第3話 勧誘

「おいぃ、かしわ。話が違うじゃねぇか」

「ふざけんなよ、お前ぇ!」


 練馬ねりまの退出直後に、八割本気の罵声が飛ぶ。

 隣人に降りかかる火の粉のとばっちりを受けないよう、八王子はちおうじは速やかに机を離した。


「いや、そんなハズはないんだ。だって職員室前で見たんだもん、美少女を」

「じゃあ何か? 美少女が大男に変身したとでも?」


 おいおい、本人に丸聞こえだろーが。などと思いつつ、渦中の人物に目をやる八王子。

 柏の妄想ではない本当の転校生は、体格からくる無駄な威圧感とは別に、どこか他人をシャットアウトしようとしている雰囲気があった。そのせいか、転校初日にありがちな囲み取材さながらの質問責めもされず、まったくの放置プレイである。

 転校生登場イベントなどなかった――これが、ヒバ高一年一組の総意か。


「ちょっと確認してくる」


 柏は残る可能性――つまり、組違いか学年違いの可能性を探るべく、教室を飛び出していった。その背に、クラスの野郎どもからのヤジが飛んだのはいうまでもない。

 なるほど、転校生が一人だったとは限らない。なにせ、一学年に八組もクラスがあるヒバ校だ。噂の美少女は他のクラスの転校生かもしれないという可能性は、十分あり得る。

 往生際悪く期待し続けるクラスメートたちとは裏腹に、八王子は「めんどくせーな」と思っていた。

 女子の転校生とやらが実在して、それが神様のいたずらでアメフト部のマネージャーなんぞになられてみろ。柏の勧誘はしつこさを増し、八王子は断る理由を今以上に必死になって考えなければならなくなる。


 ――と。スパーンという軽快な音とともに前ドアから柏が帰還し、再び得意げな顔で宣言した。


「みんな聞いてくれ。美少女は八組だった」


 えー、なんだよー!

 超遠いじゃんか。

 廊下の端と端だぞ、おいぃ……。


 教室の反応が「えー」と「あー」ばかりだったので、八王子はとりあえず自分で三段階のツッコミを入れておいた。心の中で。


 教壇から席に戻るまで、何人ものクラスメートと「ホントにホント?」「ホントにホント」というやり取りを繰り返しながら柏が戻ってくる。そのまま着席するのかと思いきや、彼はなんと、歓迎されざる転校生へと進行方向を転じた。そして、デカい背中に声を掛ける。


「おれ、柏ってんだ、よろしく。イイ首してんねー、アメフト部入らない?」


 美少女に対する期待が打ち砕かれたことで、クラスの誰もがこの大男に対する客観的な視点を忘れていた。よほどガタイだけのウスノロでなければ、相模さがみは多くの運動部にとって、のどから手が出るほど欲しい人材に違いないのだ。

 それに気づいた何人かの運動部員が、「しまった」という顔ををして、次々と押っ取り刀で駆けつけては相模を取り囲む。


「いやいや、やっぱメジャーなスポーツでしょ。ってことで野球部よろしく」

「タッパ生かすならバスケだって! マジ大歓迎だから」

「ハァ? バレーに決まってんだろ常識で考えて。いやいや、キミが入ってくれたら全国狙える気がしてきたから、一つ頼むよー」

「待て待て待て、この学校の運動部はみんなしょっぱすぎ。オマエの体格を生かして、なおかつスターになれるのは演劇部だ! 今なら学祭に間に合うぞ!」


 そうこうしていると、今度はすぐ横の後ろドアが勢い良く開け放たれ、二年生や三年生がなだれ込んできた。


「悪いことは言わん、相撲部に入れ!」

「男なら柔道部だろうっ!」

「空手に決まってるだろうがー! 回し蹴りしようぜ!」

「馬鹿が! 階級差のない剣道こそ、大活躍必至の舞台だぞ」


 ドア前のわずかなスペースで、数人がかりが押し合いへし合いの大騒ぎである。


 八王子は……面白くなかった。自分が体育テストで垂直跳び九二センチ、走り幅跳び八メートル一〇センチに反復横飛び七十八回という成績をたたき出し、おまけに俊足のサウスポーだと知れ渡ったときよりも、勧誘が激しかったからだ。


(なんだよふざけんな、オレんときは相撲や剣道なんかこなかったぞ?)


