第14話 長いの、白いのと丸いのを取り持つ

「長いの、あれを見てごらん」


 日差しが赤みを帯びてきたころ。新知川しんちがわに架かる橋の手前、小栞宿こじおりしゅくの木戸門前に差し掛かったときである。

 追儺ついながようやく草むらから出て、少し離れた街道脇を示した。


「むう。なんだ?」

「狸さ」


 目を凝らしてみれば、暗い色合いの毛玉めいたものは、たしかに狸に見えてきた。足を速めてなお見れば、ぼたもちを思わせる丸い体に短い四肢はいかにも狸然としていたが、尾は何者かに食いちぎられでもしたのか、並の半分しかない銀杏形だ。まるで、尻に三味線のばちをつけて歩いている風情である。左の耳も切りつけられたような切れ込みが入って、蓮の葉のかたちをしている。ろくな手入れをしていないと思しい艶のない毛が、あちらこちらで抜け落ち、擦り切れ、毟られた、いかにもみすぼらしい禿狸であった。


「なにをしているんだろうな」

「これ以上近づいちゃいけない。じっとしていてごらん、面白いものが見られるよ」


 狸の様子は胡乱だ。西番所の先――西町辺りをしきりに気にしながら、街道と草むらの間を行ったり来たり。ただでさえ短い尾が擦り切れるかと危ぶまれるほどにそれを繰り返したあと、何度目かに木戸門を見つめてしばらく……やおら慌てふためくと、街道脇で額に木葉を乗せ宙返りをし、その姿を地蔵に変じた。


「やや。見事な術だな」

「……そうだね」


 追儺による同意の歯切れが悪いのは無理からぬこと。

 狐族と狸族の、反目の根は深い。かつては国の至るところで、始終小競り合いを繰り返していた仲である。


 妖狐襲来ようこしゅうらい以降、敵を同じくした狐と狸の棟梁が、一時手を結んだ。棟梁らが「狐狸連こりれん」を立ち上げて、今年で三十年。狐狸族の若者らの間には、もはや古臭い確執はない。

 しかし、狐狸間の戦を知る世代にはいまだ、見えざるしこりが残っていた。


 禿狸が地蔵に変じて間もなく、木戸門から十王橋じゅうおうばしを渡って、一人の娘がやってきた。

 顔立ちは、いかにも気立てのよさそうな娘だ。大人になりきれていないためか色気とは縁遠く、また、とてつもなく美しいわけでもないが、男であれば気にならずにはおれない何かがあった。たとえばそれは、清らかさと言い表すことができるものだろうか。だが、それだけではない。黒目がちな瞳には輝きが満ちており、いかにも年頃の娘といった見てくれに反して、思いのほか強い志を秘めているように見受けられた。


 娘はまっすぐに地蔵の前までくると、胸に抱えていた竹の皮の包みを開いて供え、両手を合わせた。合掌したままなにかを一頻り呟いてから、握り飯三つを残し、木戸門をとおって町へと戻ってゆく。


雅寿丸がじゅまる。すぐに人の姿であの地蔵の前にゆき、いいと言うまで手を合わせておいで」

「おう、わかった」


 昨夜の鍛錬の成果か、転変術の骨法を会得した鎌鼬はすでに、人の姿へ変じるのに苦労はしなくなっていた。

 結い上げた二色の総髪に墨染めの袴姿となった雅寿丸は、手早く唐草模様の包みを解く。


 いかなる手妻によるものか皆目見当つかないが、開かれた風呂敷には一振りの刀が乗っていた。

 刃渡りだけで三尺に迫る大振り。鮫着せ漆塗りの柄木に、銀鼠の蛇腹糸を巻いた柄。鞘は珍しい鈍色の呂塗りではあるが、鍔はただ分厚いだけの鉄地でなんの装飾もない。色合いこそ変わっているものの、無骨で実践本意の拵えである。


