第7話 長いの、祟られる
「ううむ、兄者、
「喋るな
言いながら末の弟は己の長い尾をつかんで、その先で兄の体に開いた傷口を撫でた。撫でるたびに血が止まり、傷口が塞がろうとしてゆく。一番の深手である前足を除くすべての傷が軽くなったところで、毛長鼬は尾長鼬を押しのけて起き上がった。
「まだ治ってないぞ、吉勝兄、辛抱しろ」
「悠長なことを言ってはおれん」そう言う吉勝丸の左腕は今にもちぎれそうであり、こちらも悠長にしていられる場合ではなかったが、続く言葉が兄と弟を黙らせた。「大男が現れて、不覚にも敗れてしまった。やつは勝ち誇っておれに聞いた。『己の命と村の衆、どちらを生かしてほしいか』とな」
よろめきながらも先頭をゆく毛長鼬を、
「まあ当然、やるならおれをやれといったんだが、大男め、おれの命は取らずに村へ入っていってしまったんだ」
三つ子鼬が村に戻ったとき、そこに広がっていた光景は、地獄と大差ないものであった。村人という村人は、一人残らず地面に倒れていた。ただし、その倒れ方は尋常ではない。脳天から股まで体をまっすぐに割られ、断面を下にして右半身と左半身が並んでいる。頭から爪先までが一尺ほどの輪切りにされ、一つおきの互い違いに、まるで刺身のような按配で置かれる。首から下が、腹、骨、背の三枚におろされ、川の字を作っている。男女一人ずつと老人の首と腕が付け根から切り取られ、男の首からは手が、女の両肩からは男と老人の首が、それぞれ生えているかのように置かれている。次第に奇をてらった殺し方に飽きたのか、手足と首を胴体から泣き別れにさせて捨て置いてあったり、体の半身を櫛のごとく刻まれていたりした。
さしもの賑やかな鼬たちも、このありさまにはひと言も口を利けなかった。惨状を目の当たりにして、言うべき言葉を何一つ思いつかなかったのだろう。雅寿丸がじゅまるを先頭に、今朝言葉を交わしたばかりの相手や、手習いで机を並べた友が壮絶な死に様を晒しているのを、ただただ見て歩いた。そんな中、不意に毛長鼬の吉勝丸が、うつけのような声を出した。
「お
そしてちぎれかけた前足を引きずるようにして、兄を追い抜いてゆく。
「師匠のところか」
「無事だといいが」
長兄の呟きに末弟が無意味な言葉で応じ、二匹は同時に駆け出した。一帯で一際大きな家が見えてくると、三匹は望みが潰えたことを悟らないわけにはいかなかった。障子にはおびただしい血しぶきが飛び、血の手形が下方へと伸びている。
何が起こったかは一目瞭然だった。吉勝丸に一足遅れて手習い所に踏み込むと、案の定を少々悪くした眺めが広がっていた。白髪茶筅髷の老人は、腹の肉を切り取られ、臓腑をすべて取り除かれたところに、往来物や儒学書などの本が詰め込まれている。そして――
「お幸、お幸」
そして、老人の孫娘はというと、首だけが転がっていた。そばに山盛りになっている肉片は、それ以外……つまり首から下を骨も皮も一緒くたに刻まれたものだろう。両の眼窩には、それぞれ切り取られた指が十本ずつ押し込まれており、居場所を追いやられた二つの目玉は口の中に収まっていた。
「吉勝、なあ吉勝、もう見ないほうがいい。おれたちは穴掘りも得意だろう? 埋めてやらないとかわいそうだ。真っ先に埋めてやろう、な?」
かけるべき言葉を見出せなかった長兄は、思いついた言葉をおろおろ紡ぐことしかできなかった。吉勝丸の長い毛に覆われた体が、ゆらゆらと前後に動く。小声で何かを呟いているのも聞こえる。雅寿丸は、弟が聞き分けて頷いているのだと思った。ゆえに安心し、気を抜いた。それがまずかった。
「……た……た……いた……いたつ……」
「吉勝兄?」
動揺から立ち直った末弟楽喜丸が、次兄の顔を覗き込むようにして前へ回り込んだ。
「ついたついたついたついたついたツイタツイタツイタツイタツイタツイタツイタ」
「おい、雅寿兄。吉勝兄が、変だ」
「どうした? おおい、吉勝――」
「ツイタツイタツイタ地ノ底ニツイタ」
首が真後ろに回るのは、首の長い鼬のこと、取り立てて珍しいわけではない。だが、三兄弟が等しく有していたはずの、輝くぬばたまの眼はなく、代わりに膿のような色合いの濁ったそれが、鈍く光っていた。無論、膿色にである。体が前に向いたまま、前足が有り得ない曲がり方をして後ろに突き出された。骨から骨が剥がれるような、胸の悪くなる音がしたにもかかわらず、吉勝丸は声も上げなければ顔つきを変えることもなかった。
「吉勝兄、腕が外れているぞ。よせ、戻せ」
