星図家の奇妙な予告状(3)
路面電車から下車する際に、向かいの紳士が広げていた新聞記事の見出しに目を奪われた。
『ポートグロフ社でまたまた大爆発』
もうもうとした煙が立ち昇る納屋の写真と、口髭を蓄えたハンフリー・ポートグロフの顔写真が楕円形の小窓になって掲載されている。
ハンフリー・ポートグロフは動力飛行の躍進に注力した著名な飛行家だった。しかし、航空技術の目覚ましい発展についてゆけず、最近では立て続けに大きな爆発事故を起こすなど、ゴシップ記事の格好の餌食として人々の笑い種となっていた。
リピンコット家はマジュリカさんのおばあさんの代からポートグロフ社に資金提供をしていたそうで、秘書のエイセルがポートグロフさんの元へ向かっているのは、この爆発事故の報告を受けての見舞いに違いなかった。
僕は路面電車を下りて辻馬車に乗り込むと、馭者にスフィニアの屋敷クロリア・ホールの名を伝えた。
いくつもの林を抜け、家と見まごう程の立派な門を通り過ぎ、再び林を抜けた先に、博物館のような巨大な屋敷が佇んでいた。クロリア・ホールは優美な外観を備えた白亜のカントリー・ハウスで、敷地内を流れる川に寄り添うようにして建っている。
貴族であり軍人である父を持ち、宝石商として名を馳せる才女スフィニア・メイルドは、コレクターとしても非常に有名な人物だった。自分が気に入った物を手に入れるためならば、あらゆる手段もいとわぬ破綻した性格で、その名は東の大陸にある小さな町にまでとどろいだ。
僕の記憶に残っている一番新しい彼女のニュースは、『スフィニア・メイルド、資産家と結婚、斜陽の宝石』だった。
『各国の王侯貴族たちからの結婚の申し込みを断り続け、メイルドさんが選んだのは傾きかけた資産家の青年だった。青年から贈られた結婚指輪は一昔前のグリュニーディアン(グリュニー王朝風)のデザインで、古めかしいカッティングのトレステンが嵌め込まれた質素なものであったという。(~中略~)斜陽の輝きはどんな宝石にも勝る美しさがあったに違いない』
一時期、蜂の巣亭はこの話題でもちきりだった。僕もスフィニア・メイルドが果たしてどんな高価な宝石を所望するのだろうと興味深々だったっけ。彼女は輝かしい宝石よりも最終的には『愛』を選んだわけで、それ故に僕の中での彼女の評価はそう悪いものではなかった。だが、この屋敷に対しての評価は今のところ最悪だ。
執事は燕尾服の尻尾を揺らし、息切れ一つ漏らさずに階段を上ったり下ったり、回廊を曲がったりしながら僕のことを先導した。鉱山で生まれ育った僕は方向感覚に自信があったが、クロリア・ホールは迷路のような造りであり、もはや帰り道がわからぬほどに順路が複雑だった。
僕らは長い時間をかけて、ようやくサロンに辿り着いた。執事がスフィニアを呼びに行っている間、僕はひとりでサロンを見て回ることにした。
さすがは宝石コレクターだけのことはある。飾られている石はどれもこれも値がつけられないような代物ばかりだ。ロスト・ルッド様式の半円型天井の下、白い暖炉のマントルピースの上には一際めずらしい原石が置かれていた。そばに近寄り、その泡の塊みたいな形を食い入るように見つめていると、突然、背後から声をかけられた。
「綺麗でしょう?」
一体いつからそこにいたのか、美しい女性がマントルピースに片肘をつき、僕の肩越しに微笑んでいた。短いブロンドの巻き髪から覗くリラ色の瞼に真っ赤な唇。流行の絹ドレスを纏った享楽的な印象を与えるその婦人は、幾度かの新聞記事で目にしたことがあるスフィニア・メイルドに間違いなかった。
「この気泡のような形が気に入っているの。幻想的な色合いでしょう? 研磨処理をしていないのにこんなに輝いている石はめずらしいのよ」
僕が見ていた石に目をやって、スフィニアが言った。
「ルダー産の『人魚の泡』ですね。昼と夜では色彩に微妙な変化がある、とても希少な原石だ。熱に反応するので暖炉を飾るにはもってこいだと言われてますが、本当に飾られているのを見たのは初めてです」
僕の言葉に、スフィニアは驚いたように微笑んだ。「よく知ってるわね」
確かに、ルピヤードで暮らす普通の子供が鉱物に詳しいだなんておかしな話だ。僕は即座に言い訳を考える。
「亡くなった父が鉱物愛好家だったんです」
石についてはすべて教授のうけうりだった。知識は生涯の財産になるというのが彼の口癖で、僕は鉱物だけでなくこの世界の歴史やさまざまな事柄についても教わった。
『私の輝ける星、美しい星の子よ。ステラ、おまえは私の教え子の中で誰よりも勤勉だ』
教授は僕のことを『ステラ』と呼んだ。トレキア語で『私の輝ける星』という意味だ。何を隠そう、実はそれが僕の本当の名前だった。マジュリカさんに命名された『スカーレット』よりずっといい。『スカーレット』は明らかに女の子の名前だけど、星である『ステラ』には性別なんてないのだから。
「ねえ、星の坊や」
スフィニアにそう呼ばれ、僕の心臓は驚きのあまり飛び出しかけた。心を読まれ、本当の名前を知られたのかと思ったのだが、もちろんそんなはずはなかった。彼女は単に僕の掌に描かれていた『星の契約』の印を見ていただけだった。
「あなた、マジュリカの星なんでしょう? お名前は?」
