1 静けさの中の嵐

「おお、わがうるわしのプチホテルよ!」

 海を見ながら歩いていた浦野うらのが、丘の上に見えた白っぽい建物に気付いて、はしゃいで叫んだ。

 丸刈りにアロハシャツなのは馬鹿丸出しだが、悔しいことに少し焼けた肌にスポーツマンらしい精悍せいかんな顔立ちなので似合ってなくもない。

 ――夏休み、俺達新聞部は合宿と称して部費でこの『崖の上のプチホテル』なる場所に遊びにきた。まあ一年生以外は幽霊部員状態だが。

 俺はホテルというよりは大きめの別荘に近い、二階建ての古びた建物を見上げた。

 ここは学園の関係者が経営する所なので、生徒は毎年格安で使わせてくれる。――おそらくあまり客がこないからだろうが。

 そしてここが復讐の……惨劇の舞台となる。

「……入りましょ」

 いつのまにか取り残されていた俺にかけられた声。見ると、前方には長い黒髪の大人っぽい少女がいた。

 ――『蛭間ひるま あき』。俺の恋人だ。

「アキ……」

 しゃべりかけて思いとどまる。いまさら話す事などない。

 ――そう、もう賽は投げられたのだ。迷ってはいけない。

 俺はアキの横を無言で通り、ホテルの中に入った。

 ――今、このホテルにいるのは俺達だけだった。

 ここのオーナーは学園の偉いさんらしく、生徒だけで泊まる際には教育の一環ということでホテルを共同生活の場として開放し、管理も任せてくれている。

「あ、ヤスさん、部屋の鍵です」

 鍵を手渡してくるおかっぱの女。後輩の『万孫樹まんそんじゅ ゆい』だ。今はこのユイが新聞部を取り仕切っている。

「それでですね……客室は二階で、部屋割りは男子が階段の左側、女子が右側――」

 ユイの説明をさえぎって俺は言う。

「ああ、わかってる。俺は奥から二番目だったよな」

 非常階段のある突き当たりが浦野の部屋で、その一つ手前が俺の部屋だ。

 俺は荷物を置きに行こうと階段を上がった。すぐ後ろにはアキがついてきていた。

「……それじゃ」

 そう言ってアキは階段ほぼ正面の部屋に入った。俺は左に曲がり自分の部屋に入る。

 室内は左に小さなクローゼット、右には洗面所のドア。その先が六畳ほどの洋間で、ベッドと机だけが置いてあった。

「トイレもこの中か……」

 洗面所は狭く安っぽいユニットバスだった。首を回すと、壁には小さな鏡。そこには眼鏡をかけた痩せぎすの、真面目そうな男――即ち俺の姿が映っていた。

「――『真面目そうな男』、か」

 自分で思った言葉にふきだしてしまう。

 ……俺はこれから人を殺そうというのに。

 苦笑しながら部屋を出て、階段を下りる。

「やっぱりホテルというよりは、洋館風の別荘のような造りだな……」

 呟きながら一階へ下り立つと、目の前はロビー。まあそう呼ぶには少しささやかな空間だが。

 階段の真っ正面が玄関で、その左脇にはソファーとテーブルの置かれた一角があった。そこは談話スペースのような趣だ。

「ん……?」

 そこにしょんぼりと座っている少女がいた。荷物も置きっぱなしで。

 ――あれは一年の『ひねり』……『日根野ひねの 鋭利えり』だ。

 俺はゆっくりと歩みよった。

 セミロングの髪に、童顔だが『真面目そう』な顔つき。

 ……まあ人間外見じゃ判断できない。

 ――そう、俺のようにな。

 こいつだって大人しそうな顔をして、腹の中にどんな獣を飼っているか――。

「あ、ヤス先輩……」

 うつむいていたひねりが顔を上げる。

「おい、どうしたひねり。何かあったか?」

「――いえ、まだ何も……でも、これから何かが起きるんです」

「え――?」

「スフィンクスの涙が反応――あ、いえ……」

 こいつ、何を言ってるんだ?

「あの、先輩……もし、よからぬことを考えているなら――やめてくださいね」

 なんだと……?

「絶対に――絶対にいい結果にはなりませんから」

 ……はっ、いまさらやめたりなどするものか。

 ――しかし気持ちの悪い女だ。こいつ、何か察してるんだろうか?

 だが俺は何食わぬ顔をして答える。

「ははっ、何言ってるんだ、ひねり。疲れてるんじゃないか? 早く部屋で休め」

「そうですか……」

 ひねりは荷物を手にした。

「――でも、もし先輩がそうなら……本当にもう一度よく考えてくださいね」

 元気なく去る。

 その後ろ姿を心の中で嘲笑いながら見送り、そして小さく呟いた。

「……ああ、よく考えたさ。そうして思いついちまったんだよ」

 ――誰にも解けない完璧な殺害計画を、な。

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