鎮む石 3
オルダが扉を開けるとスープの匂いがあふれた。カミーロが顔をほころばせ、うんうんと続けてうなずいた。
「お帰りなさい」
「ただいま。パンを買ってきたよ」
本を読んでいたヤナが弾かれたように立ち、オルダと共に台所に向かう。振り返ったオルダに促され、リセアはカミーロと一緒に席についた。
「ヤナの料理は食堂顔負けだよ」
カミーロがほくほくとした顔のまま言った。
ほどなくオルダが鍋を持ってきた。オルダの後ろからヤナが飛び出し、大急ぎで机の上をあける。各々が椀にスープをよそい、大きな黒パンをちぎって分かち合った。スープには野菜と肉のほかに薬草の類が入っていて、体が胃の底から温まった。匙を動かしていると、隣のカミーロがリセアに体を向けた。
「リセアはどこから来たんだい?」
「東の大陸から」
「そうなんだ! てっきりこっちの人かと思ったよ。僕も向こうなんだ。アズリッツァは分かる?」
「はい」
「あそこの近くの町。あっちで勉強してたら学堂からお声がかかってさ。最初のうちは水が合わなかったけど、やっと馴染んできたところだ。いい友人もできたことだし」
カミーロがオルダを見る。オルダが片目をつぶった。
「そうだ、君、マリエラと知り合いなんだって?」
「はい。小さい頃にお世話になりました」
「彼女も向こうの出身って知ってる?」
「いえ」
「向こうにいた時は面識がなかったんだけどね。俺とほぼ同じぐらいの時にこっちに出てきてさ。頭もいいし優しいし、魔法も得意で――こういう研究をしてると、分野によってはどうしても魔法が使えた方が都合が良かったりするから。俺は使えないからさ、マリエラによく手伝ってもらってたんだ。オルダにも何回か」
「何回も、ね」
「そうだった?」
「そうだよ」
「覚えてないや」
会話が途切れた。リセアはスープで口を潤してから、ニオヴェと蜘蛛のことをかいつまんで話した。
「専門家の意見を聞きたいそうだよ」
オルダが言い添える。ヤナがスープをすすり、上目をつかってカミーロを見た。
「大きい蜘蛛といえば森や廃墟の主だろうなあ。従者に選ばれることはあまりないよ。術者が物好きなんだろうね。大きさはどんな感じ?」
「私の丈の五倍くらいだと思います」
「そりゃ相当大きいな。それを呼んだり引っ込めたりするんだから、けっこうな魔力を使うことになるね。他に何か特徴は?」
「全身が黒く、目だけが赤いです。背中から蜥蜴を出していました」
「なんて? 蜥蜴?」
カミーロが目をぱちくりさせた。
「背中が弾けて蜥蜴が出てきたんです」
「うん……? そういう魔法なのかもね。蜘蛛の背中に蜥蜴を隠すっていう……あまり意味が分からないけど」
「物好き」
「だろうね」
ヤナが言い、オルダがうなずいた。
「そしたら――ニオヴェって人は何を使って蜘蛛を操ってた? 動物を従えるといったら、術者と従者が揃いの道具を介して繋がるのが一般的なんだけど。鎖でできた輪とか、宝石とか」
「揃いの道具があったようには思えません。ですが、奴が〈明かり石〉を持っていたのは見ました」
「〈明かり石〉?」
「はい。奴が石を出した後に蜘蛛が現れました」
「あまり関係があるようには思えないなあ」
カミーロがスープの器の縁を指でなぞった。
「〈明かり石〉は魔力とは縁がないんだよ。暗闇に反応して光るだけだからね。魔力を帯びることもなければ、魔力の影響を受けることもない」
「魔術師からすれば相性が悪いとも言える」
オルダが付け足した。
「ですが、奴は以前も〈明かり石〉を使って蜘蛛を呼んでいました」
「本当に?」
「記憶が正しければ」
「うーん」
カミーロが黒パンの最後の一欠片を口に放り込み、背もたれに寄りかかる。
「〈明かり石〉と魔術か……。明日調べてみよう」
「ありがとうございます」
「そういえばまだ聞いていなかったけど、」
オルダが匙を置いた。
「ニオヴェの魔術を知って、それからはどうするんだい?」
三人の視線を感じた。リセアは一瞬言い淀んだ。命は一つきりだぜ、とゲルトの声が浮かんで消えた。
「弱点を突き止めて術を破りたいと思っています。これ以上被害を出さないために」
おお、とカミーロが声を漏らした。
「私もできることをやろう。兄さんたちのためにもなるだろうからね」
オルダが穏やかに言い、スープの鍋を置きに台所へ行った。ヤナが椀や匙をまとめて後を追い、干し葡萄を持って席に戻る。他愛のない話の合間に一房を食べ終えた。話がひとしきり落ち着くのを見計らい、カミーロが防寒着に手を伸ばす。
「そろそろ帰るとするよ」
「途中まで送ろう。腹ごなしに」
オルダとヤナが立ち上がり、リセアも外套を羽織った。
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