第24話 三匹、雁首をそろえる

 しかし、何はさておきしなければならなかったのは、おそのが帯から銭入れを引っ張り出し、捧げるようにして渡そうとするのを、柔らかく辞することであった。


「そんな、困りますよぅ。それなら、薬売からあらかじめいわれていたのの半分でしたら、受け取ってもらえます?」

「だめだよ、そんなにしないもの。そこらの草と、流しに転がっているようなものから作れるんだから。それに少し術をかけるだけだよ」

「その術ですよ。町の薬屋じゃなしにわざわざ旅の薬売に頼んだのは、その術におすがりしたかったんですよう」


 押して金を握らせようとするのには、さすがの白月狐しらづきぎつねも参った。懐に入れるには額が微妙すぎるのだ。

 おそらくは真面目に働いて少しずつ貯めた金なのだろう。この先しばらくの宿賃としては多すぎるが、追儺ついなが大名屋敷を回って集める金からすればあまりにも少なすぎる。町を出るまでに使い切るには、それこそ廓を冷やかしにでもゆくほかないが、仙狐の身であればそれも慎むべきであろう。


 よい切り返しはないものかと頭を悩ませていると、お園が遠慮がちに「もしよろしければ……」と小さく言った。


「うちは小料理屋とちょっとした温泉宿とを兼ねているんですが、お金の代わりに泊まっていただくというのはどうでしょうか?」


 これは追儺にとって、ありがたい申し出だった。

 俗世を離れた暮らしをしているとはいえ、たまにこうして町の華やぎに触れてしまえば、人並みの暮らしが恋しくなるもの。野山にはないくだものの一つでも腹に落としこみ、己の尾ではない枕に頭を預けてまどろむのもよいものだ。


 ようやく話がまとまって、追儺とお園は社をあとにすることになった。女の足に合わせて先を歩きながら、追儺はそれとなくお園の不安に探りを入れた。


「異国への船旅とは、それは心配だろうね。船酔いくらいならば薬でおさまるけれど、海が荒れたらどうしようもない」

「お上が取り持つ『西洋留学団せいようるがくだん』なので、お役人も付いてくださるようですから、滅多なことはないと思いますけれど」


 お園の草履が石段を踏む音はすれど、追儺の浅沓の音はない。気づく者があれば、その目にはさぞかし奇異に映ったであろうが、竹薮にはせいぜい、鳴き競べをする蟋蟀しかいない。


「一人旅というわけではないんだね、少し安心した。何人くらいでゆくのだろう?」

「船乗りの方以外では、お役人が数人と、娘たち二十人それぞれに、世話役の女が一人ずつ付くと聞いていますねぇ」

「娘ばかりが二十人もとは、なんだか奇妙だね」

「えぇ、そうなんですけれど、留学団のお召しは今回が初めてじゃないんです。これまでに二度か三度、町や近くの村から何人かの娘が選ばれて、お城に上がっているんですよ」

「でも、先に出発した留学団は、まだ戻ってきていないはずじゃない?」

「えぇ、最初の一団が国を出て、まだ一年経っていなかったと思います」


 何かが妙である。

 追儺が訝しげに唸ったので不安が増したのか、お園は今にも泣き出しそうな声で言った。


「あたしが一番辛く思ったのは、文のやり取りを禁じられていることなんですよ。これから何年も、あの子がどこでどうしているのか、なにを思っているのか知ることができないなんて……」

「それはおかしいね」


 歳若い娘が故郷を離れ、何年も異国の地で暮らすのである。父母が恋しくないはずがあろうか。それを権力でもって禁ずるというのは、あまりの仕打ちといえよう。


「あの子を行かせたら、二度と戻ってはこないような気がしてならないんですよう……」


 お園の言葉に風が重なる。竹が揺れ、ただでさえ尻すぼみになった声は、追儺でなければ聞き取れなかっただろう。後ろ手に握る女の柔らかな手が小さく震えるのに、気づかぬふりする狩衣姿。

 「明日、娘を行かせていいもんでしょうか?」と神妙な声で問う母親に、即答してやることができない。いずれよからぬ企みが息づいているのは感じるが、そのからくりを知るには手がかりが少なすぎた。

