5章 鎮む石
鎮む石 1
街道を一筋に西へ向かった。霜や小雪でぬかるんだ道が歩みを妨げ、ローヒェンに着いたのはレウァンツを発ってひと月余が過ぎた頃だった。行く先々でレウァンツでの惨事が語られ、耳にするたびに誇張や嘘と思しきものが塗り重ねられていた。怪物を従えた魔術師を犯人だとする者がほとんどである一方、魔術師を屠る正義の使いが現れたと語る者もいた。宿を求めて着いた先が魔術師の出入りを禁じていることもあったが、リセアはやすやすと門を潜ることができた。検問は大抵、門番の「お前は魔術を使えるか」という問いに「否」と答えるだけなのだった。
ローヒェンでは検問は行われていなかった。さもあらん、とリセアは考える。ローヒェンはレウァンツ同様、魔術師に友好的な町だと聞いたことがあった。
「オルダという魔術師を知っているか」
リセアは魔術に関する品を扱う店――いずれも堂々と看板を掲げていた――や酒場を回って幾度も問うた。ほとんどの人々は魔術師という響きに眉をひそめることなく応じた。そして行き着いたのは、居住区のはずれにある小さな家だった。扉を叩くと高い声が応え、おずおずと少女が現れる。自分より少し歳下だろうか、とリセアは思う。
「オルダの家はここで合っているか?」
少女が首を縮こめてうなずいた。
「そうです……でも今は出かけてて」
「どこにいる」
「学堂に」
少女が腕を伸ばして指を差した。街区の境である石壁を挟んで、白い、全容の分からないほどに大きな建物が鎮座していた。仰ぎ見れば無数の尖塔が天を衝いている。
「急いでるなら一緒に行きましょうか?」
冷気に耐えかねて少女が腕を引っ込める。
「頼む」
「分かりました。いま支度を――あ、そうだ」
少女が外套を着ながら言った。
「お名前、聞いていいですか?」
「リセアだ」
「リセア」
少女が繰り返した。
「先生から聞いたことがあるような――まあいいや」
リセアは少女に続いて歩いた。居住区を抜け、厳かな趣の建物が並ぶ界隈を進んでいく。
「リセアさんは先生の研究が気になって来たんですか?」
少女はあまり口を開かずに話した。
「研究?」
「先生は石の魔術を研究してるんです。学堂から呼ばれたらしいです。すごいことです」
二人は白い建物に入った。通り過ぎる大部屋には背丈の二倍ほどある書架が、まるで聖職者のように粛然と整列している。狭い廊下に面した個室には、窓際の机で書き物や読書に没頭する背中が垣間見えた。少女は居場所を確認するように辺りをうかがいながら、階段を通り、廊下を抜けて別の階段を上る。目的の階に着き、通りかかる扉を一つずつ数え、十四番目を慎重に押し開けた。部屋には手前に机、奥に書架が並んでいた。机にいた男が気づいて腰を浮かす。
「あの、ヤナです」
「ちょっと待って――オルダ」
男はローブを翻して書架の陰に隠れ、すぐに別の男を連れて戻った。新たに現れた男にリセアは目を吸い寄せられる。顔の骨格や唇の形が、ベノシュに酷く似ていたので。
「どうしたの、ヤナ」
「急いでるお客さんです」
ヤナがリセアを見上げた。リセアを目にするなり口元を小さく震わせ、しかし男――オルダは微笑を取り戻す。
「ありがとう。大事なお客さんだ。ご褒美にカミーロが蜜茶を分けてくれるってさ」
ヤナが小さく誇らしげに頭を下げ、ごくりとのどを鳴らして男に近づく。男は大げさに首を振り、机に置いていたポットを取った。
「私らは違うところで話そうか」
リセアとオルダは廊下に出、オルダの名札が掲げられた小部屋に入った。書架からあふれた本が机にも床にも塔をつくり、満足な身動きもままならない。物の積まれていない唯一の椅子をリセアに勧め、オルダが器用に窓際まで進んだ。
「よく来たね。君のことはベノシュ兄さんからの手紙で知っているよ」
リセアは筆不精な伯父を思い出した。
「といっても、こっちから聞いていたんだけどね。しかも書いてくることといえば、魔法の筋がいいっていうことばかりで――ともかく元気そうなのは分かっていたよ」
「お会いしたことはあるでしょうか」
「君が生まれた時に一度ね。親にそっくりで驚いたさ。お母さん譲りの髪にお父さんそっくりの顔ときたから。だから少し心配したんだ。君が魔力をもたないんじゃないか、そこまで似てしまったんじゃないかってね。まあ結局は杞憂だったわけだ。さて――」
オルダが指を組んだ。節の目立つ指には石の輪がはめられている。
「リセア、何を知りたい? 何を聞きたくて来たんだい?」
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