スカーと名乗るつもりでいたのに、慌ててついスカーレットと名乗ってしまった。スフィニアの顔は予想通りいぶかしげに変化した。
「男の子かと思っていたけど、あなた本当は女の子だったの?」
「違います!」
めいいっぱい首を横に振って否定した。身元がバレないようにとわざわざ偽名を作ったのに、これじゃかえって怪しいばかりだ。
スフィニアはしばらく黙って僕の顔を見据えていた。その長い睫毛の間から注がれる眼差しは、確かに僕を見ているはずだった。しかし、このときなぜだか僕には、彼女が僕を通して別の何かを見ているのではないかと感じられた。目蓋がかすかに震えている。暗い影に怯える子供のような眼をしていた。
「メイルドさん」
呼びかけると、我に返ったスフィニアは細い指先に嵌めている古ぼけた指輪をいじりながら、曖昧な笑顔を見せて言った。
「あなたが男の子でも女の子でも、私にとってはどちらでもいいのだけれど――その名前、本当の名前じゃないでしょう? マジュリカがあなたのことを勝手に『スカーレット』と呼んでいるんじゃない?」
彼女の察しの良さに、僕はすっかり肝を潰した。恐る恐る、どうしてそう思うのかと尋ね返すと、スフィニアは俯き加減で呟いた。
「あの人のことならわかるのよ。大抵のことはね」
窓の外から差し込む緩やかな陽射しを受け、指輪に光る石がきらきらとした虹色の影を映し出す。「まだ忘れられないのかしら」と、反射したきらめきに目を細めながら、彼女は小さく独りごちた。それから、物思いに耽るような表情を浮かべたまま再び僕を見た。
「風の噂で聞いたわ。あなた、マジュリカに拾われて彼の後継人になったそうね。そして、公証占星魔術師立会いのもと、正式に彼と『星の契約』を結んだ。天を彩る星が長きに渡って我々の祖先を見つめ続けてきたように、契約を結んだ相手が死ぬまで見守るのが星の運命。失われた魔法文明の数式」
スフィニアは話しながら僕の手首をそっと掴んだ。彼女が星の印に触れようとしたとたん、それを阻むかのごとく眩い光が放たれる。美しき宝石コレクターは、皮肉な笑みを浮かべて眩しさに目を眇めた。
「魔法とは不思議なものね。どんなに科学が発達しようとも、未だにその未知なる数式が解明されることはない。天動説が崩れたように、いつかその正体が明らかになる日は来るのかしら――。私の記憶が正しければ、確か『星の契約』は死期の近い者だけが星を持つことが許されるいにしえの魔法だったはず」
僕は深く頷いた。
「右目に受けた呪いのせいで、マジュリカさんはもうすぐ死ぬんだそうです。僕には到底そんな風には見えないけれど」
ほんの一瞬、スフィニアの顔にどこか乾いたような、寂しげな笑みが滲み出た。しかしそれは本当に一瞬で、見逃さなかったのがかえって不思議なくらいだった。僕が瞬きをした後には、彼女はすでに本来の華やかな笑顔を取り戻していた。
「そろそろ本題に入りましょうか。それで、スカーレット、あなたはなぜ私の元にいらしたの?」
僕はマジュリカさんから預かってきた手紙を懐から取り出した。「これを渡すように頼まれたんです」
封を開け、手紙の内容に目を通した瞬間に、スフィニアの表情は急激に険しいものへと変化した。彼女は憤った様子で便箋をビリリと縦に引き裂いて、それを床の上に投げ捨てた。僕は破られた手紙の文面を合わせ読もうと、何気なく視線を走らせる。
『今晩、目をいただきに参ります。 マージーより』
繋がった文面のあまりにも軽快な不気味さに、僕は一瞬たじろいだ。マジュリカさんはラブレターみたいなものだと言っていたが、一体これのどこがラブレターだと言うのだろう?
「どうかしてるわ。わざわざこんな予告状を寄越すだなんて」
どうかしてるどころじゃない。明らかに狂気じみている。変態だ。
「きっとふざけているんです。いい大人のくせに子供のようなところがある人ですから。この手紙は、たぶん恋焦がれている女性に意地悪をしたくなる心理の一環で……」
僕の見解を聞いたスフィニアは、滑稽だと言わんばかりに笑い声をあげ、それから哀感を込めて吐き捨てた。
「彼が好きなのは私なんかじゃないわ」
彼女は窓辺に向かって歩いていくと、頭をもたげて空を見た。ちょうどそのとき、窓越しに軍の偵察機がやって来るのが見えた。灰色の影と軽やかな騒音がサロンを舐めるようにして駆け抜けていく。機体が遠くに過ぎ去った頃、スフィニアは再び口を開いた。
「自分で伝えに来ればいいものを、本当に何から何まで気にくわない男! マジュリカに伝えてちょうだい。手に入れられるものなら手に入れてご覧なさいと!」
激しい口調で告げてから、彼女は昂った様子で窓辺に飾られていた一輪の薔薇を握りつぶそうとした。だが、その行為は寸前で止められて、白い指先は撫でるように花全体を優しく包み込んだ。
「そうね。確かにある意味では呪われているのかもしれないわね。あの人は――マジュリカはたぶんもうすぐ死ぬわ。彼はとても重い病気を抱えているの」
スフィニアは振り向くことなく僕に言った。外側の花弁が一枚、細い指の隙間からはらりと床の上に舞い落ちる。
「心の病よ。死期が近いというのはね、もうすぐ自ら命を絶とうとしているってことなのよ」
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