星図家の奇妙な予告状(2)

 教授の体は嵐に折れた枯れ枝みたいに坑道に転がった。弾丸が打ち込まれた胸骨の脇から血が溢れ、地面に赤い水溜りを作り出す。

 銃を持った軍人は背後を振り返り、血走った目でこちらを見た。僕は隠れていたトロッコの影から逃げ出そうとしたが、恐怖で足がもつれて腰を上げることすら出来ずにいた。ブーツの硬い足音がゆっくりと、しかしながら確実に近づいて来る。やがて、目の前に暗い影が立ちはだかり、冷たい銃口が真っ直ぐに向けられた。




 自分の叫び声で目が覚めた。我に返って辺りを見回すと、そこはスフィニア・メイルドの館へ向かう途中の路面電車の中だった。声に驚いた乗客たちが、何事かと言わんばかりの表情で僕の顔を見つめている。どうやら、またあの夢を見ていたらしい。僕は座席に座りなおしながら、額に滲んだ汗を拭った。

 路面電車はいつの間にやら賑やかな市街地を抜け、牧歌的な風景が広がる郊外を走っていた。向かいの窓から見える教会の尖塔が、陽の光を受けて白く輝いている。葬式が執り行われていたのか、聖堂からちょうど喪服を着た人々が出てくるところだった。きっと家族の誰かが戦死したのだろう。掲げられた小さな旗が、風に乗って波のように揺れている。

 流れる景色を見つめながら、僕は今しがた見たばかりの夢の断片を思い返す。次第に記憶は鮮明に蘇り、頭がひどくがんがんした。星図家の助手となって、リピンコットの館があるルピヤードで暮らし始めてから、もう三ヶ月もの月日が流れたのだ。

 僕はそれまで東の大陸にあるキラキラ鉱山で、ミゲル教授と二人きりで暮らしていた。キラキラ鉱山は探鉱成果が得られずに廃鉱された、人々から忘れられた場所だった。閉山されても迷路のような坑道はそのまま残されており、僕らは今はもう使われていない採掘場にテントを張って、わずかに採れるアモルファルファ石で生計を立てていた。

 教授は元々大陸の外からやって来た鉱物学者で、僕らは血の繋がりのない赤の他人だった。陽の光と無縁の廃坑内で調査に明け暮れていた老人は、ある日トロッコに捨てられていた赤ん坊を拾った。それが僕だった。きっと、一攫千金を夢見た採掘者が、金に困ってやむを得ずに捨てていったに違いない。

 親に捨てられたことをさみしく思ったことはなかった。教授と土や石の話をすることは楽しかったし、彼が持っていた学術的な本を読むのも好きだった。アモルファルファを採掘したり、廃坑を利用してキノコを育てたり、トント・プッカの町には歳の近い友達も何人かいたし――鉱夫や細工師の息子たちだ――僕の世界はちっぽけだったかもしれないが、特に不満を感じたこともなかった。

 月に一度、町に食料を買いに行くのは僕の役目だった。あの日はスモークされたハムに豆の缶詰とチーズ、ボトルの水を数本、それに教授の好物であるハーブ入りの噛み煙草を一袋買ったことを鮮明に覚えている。確か、帰りがけには町外れの蜂の巣亭にも立ち寄った。離職した鉱夫たちがいかつい体を寄せ合って、古びたラジオの放送に耳を傾けていたのを思い出す。戦争がどうとか聞こえたが、東の大陸にある寂れた町にはあまり関係のない話だった。

 店から出ると、虎縞模様の大きな猫が怯えた様子で路地裏から僕を見ていた。この界隈で一番強い雄猫であることから、ボスという愛称で親しまれている蜂の巣亭の看板猫だ。ボスは愛嬌のあるタイプだったが、僕になつくことは決してなかった。あの日も、頭を撫でようとして「フーッ」と怒って逃げられた。いつも通りの日常だった。そう。採掘場に戻るまでは。

 両手一杯の荷物を抱え採掘場に戻ってくると、幌付きのオープンカーが二台停まっており、軍人らしき人影が煙草を吹かしているのが見えた。鉱山に外の人間が訪れることは稀だったし、何より軍隊がこんな辺鄙なところに一体何の用だろうと、僕は少しばかり警戒していたように思う。忍び足でテントに近づき、音を立てないようにして荷物を置いた。そこに教授の姿はなく、坑道の奥から何やら話し声が聞こえてきた。

