第15話 鼻歌と刺繍
金槌に頼んで刺繍枠を大きさを変えて数点作ってもらう。そして喜々として刺繍を始めた。
周囲に聞いて回り、販売と作業場の確保をしたのは、鍵である。
「何で俺が……」
「諦めて。憲治を呼んだ時点でこうなるのは分かり切ってるもの」
「……俺が呼んだんじゃないやい」
メジャーの言葉に鍵は力なく返す。
ただいま絶賛刺繍中な憲治を手伝うため、鋏とピンクッションはここにはいない。
「いやはや。一部屋とはいえ確保できたのはありがたいな」
そう言いながらも金槌はいろんなものを作っていく。
そんな中に、恐怖の鼻歌が聞こえてくる。
それゆえ、この家付近には王都の住民は一切近づかない。
当人は機嫌よく歌っているのだろうが、周囲には恐ろしい歌にしか聞こえない鼻歌である。
出所はもちろん、憲治だ。
怖くて止めに行こうとした金槌たちを止めたのはメジャーである。「この歌歌っているときの憲治を邪魔しちゃ駄目」と。
前回聞いた鼻歌はここまで酷くなかったと記憶していた鍵だが、そのあたりのことをメジャーに聞くと、ものすごくあいまいに笑われてしまった。
憲治が口ずさむ鼻歌には数種類あり、特にこの鼻歌を無意識に口ずさんでいる時はかなり調子がよく、挙句の果てには邪魔をするとこの世のものとは思えないうなり声を発する……らしい。
何それ怖い! と誰一人止めるものはいないのだ。
そんな恐怖を味わわない仲間もいたりする。
スコップと箒だ。
スコップが周囲で染色材料になりそうなものを見つけてきて、箒が実験をしているのだ。
全員そろって、それが羨ましい……何て思えないのが実情である。
彼らも発色をよくするために必死なのだ。そして、それをどのようにするといいのかも考えなくてはいけない。
「刺繍出来たぞーー」
一人そんなことを気にせずに、憲治が言う。
その場にいた全員が言葉を失った。
あり合わせで作ったとは思えない、繊細かつ、絢爛けんらんな刺繍が施されていた。
「ついでと言っちゃなんだが、そこの日よけ代わりに」
そう言って憲治はもう一つの布を差し出す。ウリーピルの毛で織った布に、アラクネが出した糸で刺繍されたものだ。
「……なんだ、これ」
「アラクネが、微妙な色合いで糸を出してくれた!」
鋏の呟きに憲治が機嫌よく返す。
そう、微妙な色合いのグラデーションを利用した白い刺繍は、それだけで高級品に指定できそうなものになっていた。
ぷちん、とどこかで音がしたような気がした。
「……んなもん」
「?」
憲治が怪訝そうに鍵の方を向いた。
「こんなもん、日よけに出来るかぁぁぁ!! 阿呆!!」
鍵はそう叫ぶなり、その作品を丁寧に、、、たたみ、己の空間にしまった。
「え!? だめ? 渾身の作なのにっ」
「阿呆かぁぁ! あんなもんを日よけに使ったら、別の意味で! 即刻! 目立つわっ!!」
ゼーゼーと鍵が息をして、びしっと人差し指を憲治に向けた。
「お前は周囲を見てきたんじゃないのか!? こんな高等テクニックな刺繍どこにもなかっただろうがっ! おそらく城のお抱え職人だって実力としては半分くらいだぞ!!」
「目つけられても大丈夫! あれ以上の刺繍をする……」
「あれは献上品にする! もっと単調な刺繍でいい!」
そう宣言するなり鍵は別の布を出して、四隅に花の刺繍を頼んできた。
……仕方ないので、グラデーションで白バラの花束、、を刺繍していく。ついでに衝立代わりのものにつける布には、白のグラデーションでとはいえ平安調の刺繍を施す。
またしても鍵に怒られる羽目になった。
「……何であいつは……」
憲治が寝静まったあと、鍵はぶつぶつと文句を垂れていた。
「仕方ない。憲治だし」
フォローにならないことを鋏が言う。
「ああ見えてストレスに弱いやつなんだよ、憲治は。そういう時は心ゆくまで服飾関係のことをさせるのが一番」
「だからって言ってもなぁ……」
「おれっちとしても、お前の言うことは分からなくないが、諦めろとしか言えんな」
巻き込んだのが憲治な時点で、お察しというのが鋏たちの言い分だ。
「あと数回凝ったものを作れば、少しはおさまると思うの」
ピンクッションが急に話に混ざってきた。
「そうなのか?」
「そうよ。就職直後は酷かったし。あとは職質された後とか?」
その言葉にうんうんと頷く鋏。
がっくりと頭を垂れる鍵だった。
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