第5話 長いの、鳥獣狼士となる
木の枝に結びつけられた糸が、きらめく水面をたゆたっている。いくら小川の雑魚とて、このようにいい加減な釣竿に、かかってやろうとは思うまい。流れにさらわれて、下流にゆらめく釣り糸の周囲には、魚の影さえ見てとれなかった。
「
右からかかった声に振り向くと、一人の若者が川の中を熱心に見つめていた。
「魚がほしいわけではないぞ、
「おれたちの性分では難しいと思うがなあ」
「弟よ、それでなくとも
すると今度は反対側――左手から声がかかる。
「兄者、その第五条はどうも、人に紛れて暮らすのに、獣の臭いや血の臭いをさせて人間を不安にさせてはならんという理由らしい。さっき、さっそく師匠に訊いたんだ」
こちらは鈍色の野袴姿である。年恰好、背格好は楽喜丸とほぼかわらないが、髪を束ねた髻がやや下にあるため、心持ち落ち着きがあるように見える。
「おう、さすがだな
「うむ。おれも鳥獣手形をもらったら、すぐにしまい込むとしよう。失くしてしまったらことだからな。条文については、楽喜に任せる!」
下の兄の吉勝丸までがそう言いだすと、楽喜丸、懐から真新しい書状を取り出し、広げて忙しく目を走らせはじめた。
「つまり、明日までに覚えなければならんのか……」
そして再び、夕暮れ時が迫る川辺にて、三者が思い思いにすごそうとしたとき。
「誰か、助け……助けて!」
背後から、か細い叫び声が聞こえてきて、三つ子の兄弟は一斉に振り返った。
「あれは……誰だったか?」
「兄者、きっと隣村の子供だ」
「もう忘れたのか? あれは
「おう、そうだったか」雅寿丸は膝を打ってから、山道を駆け下りてくる子供に、陽気な声で言った。「貫太郎、どうしたどうした、そんなにおっかない顔をして」
「たい……大変なんだ。いきなりっ……ばっ、化け物が……やってきて、暴れている」
「まあ落ち着け、貫太郎。おまえさんの村は、
咽ながら話す子供の背中をなでてやりながら、楽喜丸が尋ねた。貫太郎は、大きくかぶりを振って、今は人の姿をしている三匹の物の怪たちを見回し、叫んだ。
「蛇姫さま……腹に赤ん坊がいるんだ、今。化け物の相手をしてくれているが、あんな体で、とてもじゃないが……」
左右から二人の弟たちが見つめてくるのへ、雅寿丸は、しかと頷いて見せた。
「うむ、加勢しに行くぞ」
手製の釣竿が、ときおり岩にひっかかりながらゆるやかに川を下っていくさまを、雅寿丸は見ていない。三兄弟と貫太郎は、村と村をつなぐ山道まで駆けた。右手の登り道折れたとき、続く足音が一つたりないことに気づき、振り返る。
「吉勝、どうした?」
「確かに一大事だが、おれたちはあくまで
「うむ、いわれてみればそうだな。さすがは吉勝兄」
雅寿丸もそれに大きく頷きながら、一同の顔を見渡した。
「よし、吉勝。おまえが残れ。おれと楽喜が宮川へ向かう」
「わかった。兄者、鳥獣狼士としての初仕事、期待しているぞ」それから弟に向き直り、「楽喜丸、すでに怪我人が出ているかもしれん。宮川の皆と嫁ヶ淵殿、兄者を頼むぞ」
「おう、まかせろ。死人以外ならな」
末の弟、楽喜丸が、快活な笑顔で請け負う。三人はもう一度顔を見合わせると、それぞれの行くべき道を駆け出した。雅寿丸と楽喜丸、そして宮川村の貫太郎は、山道を西へ。吉勝丸は単身、山道を東へ。
西に向かって伸びる道は、上り坂である。恐らく、ずっと駆けどおしで風隼村までやってきたであろう貫太郎の足取りはすぐに重くなり、今や息をするのがやっと。雅寿丸は貫太郎と歩調を合わせながらしばし歩んだあと、前をゆく末の弟の背に言った。
「なあ楽喜、おまえはなるだけ急いで先に村へ行け」
当然、楽喜丸は歩調を緩め、いぶかって尋ねる。
「どうした雅寿兄、腹でも痛いのか?」
「違う違う。おれは貫太郎を負ぶって行くから、少しばかり遅くなる。その間に宮川村で何が起こるかわからん。だからおまえは先に向かって、怪我人がいたら治してやり、できたらなんとかの姫さんの助太刀もしてやるんだ」
すると楽喜丸は意得たりと目で頷き、勢いよく飛び上がって宙返りをしてみせた。刹那、「どろん」とも「ぐわん」とも言い難い怪音とともに白煙がたちのぼり、それが晴れると、野袴の若者ではなく、やや大きな鼬が現れる。しかし目を引くのは体躯ではなく、その体よりも長さのある尾であった。尾長鼬は髭を体に沿わせて引き締めると、人の姿であったときに倍する速さで駆け出し、見る間に遠ざかっていった。
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