第2話 転校生

 女なんてロクなもんじゃない。アイツらは敵だ。関わってはならない。

 そんな決意のとおり、八王子はちおうじは誰かとお付き合いするということもなく、中学生時代を過ごした。運動神経だけはバカみたいに良かったため、いくつもの部活を掛け持ちして、色恋沙汰の付け入る隙を与えなかったとも言う。

 そして今。


 美少女だという触れ込みの転校生に、八王子はまるで興味がなかった。

 よくあるところの「べ、別にオレは美少女なんかにきょ、興味ねーし……」というのではない。あえてその心情をセリフで表すなら「勝手に転校でも何でもしてくればいいだろ。オレには関係ねー」といったところか。


「なあ」


 急に話し掛けられて、八王子は声が出なかった。

 相手はわかっている。一大ニュースの運び手であり、右隣の座席の住人であるかしわだ。これまでも、会話らしい会話を交わしたことが、両手に余るくらいはあった。しかしだからといって、気さくに「なんだい?」などと応じられるキャラクターではないのだ、八王子秋雄という男は。


「……なんだよ」

「もし、さ。もしもだよ? 転校生をウチの部に引っ張ってこれたらさ、正式に入部してくれない?」


 ちなみに、これまで柏から持ちかけられた会話のすべてがこれと同じ内容だった。つまり、会話というより勧誘だ。


「パスプロが一秒も持たない弱小部に腰落ち着けるつもり、ねーから」


 三白眼の視線を寄越しながらぶっきらぼうにそう言って、柏から視線を外す。

 八王子は、誰に対しても決まってぞんざいな口調で応じた。日々鍛え続けてきたガンのくれようは、なかなか堂に入っている。服装に関する校則がほぼないのをいいことに、髪は金髪だし、引っ掛けただけの半袖シャツの下は赤いTシャツ。履いているのは時代錯誤なボンタンだった。

 完全なるヤンキーである――見かけだけは。


 自身の服装について、八王子は〝オペレーション・サンゴヘビモドキ〟と呼んでいた。無毒のサンゴヘビモドキが、猛毒のサンゴヘビに擬態することにより身を守るという事実にちなむ。ヤバそうな格好でいれば誰も近寄ってこないだろう、という目論見だ。

 この作戦はおおむね成功していた。

 黒金市立ひばりヶ丘高校――通称ヒバ高は、生徒数千人を擁するマンモス校でありながら、とんがっている奴が一人もいない。だから実際にはヤンキーでもなんでもないのに、それらしい格好をしておくだけで、八王子は思わくどおりそっとしておいてもらえた。

 一度だけ他校の本物っぽいヤンキーに絡まれかけたことはあったが、足の速さには自信がある。五十メートルを五秒台で駆け抜ける脚力は、喫煙者風情が追いつけるものではない。


「えー。おまえ、いったいいくつの部活、掛け持ちしてるんだよ。部活に入ったほうが、内申書良くなるって噂だぞ? 運動神経の持ち腐れじゃね?」


 一度会話は途切れたはずなのに、柏はまだ諦めていなかった。

 さすがに数ヵ月も机を並べていると、隣人が極めて目つきが悪いだけのヤンキーコスプレをした人だということに気づくのかもしれない。

 そして蛇足。ヒバ高は生徒数こそ多いものの、文化部の名門としてあまりにも有名すぎた。血気盛んな生徒が少ないのも、ある意味仕方がない。そのため、ほとんどの運動部が常時、活動下限ギリギリの人数しか確保できず苦しんでいる。試合が近づくと、他の部活から部員を貸し借りするのは当たり前。さらに日々の練習試合ですら、八王子のような無所属の助っ人に頼らざるを得ないのが現状だった。


「そのスピードとジャンプ力は、まじで全国に……いや、世界に通用するレベルなんだって!」

「それ、陸上部とバスケ部とサッカー部とバレー部とハンドボール部とポートボール同好会でも言われた」

「ほらな」

「だとしても」八王子、柏を視界に入れないまま、ボソボソとつぶやく。「アメフトなんてマイナーな部じゃなくて、バスケかサッカー行くだろー」

「そこは、シカゴと言ったら」

「ブルズ」

「じゃなくて、ベアーズのほうでやっていこうって話だよ」

「やだよ。首鍛えんの、超つれーし。防具、剣道並みにくせーし。メットで顔見えねーから、女子にモテねーし」


 ヤンキーで女子苦手という設定はさすがに無理があるため、一応「モテたいキャラ」も抜かりなく入れてある八王子。チヤホヤされるためにさまざまな試合に出場し、おいしいところをかっさらっていくも、見た目が怖いため女子人気はサッパリ――という状況を、巧みに築き上げている。


