蜂の巣亭、攻防(1)

 坑道を北に抜けると、霧に包まれた山の頂にある高台に出た。東にキラキラ砂漠が延々と広がるそこは、かつてトレキアの民が住んでいたと伝えられる神聖な場所だ。平たい円形の土地には魔法使いたちの影はなく、代わりに軍人たちが闊歩し、いくつかのテントが張られ、軍用車両と並んでベルクト・ランガーが駐機していた。

 視界のやや下方、捕らわれのミス・キルスティンが軍人たちに連れられて、陣営から離れた遺跡のような場所に入って行くのが見えた。先頭を歩いていたシザーリアス・ヴァイレンのハンサムな顔に無数の傷がついているのを見たマジュリカさんは、(蜂の巣亭の看板猫『ボス』に引っかかれたときに出来たやつだ)「ご自慢の顔が台無しだな」と肩を揺らして苦笑した。

 僕たちは彼らの後に続いて崩れた石門を潜り抜け、古びた壁に身を隠した。失われた文明の神聖な空気が漂うその場所は、トレキアの天文台跡だった。辺り一面に魔法陣と天体座標が組み合わさった紋様が描かれ、中央には六分儀を複雑にしたような巨大な装置が佇んでいた。接続されている望遠鏡を覗くために作られた階段の頂上では、反射鏡の鏡面がチカチカと輝いている。

「こんなに大きい機械仕掛けの装置、僕生まれて初めて見たよ」

 感嘆の声を上げるコティさんの呟きに、マジュリカさんが応えた。

「魔法人の置き土産さ」

「置き土産?」

 そのとき、僕らの会話を遮るようにして、ミス・キルスティンの金切り声が辺りに響く。

「お放しなさい! あたくしを誰だと思っているのです! 国家に仕える公証占星魔術師ですよ!? 汚ない手で触らないで――ひいいっ!」

 手っ取り早く占星魔術師を黙らせるため、シザーリアス・ヴァイレンは彼女のこめかみに銃口を突きつけた。

「答えろ。この巨大な装置は何の目的で作られた?」

「そんなことあたくしが知るもんですか! もっとも、たとえ知っていたとしても野蛮人にはお答えしませんことよ」

 頭がもたげるほどにぐりぐりと銃口を押し付けられ、ミス・キルスティンは悲鳴を上げてトレキアの手帖を開き、舌の根も乾かぬうちにペラペラと答え始めた。

「これはトレキアの天体観測の技術の賜物です。魔法人トレキアの民が先祖代々隠し守ってきた『秘密』を覗くためのもの。でも、覗いていいのはトレキアの民だけで、それ以外の人々は見てはいけないものなのです。観測機器には呪いがかけられていて、鏡筒の先を覗いた者は視力を失い、やがて死に至ります。しかし、その代償として『魔法の目』を手に入れることが出来るのです」

「『魔法の目』……マジュリカが持ってるやつだな。あいつは大佐の指示でこいつを調べる役割を担い、我々を代表して望遠鏡を覗いたんだ。……それで、『魔法の目』ってのは一体なんなんだ?」

「『魔法の目』はこの観測機器と同等の優れた天体観測の力を備えたものですわ。肉眼では観察出来ないようなありとあらゆる星々から緻密になされた天測計算により、トレキアの秘密に辿り着くための地図の役割を果たします。ちなみにどんな秘密なのかは手帖の先を解読しないことにはわかりません。ですから、今急いであたくしを殺してもあなた方にはなんの特にもなりませんことよ」

 そのとき、堅いブーツの音を響かせて、シザーリアス・ヴァイレンの元に第三者が姿を現した。

「リピンコット大佐」

 男の姿を目にした途端、僕は怒りと恐怖により体中の血の気がさっと引くのを感じた。鷹のような鋭い顔つき。マジュリカさんの父親だ。教授が撃ち殺されたあのときの光景を思い出し、鼓動が急激に激しくなって血が沸き立つように全身を駆け巡った。異変に気づいたマジュリカさんは、『星の契約』の印が刻まれた左手で、僕の契約が刻まれている右手をぎゅっと握りしめる。

 軍人たちが足元を揃えてリピンコット大佐に敬礼した一瞬の隙をついて、ミス・キルスティンが彼らの元から走り逃げた。彼女はシザーリアス・ヴァイレンに幾度か足元を発砲され、僕らが隠れている壁の手前で転がった。

 シザーリアス・ヴァイレンが再び銃で彼女に狙いを定めたとき、リピンコット大佐がそれを制した。「どうせ逃げられないのだから放っておけ。それよりも――」彼は猛禽のような目を巨大な装置の方に傾ける。「話は聞いた。この望遠鏡を覗くとトレキア人の呪いを受けるが、リピンコット元少佐のように我々も『魔法の目』を手に入れられるというわけだな」

「そのようです」

 夜の砂漠から運ばれてくるひんやりとした風に、大佐の乾いた声が混じって響く。「吉報だ。では、ヴァイレン中佐、今度は君が望遠鏡を覗きたまえ」

「え?」

 シザーリアス・ヴァイレンの顔が一瞬にして強張った。

「なぜ私が……? ほかの部下にやらせれば――」

「私の目を盗んでメイルド少将に取り入っていることは知っている」

「ご、誤解です! 私は少将のお嬢さんにお会いしていただけで、決してそのようなことは――」

「嘘は見苦しいぞ中佐。メイルド少将から直々にこの極秘プロジェクトに関わりたいと申し出が来た。まったく厄介な人物を巻き込んでくれたものだ。トレキアに関するこの件は誰にも口外するなと言っておいたはずだぞ? 君の狡猾さは野放しにはしておけないな」