長い尾を前足に持ち、次兄の怪我をなおしてやろうと楽喜丸が近づいたときである。吉勝丸のあごが落ちた。あくびをするときには大口を開けるが、それの比ではない。顔が裏返るのではないかと思うほど開くのである。当然、口のはしが裂けて血が滴る。ようやく体の向きを変えることを思いついたのか、その場で足踏みをはじめる。だが、よほど腕の拙い人形遣いでももう少しにましに操るだろうというほど、吉勝丸の動きはぎこちない。奇怪ですらあった。そしてあろうことか、千切れかけている左腕を、あたかも鎖鎌の分銅で威嚇するかのように振り回すのである。
呆気にとられたふうの弟鼬に、毛長鼬が食らいつく。喉の辺りまで裂けた口に、楽喜丸の首はやすやすとくわえ込まれた。
「雅寿兄、魔道だ、堕ちてしまった。もう助からん、おれも、吉勝兄も」
首に噛みつかれたまま、尾長鼬が苦しげにいった。鋭い歯が食い込んでいるのか、その肩の辺りには血が滴っている。
「鳥……っとに、あるとおり……にい、は、おれが……ろす。こ……して戻す」
鈍い、吐き気をもよおすような音がした。楽喜丸の首の骨が噛み砕かれてようやく、雅寿丸は己を取り戻した。
「けんかなんて、今までしたことなかっただろう? なあ、どうしてそんなことになっているんだ? とりあえず、あれだ、落ち着こう。な?」
それほど遠く離れているわけでもないのに、雅寿丸だけがまるで別の場所にいるようだった。その声だけが場違いのように、虚しく血塗れの壁に吸い込まれていく。
今際の際に楽喜丸が懸命に伸ばした右前足が、吉勝丸のちぎれかけた左前足の断面にもぐり込む。長い爪が肉を裂き、掻き分けながら奥へと進む。雅寿丸は、後足で立ち上がったまま前足を所在無げにさまよわせるだけで、何もできなかった。何もいえなかった。その目の前で、吉勝丸の眼の光が消えた。
裂けたあごが再び胸までだらりと下がり、楽喜丸を解放する。吉勝丸の体が、畳に崩れ落ちる。すぐ後に、楽喜丸の体も折り重なるようにして倒れた。末弟の首は、半ば千切れかけていた。
一人残された長兄の大鼬は、どうしていいかわからず、その場で意味もなく回った。めまいを覚えてからようやく回るのをやめ、傾きながら手習い所を出る。まっすぐに歩けず、道を逸れたまましばらく進むと、またべつの村人が倒れているのに出くわした。それまでと違うのは、微かなうめき声が聞こえてきたことだった。誘われるようにして大鼬が向かうと、腹の辺りで体を真っ二つにされた村人は、かろうじて生きていた。
「
「ううう……ぐうう……」
孫六という男が、もういくらも持たないことは明らかだ。だが、今となっては雅寿丸を除き、この村で唯一の生ける者である。声をかけずにいられることができようか。
「お……おっ、お……」
「すまん、助けてやれないんだ。弟が、楽喜丸が死んじまってな、治してやれん」
「ばけ……も……の、死ね!」
血泡とともに、胴と脚とが泣き別れした男は唸った。吐き散らされた血が、鼬の灰色の毛並みを赤黒く染める。虚ろな目は、確かに雅寿丸を睨みつけていた。呪詛は否応なく、一匹になってしまった鎌鼬の胸に突き刺さった。
雅寿丸は口を開いたが、言葉は出てこない。孫六は息の続く限り――つまり命のある限り「死ね」と唱え続け、やがて黒目が裏返って白目だけになったとき、ようやく沈黙した。
「死ね死ね死ね死ね死ね死ね」
耳の真後ろ、一尺も距離はあるまい。吐息がかかるほど近くで、孫六の声がした。目の前には、確かに孫六の亡骸が横たわっている。雅寿丸は、場違いなほどゆるりと首を回し、背後を見た。
孫六がいた。左の肩に、己の物であろう脚を担いでいる。空いた右手で大鼬の足をつかんだ。骨が悲鳴を上げるほどの怪力であったが、それよりも、分厚い毛皮を通してでも染み入るほどにその手が冷たいことが、雅寿丸を驚かせた。
背後の孫六は、脚を失った腹から、地面に飲み込まれていった。肩に担いだ脚から伸びる爪先も、一緒に沈んでいく。わずか二つの音のみ紡ぐ首と、足を締めつける右手が残った。首もあごから土にもぐり込み、血走って虚ろな目までが埋まり、乱れた野郎髷の先が消える。最後に右手が地に飲まれていったが、その手の冷たさと握りしめる力は消えることはなかった。
孫六が消えた辺りから、その亡骸へと目を移し、しばし呆然としていると、そこへ影が落ちた。顔を上げると、手習い所に向かう際に鉢合わせた村人がいた。
男も女も、老人も子供も。ある者は己の首を小脇に抱え、ある者は長く伸びた腸を引きずり、またある者は失った脚をどこかへ捨てて這いずっていた。一様に、口の中で何かを呟いている。
大鼬を取り囲んだ村人の群れは、ゆるゆると輪を狭めてゆく……。
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