの一般常識を求めるのは酷だ。なにせ、生まれてこのかた、友人というものを持った経験がないのだから。まず友だちになって親交を深め、それから相方の打診をするのが妥当などとは想像もつかない。

 逆に、芸人の中には、事務所に無理矢理組まされた初対面の相手と組んでいるコンビもいるというよけいな知識だけはあったものだから、この惨事を招いてしまったのだ。


 つまり、八王子が漫才をしようと思い立った動機はあまりにも不純であり、そのために必要な知識はあまりにも乏しかった。

 ただ――運命の女神は決して微笑んではくれなかったが、薄笑いくらいは浮かべてくれたらしい。


「なんで急にそっち方面に目覚めたわけ?」

「そっち方面とかゆーな。二丁目でブイブイ言わせてるみてーじゃねーか」

「ははっ、さっそくツッコミ? てか、八王子がそんな長くしゃべるの、初めて聞いたかも」


 物珍しげな柏の視線を受けながら、八王子は無言で三白眼プレッシャーをかける。

 降参の印か、両手を掲げながらも柏は首を横に振ってみせた。


「いやいや、それを答える前に、それこそツッコミどころありまくりじゃん。まず、なんで急に漫才?」

「もうすぐ学園祭があんだろ。そこでやるんだよ、青春の一ページってヤツだ」

「え……おまえ、何かキャラ変わってないか? やっぱりそれ、なんちゃってヤンキーなの?」

「違っ――」

「おっすー」


 八王子の否定に被せるようにしてドアが開き、今度はセーラー服姿が入ってきた。

 栗色の髪の縦ロールが、この時間になると極限まで取れかかっている。

 柏のギリ彼女じゃないかもしれない千葉ちばだ。

 別に部活に興味はなかったのに、アメフト部と活動日がかぶるバドミントン同好会に所属している……にもかかわらず柏の彼女説を完全否定する複雑なお嬢さんである。


「おっ、八王子、さては部活干された?」

「干されてねーわ」

「なんかいきなり漫才に目覚めたらしい。その台本書いてたんだよな?」

「まーな」


 柏の助け船に八王子が頷くと、千葉の目が俄然輝きだした。


「ちょ、見たい! やって早く」

「え、千葉って漫才なんか好きなの? やだなあ、言ってよ。やってみるってば」


 柏の目までが不純な動機で輝きだした。

 意中の相手を喜ばせたいという想いが、彼を行動へと駆り立てる。「組むかどうかとは、また別だからな」と念を押しつつも、今度こそルーズリーフへ本格的に目を落とした。


「オレがツッコミするから、ボケやって」

「はいはい」

「おー! がんばれー!」


 千葉が一人で五人分くらいの拍手をしてくれて、一年一組の教室では、目に見えない幕が上がる。


「こんにちはー、八王子でーす」

「え、あーこんにちはー、柏でーす」

「いやーみなさん、学園祭楽しんでますか?」

「帰りたくてたまらないですよね」

「のっけからなに言ってんだ」バシッ、と柏の左胸辺りを手の甲でたたく。

「オウフ……だってそうでしょうよ、こんな、えー、ド素人の芸を見せられたって、ねえ?」

「会場の空気をおかしくするんじゃないよ。後の人がやりにくいだろ」バシッ、バシッと連続ツッコミ。

「ちょ、痛いって。じゃあ僕らが暖めればいいんですね? その、会場の空気とやらを」

「なんでそう引っかかる言い方をするんだよ。まあそうだけど」ツッコミを寸止めして、励ますように柏の肩をたたく。

「……それじゃやってみますよ」柏、台本の指示通り二秒ほど空けて「コタツ!」

「暖房器具ではありますけどね、それ言われたって暖かくなりませんよ」

「心も体も!」柏、半歩前に出てドヤ顔。

「わかってるならなんで言った」バシッとツッコミ。

「ストップストップ!」

「え……あ、なんだよ?」


 ルーズリーフから顔を上げて見れば、隣の柏はえらく不機嫌な顔をしていた。


「痛いよ、ツッコミが」

「そりゃ、ある程度は痛いだろ」

「八王子って実は、見かけによらず結構力強い? 部活でコンタクトには慣れてるけど、それにしたって痛すぎる!」

「知らねーよ。オマエが打たれ弱すぎんだろ」


 タレ目と三白眼が火花を散らしかけたとき、割って入った声があった。


「撫でてたって笑えねーんだぜぇ?」モノマネのつもりか低めた声で言いながら、千葉が手をたたいて喜んでいる。「――って、バイマジ川崎かわさきも言ってたよ、柏」


 〝バイクマジシャン〟は、強すぎるツッコミで有名な漫才コンビだ。大抵、痛すぎるあまりネタの途中でボケの鎌倉かまくらがブチギレ、川崎が先の千葉のセリフをおどけて言うのがお定まりのパターンである。


「あのコンビを基準にされると困っちゃうよ。鎌倉なんか毎回終わるとき、おデコ真っ赤じゃん」

「それが笑いってものだよ、柏クン。わかってないなー。八王子のツッコミなんかさ、まだ遠慮が感じられるじゃーん」

「アメフト部のくせに情けねーぞ」


 二人から責め立てられて、柏はあっけなく降参する。


「確かにね、パスもらっても近くにコーナーバックがいると、怖くて自分から膝をつきにいくかもしれない。そんなチキンなおれには、漫才は無理だなあ」

「じゃーしょーがねーなー」


 相方獲得の野望は早々に潰えた。さもどうでもよさそうな声を出す八王子だが、内心ではかなり動揺していた。唯一といってさえよかった可能性が、儚く消えてしまったのだから当然だろう。

 こうなってはもう、声を掛けようか迷うあてさえない。


「でもさー、あたし今の感じ、結構好きかも。もし相方見つかって、最後までできるようになったら見せてよ」

「そうだな、おれも見るほうなら興味あるから。なんならダメ出しもするし。な?」

「うんうん、するするー」


 思いのほか食いついてくれたようで、困惑する八王子。三白眼を白黒させて、柏と千葉を交互に見た。

 それは、口頭で? それとも依頼状みたいなのを作ったほうがいいのか?

 内心ではオロオロしているが見た目は通常通りの仏頂面を維持する八王子に、荷物をまとめ終えた柏が尋ねた。


「それじゃ、おれたちは帰るけど、おまえはどうする?」

「オレは……」特に居残る必要はないしすぐに出られるが……。「もうちょっとしてから帰る」

「そうか。じゃあな」

「じゃーねー」


 手を振られるのに興味なさげな頷きで返す。その裏で、八王子は後悔していた。

 あそこで頷きさえすれば、あの二人と友だちになれたかもしれなかった。一緒に帰ろうなんて持ちかけられるチャンスは、もう二度と来ないかもしれない。なのにどうして、自分は素直に首を縦に振れなかったのか。

 ああ言った手前、すぐに教室を飛び出すのもはばかられたた。だからといって、そうそう漫才のネタを思いつくわけでもない。仕方がないので、ルーズリーフのしわを軽く伸ばしながら時間を潰す。


 「たら・れば」が実行できるなら、もうすでに友だちの一人や二人、いるだろう。

 だが、今必要なのは友だちではない。相方だ。明日にでも、彼女が欲しくて仕方がなさそうなヤツをピックアップして、片っ端から「モテる」と騙くらかし、相方に打診してみようか。

 そんなことを考えながら、八王子は家路についたのだった。

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