「ってことは、だ。女子マネがいたらオッケーってことだよな? まあ、無事勧誘できたらまた聞くからさ、考えといてちょうだいよ、エースワイドレシーバー様」

「それは――」


 八王子が答えようとしたときチャイムが鳴って、同時に教室の前ドアが開いた。

 クラス担任の練馬ねりまが入ってくる。

 日直がいかにも面倒くさそうな声で、起立、礼、着席の号令をかけた。

 練馬は、ファンもいないがアンチもいない、地味な初老の男性教諭だ。名物教師にはほど遠い佇まいで、卒業したら顔を思い出すのに苦労させられこと間違いない。

 彼は出席簿を教壇に置きながら、覇気のない声を出した。


「今日から転校生が来ます。来ました?」

「おおおおおおおおっ!」


 野太いどよめきが一年一組の教室に響く。

 練馬が何かを発言し、生徒から何らかのリアクションがあるという展開は、非常にレアだ。前回は……思い出せないくらいに、とにかく極めて異例な事態なのである。


「じゃあ、入って」


 盛大な拍手と声援は、しかし直ちに音量が最小にまで絞られた。

 なぜか。

 前ドアを開けて入ってきたのが、艶やかな黒髪ボブの美少女ではなく――暗そうな大男だったからだ。


 猫背でうつむきがちなうえ、若干伸びすぎな前髪が顔にかかっているため、面構えの評価を下すことができない。姿勢が悪いことこのうえないが、それでドアをくぐるのがギリギリだったので、身長は相当ありそうだった。体格もすこぶる良い。それと同じくらい異様なのが、転校初日だからか、残暑の激しい九月だというのに、学ランを着用している点。制服のボタンはもとより、襟も一番上まで律儀にとめるという念の入れようだ。異様なうえに不気味ささえ漂う。


 クラスの女子にしてみれば、転校生が男でも良かったのかもしれない。ただ、イケメンでなければ騒ぐに値しなかったようだ。

 男子に至っては、絶望に打ちひしがれている。ここは葬式会場か。

 一方、もともと転校生の性別にもルックスにも興味がなかった八王子はノーダメージだった。だから、ユラユラと不規則に揺れながらすり足気味にゆっくり教壇に近づいていく猫背の大男を見て、こう思ってほくそ笑む余裕さえあった。


(ヤベー。アイツ、ゾンビに超似てる)


 もしかしなくても、一組の教室内で今最もテンションが高かったのは、八王子かもしれない。彼以外のことごとくが、失望と、少しばかりのいら立ちを持て余していた。ほんの数分前の、期待と歓喜に満ちあふれていた雰囲気を、今となっては思い出すことさえ困難だ。

 限りなく無反応に近い生徒一同を見渡し、練馬は痰が絡んだような声で促す。


「自己紹介してね。名前と……うーん、将来の夢?」

相模大輔さがみだいすけ。将来の夢、スタントマン」


 ハンパではないアウェイ感の中でさらに大スベりしたのは、本人の夢が悪いのか、話を振った練馬のせいなのか。空気はさらにいたたまれなさを増す。

 こんなにアレな空気のまま二学期が始まってしまうのかと誰もが不安になったとき、生徒の一人が勇気ある行動に出た。


「……声低いね」


 最前列アリーナ席の女子、千葉ちばさつきだ。ちなみに、柏とはまんざらでもない仲である。

 彼女の発言に、クラスじゅうが食いついた。「低いね」「うん、低い」「超低い」と、全員が口々にささやき交わす。

 確かに相模の第一声は、高校生とは信じがたいほどに低音だった。高い身長と発達した胸部のなせる技か。いずれにせよ、発言の内容を差し置いて取り沙汰されるほどインパクトが強かったのは間違いない。

 本当なら、相模が入ってきた瞬間に誰かが「デカっ」と言うべきだったのだろう。それなのに、美少女ではなかったというフェイントによりそのタイミングを逃した今、「声が低い」という助け船的ポイントに、全力で乗っかるしかないのだ。


 こうして一年一組は、学校生活で盛り上がる瞬間ランキングベスト3に入るはずのイベントを、もったいなくも微妙な空気で終えた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る