 みっともない男のジェラシーにほかならない。

 人間嫌いで貶されたり悪口を言われたりするのは死ぬほど怖いくせに、認められ評価される場がなければ自分の居場所を見失う。見た目も性格も褒められたことのない八王子にとって、部活の助っ人というポジションは、唯一といっていい約束の地だった。それが奪われかけてなお穏やかな気持ちでいられるほど、彼はできた人間ではない。

 ちなみに初めて三白眼と言われたとき、もしや褒められているのかと期待して開いた姉の広辞苑を、そのまま床にたたきつけた経験がある。


 一時限目。

 現国の授業が始まっても教科書を開かずほおづえをついたままの隣人に、柏が声を掛ける。


「おい、そんな気を落とすなって。八組に間違いなくいるの見たんだからさ。疑うんなら見に行ってみろよ」

「ちげーよ」


 真正面を向いたまま目を合わせようともせず、八王子は言い捨てる。


「じゃあどうしたんだよ、感じ悪い」

「転校生をあれだけディスったかと思ったら、次の瞬間にはチヤホヤして。最悪だな」

「だってさー、あんな逸材ないって。しかも経験者だってよ。攻守両面でラインにいてくれたら心強いじゃない」

「なに、入部決まったのか?」

「おまえと同じ助っ人としてね。それもなんと、アメフト部と剣道部の専属助っ人だ」

「なんでその二択?」

「さあ……」


 教師が第五段落の要点云々と言っているのなど、聞いちゃいない。ついでに言えば、国語は勉強しなくても平均以上取れるため、八王子にとっては授業などどうでもよかった。


「ついでにおまえも入らない?」

「うっせ」


 八王子はそれっきり、柏との会話を一方的に打ち切った。

 あんなポッと出の木偶の坊に、自分が負けるはずがない。デカブツはそう、機動力がないもんな、決定的に。剣道とアメフトなんて、マイナーな舞台でしか活躍できないなら、自分の現在の地位――引っ張りだこの助っ人という立場は揺るぎない。勝った。

 ――そんなことをつらつら考えて、自分と部活のあれそれなど、二時限目に突入する頃にはすっかり忘れていたのだが……放課後、現実を知ることになる。


 普段なら、いくつもの部活が「今日こそは我が部に来てもらおう」と熱心に声を掛けてくるものだった。それなのに、今日は誰も誘いに来ない。木曜日はバスケ、サッカー、アメフトが八王子を取り合うはずなのに。

 相模の入部先が決まっても、まだ諦めきれずに勧誘しにきた人の群に向かって、小声で叫ぶ。


「敬意を払え! リスペクトしろぉー!」

(運動神経よりガタイなのかよ……)


 教室出入り口付近の人だかりを恨めしげにしばらく見つめていても、チヤホヤしてくれる人は現れない。さりげなく「今日はまだフリー」アピールをしても、誰も顧みようとしない。

 内心は愕然としながら近くをウロチョロしていると、相模と勧誘との会話が聞こえてきた。


「さっき、アメフトと剣道の助っ人をさせてもらうということに……」

「えー、助っ人なんでしょ? だったらハンドボールも助けてもらわないと。マジで頼むよ、ウチの学校の運動部はさぁ、キミたち助っ人が頼みの綱なんだよ」

「すいません、ハンドボールはちょっとできない――」

「あ、未経験でも歓迎するよ。今ひとつメジャーになりきれない種目だから、ルール知らなくて当たり前だし。ね、その身長は武器になるから」

「いや、そういう意味ではなくて。面とかヘルメットで顔が隠れる競技じゃないと」

「……ええっ、そういう理由?」


 まったく同様のツッコミを、八王子も心の中で行なっていた。


「え、何で?」

「緊張、するから」


 これには追い打ちで、「ダセェ!」とも思う。


 次に、相模を取り囲む面々の中で、セミロングヘアに緩くウェーブの入った耽美系の上級生が、髪を打ち振りながら芝居がかった声を上げた。


「だとすればだ、きみ。フェンシング……同好会に入ってくれないのはなにゆえだ? バカにしてるのではないだろうね、同好会だからって」

「や、違います」無駄に渋い声で否定するのが、妙に八王子の笑いのツボを刺激した。「活動日の問題で。月水金は習い事があって。それに未経験なので戦力にはならないかと」

「曜日かあぁー。それは……それは致し方ないな、非常に残念だ……」

「危ないとこだったー。火木土じゃなかったらフられてたのかー」


 心底悔しそうなフェンシング同好会会長の声に、安堵した柏の声が重なる。

 相模が助っ人先を選り好みしているのは確かと見た。この調子なら大丈夫だ。明日にはまた、いくつもの部が八王子の争奪戦を繰り広げる毎日が戻ってくる。人間嫌いの八王子が、あまり他者とのつながりを強制されることなく、微妙に優位に立って存在価値を実感できる希少な状況が。


 鞄を肩に担いで立ち上がると、今までの充実したアフタースクールライフが次々と思い出された。

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