蜂の巣亭、攻防(2)

 驚くべきことに、酒蔵に横並びになっていたワイン樽はキラキラ鉱山の坑道へと繋がる秘密の抜け道となっていた。僕らはカンテラが照らし出す薄暗い通路を進んだ。蜂の巣亭の看板猫とポートグロフさんの愛猫が、時折道端に転がってじゃれ付きながら僕らを追い越してゆく。

 少し開けた場所にたどり着くと、僕は腕を回して支えていたビーハイブさんの体を壁沿いに座らせた。それから、被っていたフードを後方に下げ、ゴーグルを額の上にぐいと持ち上げた。

「大丈夫ですか?」

「ああ、心配いらねえよ。横っ腹を弾がかすっただけだからな――って、ステラ!? おまえ、ステラだったのか!」

 カンテラの光に反射した僕の顔を見て、亭主は驚いたように目を丸くした。

「随分と久しぶりだなあ。元気そうで安心したぜ。おまえんとこのじいさんも最近めっきり姿を見せなくなっちまったから、旅にでも出ちまったのかと思ってたよ」

 なんと言葉を返したらよいかわからず、僕は一瞬黙り込んでしまった。すると、異変に気づいた亭主は急に真面目な顔つきになる。

「なんだ、もしかしてじいさん具合でも悪いのか?」

「教授は……あいつらに殺されたんです」

「なんだって?」

 一層丸く見開かれた目が、驚きと憤りにぶるぶると震えるのが見て取れた。

「まったくひどいことしやがる! あいつら余所者が何しにここへやって来たのか察しはつくってもんよ。大方トレキアの財宝を探しに来たに違いねえんだ!」

 声を荒げていきり立つ亭主を、背後からやって来たポートグロフさんがなだめる。「おいおい、あんまり興奮すると傷口が開いちまうぞ」

 ポートグロフさんは酒蔵から持ってきたウイスキーのポケット瓶を開き、それを一口煽ってビーハイブさんの傷口に吹きかけた。

「くっ……」

 相当しみたのか、蜂の巣亭の亭主は痛みに顔を歪ませた。

 新たに口に含んだウイスキーを、今度は舌で転がすように味わいながらポートグロフさんは背後を振り返った。

「どうやらやつらが追ってくる気配はなさそうだな」

 それを聞いて、最後尾を歩いていたマジュリカさんが銃口を下に向けた。 

「きっと裏口から店の外に逃げたと思ったに違いない。ワイン樽と坑道が繋がっているだなんて誰も想像しないだろうからな。――私にも少しよこせ、ハンフリー」

 手を差し出され、ポートグロフさんは渋々と酒瓶をマジュリカさんに手渡した。だが、受け取り損ねた星図家は、小瓶を地面の上に落としてしまった。粉々に割れ飛んだガラスの合間を、琥珀色の液体が音も無く流れてゆく。

「なにやってんだマジュリカ、貴重な酒を無駄にしやがって!」

 ポートグロフさんがとがめるのも耳に入らない様子で、マジュリカさんは硬い表情のまま自分の手の先を見つめていた。

「おい、マジュリカ?」

 再び名を呼ばれ、星図家は気を取り直したようにモノクルのレンズを指先で軽く持ち上げた。

「ああ悪かったよ。だが、ウイスキー一本ごときでそんなに怒ることもないだろう? ――それよりも、あまり時間がなさそうだし、先を急ごう」

「急ぐって、一体どこへ行くっていうんだ? それに怪我人をこのままここに置いて行くわけにはいかないぜ」

 二人のやり取りを聞きつけて、蜂の巣亭の亭主が口を挟んだ。

「俺のことなら心配するな。ここから西に進んだところに廃坑になる前に使われていた救急所があるんだ。そこでしばらく安静にしてりゃあ問題ない。それよりも、金髪の兄さんよ――あんたまさか北の高台にある軍隊さんの駐屯地に行くつもりか?」

「その通り。よくご存知で」

「あそこはかつてトレキア人が住んでいたと伝えられている土地だから、呪いを恐れて誰も近づきたがらない。余所者以外はな」

「それが懸命だ」

 星図家はふっと微笑み、それから僕に向かって言った。

「そんなわけでスカー、悪いがおまえには一緒に来てもらえるとありがたい。この鉱山を抜けるためにはここで育ったおまえの助けが必要だ。闇夜に紛れて手帖を取り戻しに行く。――ついでにミス・キルスティンも助けられそうだったら助けてやらぬこともないが……まあ、あくまでもついでだな――それからハンフリーとコティ、君たちは亭主を救急所へ連れて行ってくれないか」

「おう、まかせとけ。だが、男ひとり運ぶなんざ俺だけで充分だ。コティ、おまえはマジュリカとスカーについて行ってやれ」

 すると、すぐさまコティさんが不安そうな顔をした。

「ついて行くのは構いませんが、救護活動をハンフリーさんひとりに任せるなんて心配だなあ」

「どういう意味だ」

「そのままの意味ですよ」

 ポートグロフさんがコティさんにゲンコツを向けると、それを遮るようにしてマジュリカさんが二人の間に割って入った。

「ハンフリー、時計を持っているか? 時差が生じているから亭主の時計に針を合わせよう。明け方までに我々が救急所に現れなかったら、そのときはやつらに捕まったか、はたまた逃亡中だと思って臨機応変に対応してくれ」

「ふん。おまえらが捕まったとわかったら、俺は一目散にここから逃げてやる」

「逃げてどこへ行くというんだ? やつらは君を指名手配するに違いない。残念だが、もう元の暮らしには戻れないよ、ハンフリー」

「そんなこたあ、旅立ったときからわかってたことだ。俺はひとりでもしぶとく生延びて、名も知れぬ南の島でとびきりの美女に囲まれて余生を楽しむんだ!」

 減らず口を叩きながら、飛行家は蜂の巣亭の亭主を支えるために腕を回した。ビーハイブさんはよろめきながらもどうにかその場に立ち上がり、僕に向き合って言った。

「なんだかよくわからねえが、じいさんもおまえさんも、どうやらあるかどうかもわからないトレキアの財宝を巡って騒動に巻き込まれちまったようだな。だが、安心しなステラ。星の名を持つおまえさんには、きっとトレキア人の加護がある。この辺りじゃ昔っから『魔法使いトレキアの民は星を護る』って伝えられてるからな」

 僕はこくりと頷いた。幼い頃に教授が語ってくれた『星の守り人』と呼ばれる魔法人たちの物語を思い出しながら……。

 救急所へ歩き始めたポートグロフさんたちの後を、二匹の猫が仲良く寄り添いあって追ってゆく。ふいに、薄暗い坑道に飛行家の声が響き渡った。

「死ぬなよ、マジュリカ。俺の目の黒いうちにはな」

 飛行家は背後を振り返ることなく片手を振って言葉を続ける。「スカーもコティも。三人とも、無事に戻って来いよ」

 立ち去る彼らの後姿は次第に暗闇に滲むように溶けていった。その姿を見届けると、僕らも坑道の暗がりを北に向かって歩き始めた。

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