幕間 4

 黄昏の片隅が赤く染まる。乾いた紙はあっけないほどにたやすく燃えた。隙間なく書いた文字や図も、落胆や苛立ちを込めて刻んだ打ち消し線も、等しく黒く葬られる。これでいい。手ずから蒔いた種ならば、萌える芽も己の手で摘まねばならないのだから。

 自ら望んだのが始まりだった。だが、手を伸ばし、一歩ずつ近づくうち、触れてはならないものだと悟った。そう打ち明けると、自分を欺くつもりだと男は言った。手を引くと話しておいて、気を逸らした隙に独占する算段なのだと。努めて冷静に否定した。怖気立つような言葉で罵られ、胸倉をつかまれて迫られても、穏やかに本心を伝えつづけた。怒りとも憎しみともつかぬものに顔を赤く染めて男は去った。書斎を出ると、怒声が漏れていたのだろう、怯えるような顔つきで妻が立っていた。大丈夫だと伝えると、妻は眉尻を下げて微笑んだ。その表情に心が決まった。禁忌にすがらずとも、己の願いは叶えることができる。継ぐはずだった力がなくとも、慎ましく温かな営みをきっと守ってゆける。そのためにまず、開きかけた扉を閉ざし、封じねばならない。

 呼ぶ声がして振り返ると、裏口からこちらをのぞく人影があった。辺りには気づかぬうちに夕闇が降りていた。

「ご飯だって」

 娘が声を張り上げる。

「今行くと伝えてくれるかい」

「分かった。すぐ来てね」

 娘は微笑し、束ねた髪を揺らして戻っていった。扉の向こうからかすかに、今行くって、と聞こえてくる。

 つられて浮かべていた笑みをほどき、炎に向き直る。紙をまた一束くべた。これで全てだ。空になった手のひらを、風がなでて過ぎていく。静かに見据える先で、最後の一片がもがくように縮み上がり、そして崩れた。炎を消し、草を踏みしめて踵を返す。残照が絶え、夜が始まろうとしていた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る