第18話 逃げの一手

 そんな話から数日後。

「こんにちは。作ってくださる店主はご在宅かしら?」

 とうとう嫌な日が来たのだ。全速力で逃げていいですか? という憲治の問いに「強盗が逃げるみたいだから止めて(ろ)」と満場一致で止められた。

 ……酷いものである。


「……お、俺、ですが」

 そう言って憲治は恐る恐る表に出た。

 ヤダ怖い。犬ですよ、犬! つか、ダックスフンド系犬ですよ。と憲治は内心ガクブルだ。

「わたくし、何かしたかしら? 店主に睨まれているのですが」

 睨んでませんよ。怖くて怯えているだけです。その言葉を憲治は飲み込んだ。

「この顔はこいつの標準装備です。顔は悪いですが腕は最高です!」

 鋏がなんとも言えないフォローをしていた。


 その後、びくびくしながらも何とか採寸を終え、ドレスのデザインを提案して帰ってもらった。

 布は芋虫製のものを使うことで合意した。アラクネの糸はまだ染色方法が見つからない。

 時折、限りなく白に近い色のアラクネの布に芋虫の糸で刺繍して売り出しているくらいだ。

 値段としては魔植物由来の布>ウリーピルの布や皮>芋虫の布>(越えられない壁)>アラクネの布といったところか。糸も同じような値段設定である。

 つまり、アラクネの布は超高級素材なのである。

「刺繍にアラクネの糸を使うかどうか迷うところだよな」

 憲治は呟く。

「止めとけ。変に目をつけられる」

 だいぶ鍵も慣れてきたようで、怖がることは少なくなった。……多分。

「ん。芋虫の糸を白と青と水色で。出来れば糸自体をグラデーションで」

「……何する気だよ」

「刺繍とレース」

 きっぱりと憲治は言う。


 翌日から工房にこもりきりで鼻歌を歌いながら作業が始まった。



「ひきこもってくれるのはありがたいんだけどよ……」

 鍵がため息交じりに呟けば、ひきこもりの憲治とそれに付き添う鋏とピンクッション以外からも同様のため息が出た。

 衝立一つしか隔てていない場所から、背筋も凍る鼻歌が聞こえてくる。これでは商売にならない。

 外に売りに行けばいいのだが、空間魔法の使える鍵はともかくとして、他のメンバーが我先にと相方を希望する。

 最近では鋏やピンクッションまでもが「ずるい」と言うようになったとか。これはメジャーからの報告だ。

「……と、とりあえず僕は染料を探してきます」

「私が付いていく!」

 スコップにすぐさま箒が飛びついた。

「俺は……いつもの行商と買い出し」

「私が」

「おいどんが」

 もう一瞬たりともここにいたくない! 全員の一致した考えで逃げることにした。


 もちろん、憲治には断った。

 聞き流した風に「おう」と返ってきたので良しとする。すぐさま鋏とピンクッションに睨まれたが。


 そんなわけで、守りの薄くなったその小屋からはずっと世にも恐ろしい歌が聞こえ続けたという。

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