 大佐が懐から抜いた銃をシザーリアス・ヴァイレンに向けると、ほかの二人の部下たちもそれに従い同様の動きをした。

「……正気ですか?」

「正気だとも。不安の芽は力をつける前に摘んでおくに限る」

 その言葉を受けて、シザーリアス・ヴァイレンは大佐に向けて自らの銃を構えた。だが、相手は動じることもなく低い声で言い放つ。

「先程、占星魔術師の女に向かって何発撃ったか覚えているかね? 残念ながら君の弾はその銃には残されていない」

 引き金を引いたシザーリアス・ヴァイレンは、弾切れしたカチカチという音に「くそ!」と苛立ちの声を上げ、新たな薬莢を求めてベルトに手を伸ばした。だが、それよりもわずかに早く大佐の放った威嚇発射が彼の動きを止めた。

「今この場で私に撃ち殺されるか、トレキア人の呪いを受けるか、どちらか好きな方を選べ」

 銀髪の軍人は悔しさを顔に滲ませて歯を食いしばり、しばしその場に立ち尽くしていた。

 僕は思わずマジュリカさんの顔を見た。彼は眼前の光景を硬い表情のままじっと見つめている。

 葡萄色の空に星が瞬き始める中、シザーリアス・ヴァイレンの黒いシルエットはのろのろとした足取りで望遠鏡への階段を上り始めた。天辺にたどり着くと、彼はしばらくのあいだ力無さげに観測機器と向き合っていたが、やがて、あきらめたように望遠鏡を覗き込もうと鏡筒の先に手をかけた――まさにそのとき、ふいに打ち込まれた弾丸が反射鏡の端にめり込み、動きを止めた。

 撃ったのはマジュリカさんだった。

 大佐の指示で軍人たちの銃口が僕らの潜んでいる壁の方角に向けられる。

「リピンコット元少佐……。裏切り者の親友を助けようとするとは、君は本当に学ばない人間だな」

 その声を掻き消すように、次の瞬間、突如何者かによって連射された銃弾が反射鏡を打ち破り、強度なガラスは粉々になって辺りに飛び散った。続けざまに発砲攻撃を受けた大佐と部下たちは、正体のわからぬ敵から身を守るため支柱の影に撤退した。

 弾はどうやら石門の方角から流れてきているようだった。そこに潜んでいた人物が再び射撃を繰り返す姿を目にしたとき、僕は驚きに包まれた。

「エイセル!」

 それは間違いなくエイセルだった。彼女は一度裏切られたにも関わらず、愛する上官の窮地を救いにきたのだ。

 軍人たちが応戦する混乱に乗じて、マジュリカさんは壁を飛び越えミス・キルスティンを助けに向かった。コティさんも慌ててその後を追う。彼らの姿に気づいた軍人のひとりが狙いを定めるも、エイセルの散弾銃が先に華麗な火を噴いた。

 二人が占星魔術師を抱えて戻ってくると、エイセルは僕らの元に駆けつけ、新たな弾丸を装填しながら叫んだ。

「あなたたちを助けに来たわけじゃないけれど、今のうちに逃げなさい!」

「でも、エイセル……君は……」

 戸惑う僕を急かすように、彼女は畳み掛けて言う。

「スカー、まさかこの期に及んで私を心配しているんじゃないでしょうね? 私はあなたたちを裏切ったのに、それは優しすぎるわよ」

 言葉に詰まって黙り込むと、エイセルはかつて僕が憧れを抱いた美しい笑顔を向けてきた。

「私はヴァイレン中佐のために生きる覚悟を持っているの。だから心配しないで。彼を助けて私も生きる」

 そのとき、僕はエイセルを見つめるマジュリカさんの濁った右目に、ふいに淡い光のようなものが現れていることに気がついた。だが、中指でモノクルを押し上げられたあとには、その光は臆病なウサギが巣穴に身を隠すみたいに消え去ってしまっていた。

 星図家は愁いを帯びた口調で言う。

「あの男に命をかけても、また裏切られるかもしれないぞ」

 その言葉に、エイセルは皮肉な笑みを浮かべて返した。

「私も学ばない人間なのよ。あなたのようにね」

 銃声を聞きつけた軍人たちが群れをなして陣営からやって来るのが見えた。支柱の影から再び銃弾の雨が降り注がれ、エイセルは僕らに向かって叫ぶ。

「行きなさい! 早く!」

「でも……」

 陣営からやって来た軍人たちの流れ弾が石門をかすめると、マジュリカさんが僕の手を取り引っ張った。「行くぞ、スカー!」

 真っ先に駆け出したミス・キルスティンが、先頭を切って茂みの向こうへ走って行った。僕はコティさんに背中を押され、後ろ髪を引かれる思いでその場から立ち去った。



 僕らは元来たキラキラ鉱山の坑道の暗闇を、ただひたすら必死になって走り続けていた。

 エイセルとシザーリアス・ヴァイレンがどうなったのかについて、それから後に僕らが知る手立てはなかった。

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