第8話 長いの、白いのを落胆させる

「……いいだろう」


 追儺ついながそう言ったとたん、岩山に再び音が溢れ出した。風がすすきをうち鳴らし、虫たちが歌を競い合う。雲は夜空を滑りだし、張り詰めていた夜気はゆるやかに霧散してゆく。


 冷酷に細められていた追儺の瞳は元どおり、わずかに縦長なそれへと戻り、纏っていた気配も、その毛並みに似た柔らかいものへと落ち着いた。


「呆れるほど見とおしのいい心だね。それじゃあ相手が狐に限らず、思ったことがすべて筒抜けだろうに」

「うへへ。表裏のない風隼村かざはやむらの快男児とは、おれのことだ」


 大鼬は鼻先をうごめかし、髭を得意げにかいろがせて見せた。


 化かす騙す誑かすを生業とする狐の心は、堀や城壁を幾重にも張り巡らせた天守閣にも等しい堅牢な造りをしている。ゆえに、この雅寿丸がじゅまるという鎌鼬の心のありようを、俄には信じられなかった。いうなれば、天下の往来に、築地で囲うこともせず、蔀戸どころか一連の御簾さえも取りつけない寝殿を設えたようなもの。掘っ立て小屋のほうがまだ上等だ。もはや、風とおし云々の話ではなくなっている。


「あれが風隼村……ぬしの育った村なんだ」

「うむ。何もない村だが、茶店の団子はすこぶるうまい。だが」大鼬は見事な髭を顔の脇へとうな垂れさせ、「本当に何もなくなってしまった。おれたちが村の守りを手薄にしなければ……いっぱしの渡世狼士とせろうし気取りで隣村の面倒事に首を突っ込まなければ、どうにかできたのかもしれん。そう思うとなあ」

「半人前が粋がったところで、たかが知れているだろう」

「だがな、おれはこう見えても狼士なんだ」


 妖狐襲来ようこしゅうらいより渡来妖怪が悪さを働くようになったが、民百姓では歯が立たぬ。領主を筆頭に侍どもも、美玉びぎょくを恐れて役立たぬ。そんな折に立ち上がったのが、君主を持たずに諸国をさすらう浪士たちであった。浪士らはわずかな金子で退治を請け負い、三々五々に連れ立って、悪玉妖怪を狩り立てた。そのさまが山犬の狩りに似ていたところから、浪士は狼士と呼ばれるようになる。


「狼士?」と返してから、先の話を思い出す。「そういえば、釣りをしているときに、鳥獣手形をもらったとか、そんなようなことを話していたね」

「おお! なんで知っているんだ? おまえ、すごいなあ」

「うん、狐だからね」


 雅寿丸のかつて目にした出来事を知ったあの術は、白月狐しらづきぎつねの得手とする妖術で「垣間見」という名がないわけではなかったが、追儺はより面倒でない理由を述べた。あしらわれたとは露知らず、雅寿丸は納得して続ける。


「まあ、これを見てくれ」


 大鼬は前足を首の後ろへ持っていくと、風呂敷包みから頭を引き抜いた。そして、結び目に腕を突っ込んで中をかき回し、ほどなく長い爪に一通の書状を引っ掻けて取り出した。


「これな、おれの鳥獣手形だ。役人や判官に会ったら見せろっていわれていたっけな」

「拝見しよう」


 鼬ほどではないものの、狐は前足を小器用に操って、岩場に書状を広げる。そこには、「風隼村で生まれた鎌鼬の雅寿丸は、渡世狼士として人間に与し、鳥獣諸法度ちょうじゅうしょはっとに基づいて悪しき妖物を捕縛するものなり」――と、実に荒々しい筆捌きでしたためられていた。終わりに、山の神の名が記されている。このお墨付は望めば誰でも手に入るものではなく、その土地土地の長たる物の怪に力を認めてもらう必要がある。


「何が得意なの?」

「刃物なら何でもござれだ。鎌鼬の二番太刀だからな、刃の扱いだけは心得ているぞ」


 白狐は「ふうん」と唸ってから書状を畳み直し、鼻先で大鼬のほうへと押しやった。


「月読の話に戻るんだけど」

「おお、そうだったそうだった」

「彼の妖狐へ近づきたくば、次に言葉を交わした者を判官付介錯人ほうがんつきかいしゃくにんとせよ……と、月はこう答えた」

「ほほう。たやすい注文でよかったなあ。これがたとえば、鼻からうどんを食えだとか、屁で義太夫を奏でろとかだったら、大変だったろうな」

「月読というのは、月に導きを請う代わりに品のない芸を披露する儀式ではないよ」


 ついまともに請け合ってしまってから、追儺は小さく咳払いをした。相手を口車に乗せ、巧みに操るのを得手とするはずの狐が、どういうわけか図体ばかり大きな仔鼬に翻弄されているのである。話が意図しないほうへと逸れてしまっていけない。


「まろが言いたいのは、そういうことではないんだよ。月の示した導きは、なかなかどうして難しいものだった」


 水たまりに注がれていた赤い目が、横目で鼬をかすめる。


「あろうことか、どこぞからにょろにょろと湧いて出てきたぬしなぞと言葉を交わしてしまったのだから……」

「おれか」


 大鼬、跳ね起きたいところだが、瘴気とやらが邪魔をするのでのろのろと体を起こした。


「まろとしては、外つ国の使節団と行き逢うか、さもなくば幕府要人の縁者に出会うかして、それとなく美玉に近づきたかったのだけれど……怨念に取り殺される間際の鎌鼬とは、万に一つも見込みなしだよ」

「まあそう言うなよ。これもなにかの縁だ」

「無駄を承知で聞くけれど、実は美玉と親しかったり、そこまではゆかなくとも伝があったり、しないよね?」

「うはは、まさか」


 雅寿丸は笑って仰向けに寝転がり、前足を打ち鳴らした。手のひらの柔らかい肉がぶつかり合うだけなので、景気のよい音はしない。


 追儺は雅寿丸に気取られぬ程度に首をうなだれさせた。月の眷属として、今までその導きを露ほども疑ったことはなかったが、今回ばかりは傾げた首が元に戻らない。この鎌鼬との出会いをなかったことにはできまいかと、そればかりが頭を巡った。

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