第4話 長いの、白いのに睨まれる

 同じころ。大鼬を見やる白狐の目は、いよいよ剣呑な光を帯びてきた。


美玉びぎょくがよけいなことをしてくれたために、これまで年寄りの昔話か、さもなくば絵草紙の中にしかいなかったはずの物の怪――今は猫も杓子も『妖怪』で一緒くたにされているね――が現のものとなり、悪さを働くようになった。ものを盗む、田畑を荒らすはまだかわいいもの。中には人を呪詛したり殺して食ったりするものも増えてきた」


 月色に輝く狐の赤い虹彩は、突如、針の如くに引き絞られる。風が止み、夜気が辺りを圧し包む。虫たちは黙り込み、すすきは踊るのをやめた。


 鼬の小さな丸い耳には、あらゆるものの音が届かなくなった。今にも、月の光が降り注ぐ音さえ聞こえてきそうである。


「ぬしは一体、何をした? その身に纏いつく瘴気、一人二人のものではないね。村の一つでも滅ぼしたのかい?」


 黒々と輝く丸い目を、鼬は狐に向けたまま黙っていた。そこには取り乱す様も、申し開きを口にする素振りもない。


「そうして起きあがって動き回れるのが不思議なくらいだ。這いずるのが関の山だろうに。そしていずれ遠からず心を蝕まれ、魔道に落ちる……」

「それはない」今までになく真面目な顔つきで、大鼬が宣言した。「おれはなにがあっても、魔道には落ちないぞ」

「甘いね。神仏の加護があるはずの人間までが魔道に落ちるご時世だよ。それのない獣、まして化け物なんて、落ち放題さ」

「落ちないっ」


 この不毛なやり取りは、しばらく続いた。いい加減面倒になった狐が、これで仕舞いとばかりに視線を外した。しかし鼬は長い胴をねじ曲げ、強引にその視界に割り込んできてから、やや髭を落として言う。


「だが……そうか、瘴気というのか。おれに絡みついて行く手を阻むものが、おまえには見えるのか?」

「見えるよ。まろは鳥獣行者判官ちょうじゅうぎょうじゃほうがん封国鳥獣連ほうこくちょうじゅうれんより、人に悪事を成した妖物を己の裁量で裁く許しを得てる」


 答える白狐の目の前で、大鼬は緩慢な動きで身を伏せた。今の今まで漲っていた活力はまやかしであったのか、岩に長々と横たわる姿には、濃い疲労が凝って見える。


「おれは、なにかをしたんではない。おれは……おれは、なにもしなかったんだ」

「なにも……しなかった?」

「おう。おれの生まれ育った村のみなが、ある日大勢殺されたんだ。見たことも聞いたこともないほど無残にな。おれは――おれたちは、村を守るために山の神さんが遣わした三匹の物の怪だったのに、そのときに限って守りを手薄にしてしまったんだ」


 ほんの少しだけ顔つきを和らげた追儺ついなが、口をつぐんだまま頷く。雅寿丸がじゅまるは、丸い目を上目遣いにして追儺を見上げながら言葉を続けた。

「おれと下の弟が村に戻ったときには、もう下手人はいなかった。上の弟はひどい怪我をしていて、村人はほとんど死に絶えていた。辛うじて息のあった者もいたが、すぐに恨みの言葉を残して息絶えた。運良く出稼ぎにいっていて難を逃れたやつも、なにかの弾みで見境をなくしたおれたちの仕業だと、そう思った」

「さっきから話に出てくる弟たちはどうしたんだい? 死者や生き残りたちがぬしらの仕業だと思うなら、ぬしだけが恨まれるというのは筋がとおらない」

「うん、死んじまったんだ」

「ふうん」狐、油断ない目を向けつつ、「ではこの瘴気は、本来であれば村を襲った下手人が負うべき村人たちの恨みを、行き違いでぬしが負わされてしまったというわけ?」


 雅寿丸は頷こうとして、左右の牙が岩につかえた。それでも事情は察したと見え、追儺は立ち上がろうとした雅寿丸を制した。訝しげな眼差しは相変わらずであったが。


「先に言っておくけれど、狐に嘘をつこうと考えるなど、夜の錦だからね」

「そんな、おれは嘘など――」

「黙って」


 白狐は鋭く言い、獲物を見る目つきで大鼬をねめつけた。


 十五夜は、白月狐の通力が最も大きくなる夜だ。白狐は月の白い光を得、いっそうまばゆく輝いた。赤い双眸は今宵、なにもかもを見透かす――。

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