 追儺は思案に沈みつつも、時折身を屈めて草の葉を摘み、確かな足取りで暗がりを進んだ。


 竹薮を抜けて研屋町の通りに戻ると、追儺はお園の手を放した。


 足早に行き交う人々に、この母親のように思いつめた様子はない。一仕事終えたあとの清々しい顔つき、妻や子の待つ家へと急ぐ満ちたりた顔つき、あるいは早くも日銭を博打ですったのかしょぼくれた顔つき。悲喜こもごもはあれど、みなつつがなく一日を終えられることに、概ね満足しているように見えた。


 追儺はふと思い出し、お園の横に並んで、努めて明るい声で尋ねた。


「そういえば、町中の宿を回ったということだったけれど、どこぞでまろの連れを見なかったかい? こう――やたらと胴の長い男でね」

 などと言いつつ〈あわ雪〉の暖簾を潜ると、果たしてそこには雅寿丸がじゅまるがいたのであった。


「奇遇だね」

「おう、おまえも来たか。ちょうどいい、なにか食わせてもらえ。美味いぞ」


 手狭な店は、四人掛けの卓が二席、仕切りに隔てられているだけある。その一卓にあぐらをかいた、墨染め袴に黒白二色の蓬髪は、なにやら鍋のようなものをつついていた。一見、粕汁のようにも見えなくないそれは「乳鍋」と呼ばれる〈あわ雪〉の名物料理。鶏の肉といくつかの根野菜を、牛の乳で煮込んだものだ。


「鼬野郎だけでもやかんしいちゅうに、このうえ気障狐まで現れるとは、頭が痛いわい」


 なぜか大男の向い側の席に着き、同じ鍋に箸を突っ込んでいるのは、小汚い法衣姿の慶吾けいごだ。鍋にちょっかいを出しては、べつの皿に盛られた酥を、大事そうに少しずつ舐めている。傍らには、空になった冷やし乳の茶碗も見える。


 乞食坊主の向かいに腰を下ろしながら、清げなる狩衣姿が言った。


「田舎狸の分も弁えずにこのような座敷に上がりこむとはね。そんな不浄極まりない格好で食事処に立ち入るのは遠慮願いたいよ」

「なぁんじゃと」大きな目を見開いたかと思うと、空の茶碗が飛び上がる剣幕で卓をぶっ叩いて立ち上がり、慶吾が声を荒げた。「こりゃ、小汚く見せかけとるのじゃ。真新しい法衣なぞ着ておったら、小坊主がと舐められる。おんし、そがいなこともわからんのか」

「あら。どうせでしたら、小奇麗な格好でいてくださる方がいいと思うんですけど」


 店の奥から、盆に冷やし乳を載せた娘が出てきて、小奇麗とは程遠い身なりの男に微笑んだ。木戸門の前で地蔵に握り飯を供えた、あの娘である。


「お、おゆき殿ッ……!」

 元々色の黒い顔に血を上らせるものだから、慶吾の顔色はどどめ色になった。身に着けている垢染みた衣をつかんで――本人曰く、わざとそう見せているらしい――汚れ具合をまじと見、腰掛の空き樽へ力なく腰を落とす。


 お雪は声を上げて笑いながら、空の茶碗を受け取り、冷やし乳で満たされた茶碗を卓に置く。そして、目を閉じて乳鍋を貪り食う蓬髪の男の横に、澄まして腰を落ち着けている男へ目を留め、「あ」と小さく叫んだ。


「わたしったら、どうしましょ。何のお構いもしませんで……まさか、お公家様が……」

「お雪殿ッ、この男しは」盆を放り出し、今にも平伏しそうになったお雪をどうにか押し留め、慶吾は顔を上げさせる。「酔狂でこがいななりをしとる、はた迷惑な野郎なんじゃ。本ッ当に、紛らわしくていけん。ようく聞いてくだされよ、こん男はただの――」


 化け狐だ。そう言おうとして口ごもる。物の怪であると知られて良いか悪いか、それは本人が決めること。断じかね、乞食坊主は目を白黒させながら、無駄に身奇麗な男を見た。

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