39話『激突』

  

 県境の運河に掛かる大きな跳ね橋で、矢島と楓瞳子は合流した。

 ここは夕方ということもあり、交通量が多かった。ビルが立ち並ぶ大通りを何台もの車がひっきり無しに行き交っていた。その脇に止められていたワゴン車で、楓瞳子と彼女の部下の五人が共に行動していた。

 彼女らは既に車から降りている。この跳ね橋を、決戦の地に選んだのは楓瞳子だ。


 「他の黒服は?」


 「今はバラバラに逃げてんねん。まとまって行動するにはちょっと人数が多すぎるからね」


 額に張り付く汗をぬぐいながら、楓瞳子は息を整えているところだった。

 彼女らは、遠堂に襲撃された直後に散り散りになって襲撃者達から逃げているという。


 「それで……、遠堂本人はどこにいる?」


 今はタイミングがよく襲撃者の姿は見えない。

 楓瞳子が彼らを撒ける場所で合流したのだろうが、矢島としては遠堂本人に出てきてもらわなければならないのだが。


 「それに関しては安心し、ウチらを追ってきてるのが遠堂率いる本隊や。あの遠堂……なんかのシステムを使ってるみたいで、動きが突然早くなるんよ。追撃を逃れるのでやっとやったわ」


 「システム……か」


 矢島には覚えがあった。

 四七年前。遠堂と初めて邂逅した日に見せつけられた、銃弾をも避ける速さを出すシステム。おそらくそれのことだろう。そして、そのシステムを矢島は既に検討がついていた。


 「タイマーの消費を加速させて、自身の速度を上げるシステムだろう」


 だからといって、どう対処するべきかは測りかねていたが。楓瞳子から受け取ったストップウォッチを、いつでも起動出来るように準備しながら、システムの解説をする。


 「そうなんや。身体年齢九十歳とは思えへんくらい機敏な動きをしよってな……。ここに来るまでで、ウチを逃がすために既に社員が二人殺されてるんや」


 拳銃に弾丸を詰め直し、憎悪の篭った声で呟いた。

 その表情は、四七年前に矢島が浮かべていた表情のそれと同じだった。


 「……」


 ふいに、楓瞳子は逃げてきた方を振り返って言葉を詰まらせた。


 「どうした楓さん?」

 「……多分。もうそこまで来てるで。準備は出来てるんか?」


 その言葉に、矢島が跳ね橋の向こうのビル群を見る。

 同時。

 一五階はあるビルの屋上から、一つの人影が飛び出してきた。



 ドゴォンッ!!



 人影は、跳ね橋を渡っていた大型トラックの上に着地した。いや、着地するというよりも、着弾したという表現の方が近いだろう。なぜなら大型トラックを上から押しつぶし大破させたのだから。

 横転し、跳ね橋を塞ぐようにして炎上した。

 そして、その炎上と横転に巻き込まれた一般車が次々と衝突事故を引き起こしてしまう。跳ね橋は大惨事となっていた。


 「あれが遠堂か!?」


 飛び降りてきた時に、一瞬だけ見えた。ニュースで見る御形の顔そのものであった。彫りの深い険しい顔に、刻み込まれた眉間の皺。こちらを見て一瞬だけ目があったが、とてつもない迫力に、一瞬だけ気圧されそうになった。


 「そうや。間違いない」

 「……ッ!!」 


 矢島は、炎に飲まれた車が大爆発を起こすのを見て叫ぶ。


 「くそっ!! 大惨事じゃねぇか!!」


 しかし、隣の楓瞳子はいたって落ち着いた声音で言った。


 「これで予定通りや。刑事さん、相手は何を犠牲にしても絶対に遠堂や。炎上横転した車はウチらの盾になってもらう。何にも無い広場で戦ったら、ウチらは遠堂の速さについてけへん。必敗や」


 半生を闇の社会で暮らしてきた矢島には、覚えがあった。何の罪も無い一般人が、組織の抗争に巻き込まれるなんて日常茶飯事だった。だが、狙ってそれを引き起こすのは見過ごせない。


 「そんなことで、一般人を巻き込んでいい理由には……ッ」

 「そんな綺麗事喋ってる暇なんか一瞬もないんやで!!」

 「ッ!?」


 楓瞳子に怒鳴られて、ようやく炎の中に目を凝らす。

 すると炎上し横転した大型トラックが吹き上げる黒煙の中から、遠堂が地面を踏みしめながら歩みだしてきた。拳銃を構える矢島と楓瞳子と黒服達。


 「しかし……あの様子だと、もうどれだけのシステムを使っているのか分からねぇな」 


 その堂々とした様子を見ると、加速のシステム以外にも複数のシステムがあるのかもしれない。だが気にしている暇はなかった。


 「久しぶりだなぁ遠堂……」


 ストップウォッチのシステムに片手をかけながら、矢島は睨む。

 大規模な交通事故なんて、無かったかのように歩み出てきた遠堂は、そんな矢島の顔を見て少し沈黙した。


 「……貴様、見たことがあるな。それも遠い昔だ」

 「ふん、よく覚えてるじゃねぇか。改めて挨拶しておこう……特別時間管理課の矢島悠介だ。仲間たちの仇という私怨で、あんたをぶち殺す」

 「あぁ……なるほど思い出したぞ。ワシの記憶力に感謝するといい……。では早速、仲間たちとやらの場所へ貴様も送ってやろうか!!」


 目の前にいるのは、今度こそ間違いなく遠堂だ。そう矢島が確信した瞬間に、遠堂が地面を蹴った。


 「ッ!?」


 見た目の老体に惑わされてはいけない。彼はどんな生き物よりも早く走っているのだ。

 開戦は一瞬。

 遠堂が矢島の顔面に、目にも止まらぬ速さで拳を突きつけていた。

 コンマ数秒でもシステムの起動が遅かったら、矢島の頭は一瞬で吹き飛び絶命していただろう。

 それほどの早さと豪腕。

 しかし間に合った。この事実は大きい。


 「今ので片腕持っていけたかな?」


 ストップウォッチのシステムを作動させた矢島は、今や石像も同然。

 そこに腕を高速で振るえば、拳どころか腕が正常でいられる道理がない。

 そして、遠堂もその例に違わなかった。右腕が完全に外れている。肘から先に至っては潰れて無くなっている。


 「ほぅ、貴様もそこにいる女と同じシステムを持っていたか」


 しかし、遠堂は意に返さず感心するだけだった。そんな余裕を見せる遠堂に、矢島たちは手を抜く理由が無い。黒服達が発砲し、楓瞳子と矢島が一歩下がった遠堂に追撃を加える。しかし彼らの攻撃は遠堂に届かない。

 高い動体視力と移動の速さでかわされているのだ。


 「さて、どうやって攻略しようか……」


 その後、同じように遠堂に一撃加えようと何度か攻めてみたものの、結果は芳しくない。結局矢島が遠堂に不意打ちを食らわせただけの一撃のあと、戦況は膠着状態となってしまう。

 炎に沈む跳ね橋の上で、矢島は早くも苦悩することとなった。

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