鎮む石 2
「ニオヴェについてご存知ですか」
リセアは問うた。
「何者なのか。なぜ父に近づき、殺したのか」
「やっぱりそのことだね」
オルダが静かに目を閉じる。
「残念だけど、私もほとんど情報をもっていないんだ。イゴル兄さんのところに何年か、それも頻繁に出入りしていたとしか。なんで兄さんたちを手にかけたのかも、全く見当がつかない」
「父やベノシュ伯父さまから何かお聞きでは」
「ベノシュ兄さんは、まああの調子だから知っていても言わないだろうさ。イゴル兄さんは――手紙をやりとりしていたけど、ニオヴェについては一度も書いてこなかった」
「そうですか」
「君は何か知っているかい? 兄さんから何か聞いたり、近くにいて気づいたことは?」
「父が生きている間は何も。ですが何ヶ月か前、奴を見ました」
「なんだって?」
「レウァンツで怪物が出た事件をご存知ですか」
「ああ、聞いたよ。痛ましいことだ」
「犯人はニオヴェです」
オルダの眉が歪む。
「私はあの場にいて、奴を――奴が巨大な蜘蛛を呼ぶのを見ました。父や母を食い殺したのと同じ怪物です。奴は見世物師や観客に蜘蛛をけしかけました。蜘蛛から黒い蜥蜴が出てきて、蜥蜴も同じように人々を食らいました」
リセアは続ける。
「その前には、東で魔術師ばかりを狙った殺しが続けて起きていました。襲われた者の亡骸は見つからず、家には火が放たれた」
「それは……」
オルダが茫然とつぶやく。
「七年前と同じです」
リセアはうなずいた。
「私の知り合いの推測では、奴は魔術師に恨みがあるのだろう――レウァンツには魔術師が多いから狙ったのだろうと」
「復讐っていうわけか。でもそれなら、兄さんは標的にはならないんじゃないかい? 魔術師の家に生まれたとはいえ、魔力がなかったんだからね。それか、魔力とは関係ないことでニオヴェの恨みを買ったのかもしれない。考えにくいことだけど」
リセアは言葉を返しあぐねる。父が恨まれるような振る舞いをするとは確かに思えなかった。
オルダが唸り、亜麻色の髪をがさがさと掻いては梳く。そして手を止めた。
「いや、いた。標的になる人がいたはずだ、君の家には」
「――私ですか」
「その可能性も捨てきれない。ニオヴェたちが君の魔力にいち早く気づいたかもしれないからね。でも、魔術師として目覚めていない君を殺めて満足するとも考えにくい。私が思い当たったのは、君ではない、自分に魔力があると自覚していた人だ」
オルダがしわぶいてから続ける。
「家庭教師のマリエラ・ベニーニを覚えているかい」
初めて知ったはずの響きが恐ろしいほどにたやすく馴染んだ。脳裏の氷に新たな亀裂が生じ、氷が揺らぐ。闘技場で味わった激痛が思い返され、リセアは拳を強く握った。しかし痛みは襲ってはこなかった。揺らぐことのない柱が伸びて立ち、視界に鮮やかな色が一つ足されたような感覚。肺を大きく膨らませ、そして吐く。取り戻された記憶が他の記憶と根を絡ませ、枝を交わし、再び息づいていく。
「魔術師としても学者としても優秀な人だよ。あの日から行方が知れないんだ――おそらくは命を落としたんだろう。彼女はニオヴェを警戒していた。ろくに身の上を明かさない奴が、そのうち兄さんやダーシャや君によくないことをもたらすんじゃないか――そう何度か書いてきた。でも、まさか自分に殺意が向けられてるとは気づいてなかった」
オルダの声が上ずる。
「私がマリエラに君の家庭教師を勧めたんだ。私が彼女をニオヴェに引き合わせてしまったのかもしれない。私のせいで――」
「叔父さまは悪くありません。防ぎようのなかったことです」
リセアはオルダの双眸を見つめて首を振る。
「彼女は私に様々なことを教えてくれました。私が魔術師として目覚めるための礎をつくってくれました。彼女に会えて本当によかった。彼女と会わせてくださった叔父さまにも感謝しています」
「そうかい」
オルダが唇の端を力なく上げ、目を伏せる。リセアも何も言わなかった。たっぷり数呼吸をおいて、オルダが壁から背中を離した。
「続きは帰ってからにしようか。そろそろここも閉まるしね」
「分かりました」
リセアはオルダに促されて小部屋を出た。元の部屋に戻ると、カミーロが防寒着をまとって立っていた。
「お待たせ」
「ヤナが腹ぺこで待ってるぞ」
カミーロがいそいそと廊下に向かう。
「今晩はカミーロも一緒に食べる約束をしていたんだ」
オルダが背中を曲げてリセアに耳打ちした。
「彼もマリエラを知っているから話を聞くといいよ。それに、ニオヴェの蜘蛛についても何か分かるかもしれない。彼は動物を操る魔術に詳しいからね」
リセアはうなずいた。オルダが微笑し、鼻歌交じりに歩くカミーロに追いついて肩を叩いた。一言二言が飛び交い、カミーロがリセアに笑いかける。リセアは小さく頭を下げた。
オルダとカミーロは勝手知ったる様子で狭い通路や急な螺旋階段を通り、あっという間に建物を出た。二人についていきながら、リセアは白亜の威容を振り返る。細かな浮き彫りの施された壁は、西日を受けて黄金色に輝き、あるいは紫の影をたたえていた。
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