「おれの弟たちだ。吉勝楽喜丸きっしょうらっきまるという」

「ふうん……」


 小首を傾げた追儺にそれだけ言い置いて、雅寿丸は両手で持つのさえやっとと思われる刀を苦もなく帯に挟み、大またで地蔵へと向かっていった。


 言われたとおりに手を合わせながら目を落とす。

 握り飯はどうやら、炊きたての飯で拵えられたとみえ、まだ温かそうに湯気を立ち上らせていた。米は透き通った白米で粒揃い。おまけに艶やかで香りもよいときた。


 出立前に川魚と木の実で腹ごしらえをしたはずなのに、腹がぐうと鳴った。そのまま見ておれば涎を垂らしかねないと思い至り、目を閉じることにする。


 ――さて、しばらく経ったが、いまだ追儺の声はない。雅寿丸がふと目を開くと、地蔵と目が合ったような気がした。竹の皮に行儀よく並んだ握り飯は、とうに冷めてしまっている。


「せっかくの供え物、ありがたく頂いたらいいんじゃない?」


 わずかに笑みを滲ませた、しかし冷たい声が背後からした。

 振り向けば、生まれたときからその出で立ちであったといわれても驚くまい、狩衣姿の美丈夫が後ろに立っていた。


「そうだな、頂こう」


 待ち望んだ言葉を得、袴姿の快男児は屈み込み、握り飯に手を伸ばした――そのとき。


「おのれ、狐めの差し金か!」


 どろん、と白煙が立ち上ると、そこにいたのは三十路になるかならぬかの年恰好の男。

 色黒で、短い黒髪にどんぐり目、そして太い眉。出で立ちは、狸が得手とする僧形。といって、いかにも徳の高い高僧というのではなく、ごろつきと大差ない乞食坊主のたたずまいだ。かぶった菅笠から爪先まで、どこがどうというわけでなく、とにかく薄汚い。恐らくは追儺より背があろうが、腹を突き出すような風変わりな立ち姿のため、目線はやや低くなる。


 僧形の男は竹の包みを、それはそれは大事そうに抱え込み、まず雅寿丸を、次いで追儺を睨みつけた。男のただでさえ大きな目は、白い優男を捕らえるとしばし動きを止めてのち、ますます大きく見開かれた。


「うぬう……おんしは白月しらづきの里の追儺太夫」芝居がかった調子で指を突きつけ、握り飯を取り落としそうになりながら、「小栞くんだりまで何しに来た。こりゃ儂が貰うた握り飯じゃ。おどれにやる分はないぞ」


 言いながらそれを鷲掴みにし、取られてなるものかと、一つを三口であれよという間に平らげてしまった。


「あの娘はぬしにくれてやったわけでなく、地蔵菩薩に供えたのだと思うけれど? 悪人からならばともかく、あんなに人のよさそうな娘から食べ物をせしめるなんてねえ」

「せしめるとは人聞きの悪い。あん娘が手を合わせて感謝の言葉を言いよるのを聞いていなければわからんかもしれんが、これはたしかに、儂が貰うたもんじゃ」


「『お陰様で明日、出立できます』とは、ぬしのお陰なんだ」


 狐の大きな耳は伊達ではないらしい。


「盗み聞きとは、ええ趣味じゃのう。こがいなことじゃから、白月の気障狐めは……」

「よせよせ」


 火花を散らす二枚目と三枚目の間に割り入る二枚目半。雅寿丸である。


「追儺が女に化けたら、さぞかしあれだろう。しかしおまえの地蔵も見事だったぞ。ああも巧みに物へ変ずる術があるとはなあ!」


 朗らかに言い、笑顔で双方の肩を叩く。


 優男は形の良い眉を吊り上げ、荒法師は口をへの字に引き結び、どちらも黙った。

 狐と狸の取り決めもあり、元々両者にことを構えるつもりはない。どこぞでやりあったなどと、いずれかの元締めに知られれば、どちらが悪くとも仕置きは双方に及ぼう。せいぜいがこうして、使い古された悪罵の応酬に留めておくのが吉なのだ。

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