 トロッコの影に身を潜めて様子を伺うと、三人の軍人が教授と向かい合うようにして立っているのが見えた。鷲章のついたチャコールグレイの制帽に、同色の軍服を着用している。ジャケットには襟章とたくさんのバッチ、それに黒い十字の腕章がつけられていた。肩紐付きの皮の剣吊りベルトにぶらさがっていたのは、確かサーベルだ。

 驚くべきことに、軍人のうちのひとりは教授に銃口を向けていた。

「知っていることを全部話せ。そうしたら、命だけは助けてやる」

 銃を斜めに構え、軍人は不遜な口調で告げた。鷹のように尖った顎が印象的な中年の男だった。

 教授が何も言わずに黙っていると、次の瞬間、安全装置の外される音がして、耳の鼓膜が破れそうなほどの鋭い銃声が響き渡った。

 発砲した男の隣に立っていた背の高い金髪の軍人が、倒れた教授のもとに駆けつけ、それから落胆したように肩を落とした。彼は怒りに打ち震えた表情で振り返り、男の胸倉をつかんで叫んだ。

「なぜ殺したのです? 彼は何も知らないと言っていた。殺す必要なんてなかったのに!」

 男は銃の固い持ち手の部分で金髪の軍人の頬を殴りつけた。

 足元に制帽とカンテラが転がってきて、僕は地面に倒れた軍人と目が合った。怒りと悲しみに失望が綯い交ぜになったような、ひどく傷ついた表情をしていた。カンテラの火に照らされた彼の左目は澄んだ空色をしていたが、驚くべきことに、右の瞳はまるで濁った石のようだった。

「ヴァイレン中佐、後の処理は任せたぞ」

 中年の男はもうひとりの軍人にそう言うと、ブーツの重々しげな足音を響かせて、僕が身を隠しているトロッコの方へと近づいてきた。

 恐怖と緊張から体が震え上がり、小さな悲鳴が今にも声道から漏れてしまいそうだった。倒れていた金髪の軍人が、男に見えない位置で僕の右手を握ってきたときには、実際わずかに声を上げてしまっていたと思う。握られた掌から、心臓の鼓動が互いの血液の流れとともに伝わり合った。

「大丈夫。心配ない」金髪の軍人が口早に囁いた。

 中年男はトロッコの手前で立ち止まると、僕に向かって真っ直ぐに銃口を向けてきた。いや、それは正確には僕ではなく、倒れていた金髪の軍人に対して向けられていたのだった。

「リピンコット少佐、君はもう少し上の人間に対する礼儀というものを学びたまえ」

 そう言って、男は氷のような眼差しでしばらく若い左官に照準を合わせていたが、やがて銃を引っ込めると、僕に気がつくことなく坑道を立ち去った。

 リピンコット少佐と呼ばれた金髪の軍人は、僕の手を放すと無言のまま血の滲んだ頬を拭った。そして、力なく立ち上がり、地面に転がっていた制帽を手に取ると、それを握り締めながらヴァイレン中佐と呼ばれたもうひとりの軍人に向かって呟いた。

「シザーリアス、私は今日限りで軍を辞めることにする」


 その先のことはまるで覚えていなかった。僕の意識は恐怖のあまり、物の見事に吹っ飛んでしまったのだ。気がついたときにはリピンコット少佐――つまりは、マジュリカさんが操る飛行機の中にいて、ルピヤード近海の上空を飛んでいた。

 マジュリカさんは無二の親友であるシザーリアス・ヴァイレンが止めるのも聞かず、軍から僕を匿い、リピンコットの館へ連れていくことに決めたのだった。そして、不自由な右目を理由に兵役から遠ざかり、亡きお祖母さんの跡を継いで星図家となった。

「私やシザーリアスがあの鉱山へ行くことになった理由はいずれ折を見て話そう。あそこで暮らしていたことが軍に知れたら、おまえはきっと殺されてしまうに違いない。だから、東の大陸でのことは誰にも話すんじゃないよ。当面はこれからのことだけを考えるんだ。私の後継人になるといい。すべての面倒を見てやろう。それから、おまえの名前だが、念のために別の名をつけた方がいいだろうな」

 マジュリカさんは僕の緋色の髪に視線を注ぎ、目を細めて微笑んだ。

「おまえの緋色の髪の毛は、私が幼い頃に名づけた『スカーレット』という星の輝きとよく似ている。今日からおまえを『スカーレット』と呼ぶことにしよう」

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