タイマー
33話『矢島悠介』(1)
「こうして直接会うのは初めてね。始めまして矢島悠介くん」
都内にある警察庁。
その警察庁長官室に呼び出された矢島が初めに聞いたのは、そんな何気ない挨拶だった。
「は、始めまして!」
広い一室に高価な机と椅子が一組。壁には立派な本棚と歴代長官の顔写真が飾ってある。
そこには二人の女性がいた。一人はおそらく秘書だろう。
もう一人こそ矢島に声をかけた張本人。当時の警察庁長官の
四八歳という若さで就任し、その二十代後半をも凌ぐと言われた美貌と経歴で世間を賑わせたのは、彼女の一つの武勇伝だった。
「そんなに緊張しなくていいわ。なんなら敬語でなくても結構よ。そんな瑣末なことに時間を取られたくないからね」
彼女はゆったりとした姿勢を崩さずに、矢島に笑顔で質問した。
「さっそく質問なのだけれど、タイマーはご存知かしら?」
当時一介の警察官でしかなかった矢島は、聞かれたままに答えるしかない。
「はい。去年スウェーデンで発表された『百五十年論文』で存在が明らかになったという、人間の寿命と直結する物質が、そのような名前だったと記憶しています」
ニュースや新聞で話題になっていたので、矢島は辛うじて覚えていた。
「矢島くんの言うとおりよ。これで人間の平均寿命はグッと伸びるかもしれないと期待されているわ」
「でも、タイマーの抽出が生きた人間からしか行えないことと、タイマー抽出の事故死率の高さのせいで、存在は知っているけど使えない宝の持ち腐れって聞きましたけど」
「えぇ、よく勉強していますね。けれどそれはもう古い情報」
彼女は机にあらかじめ用意してあった書類を、秘書を介して矢島に渡す。
「その
彼女の話を聞きながら、書類をめくっていた矢島の手が止まった。
そこには、『タイマーの安全な抽出方法の確立』と題された研究レポートがあったのだ。
「タイマー発見当初に世間で騒がれた時間の売買が、実際に行われるということですか」
「えぇ、そうなるのも時間の問題ね。これはまだマスコミには知らされていない情報なのだけれど、これがちゃんと論文として纏められ発表されたら、そうなるのは時間の問題でしょうね」
「しかし、タイマーを売買することは、倫理的な問題があり専門家のあいだでも意見が分かれていたのではないですか?」
「そうね。私も反対する声は多く耳にするわ。でも、これを世界はみすみす捨てたりしない」
「これからは人間の寿命までもが流通する時代が来るのか……」
「えぇ、だから政府はそれに先行して、市場に売り出されるタイマーを管理する組織を作りたいと考えているの」
そういって新上蜜香は矢島を見上げた。
矢島は嫌な予感がしたが、口を挟む余地なんて彼女は与えてくれなかった。
「そこで矢島くんには、その新組織の幹部になってもらいたいのよ」
なるほど呼び出されたのは、そんなトンでもないモノに巻き込まれるためかと、彼は努めて表情には出さないようにして唖然とした。
しかし新上にはバレバレだったようで、笑顔で釘を刺される。
「この決定には拒否権はないわ。政府からの転属命令よ」
乾いた笑いが出てきた。
なんとか返事をしようとして、彼は尋ねた。
「ちなみに……その新しい組織の名前はも決まっているんですか?」
「あなたが今日から所属するのは、警察庁直轄の特別時間管理局時間管理課よ」
***
「あー……」
警察庁から少し離れた場所にある、高層ビルを首が痛くなるほど見上げてため息を出した。
この高層ビルは、特別時間管理局専門のビルらしい。矢島はこれからここで働くことになる。
決定を聞いたあとで、「どうして選ばれたんだ」とか「他には誰がいるんだ」とかいろいろ質問したが、帰ってくる答えはこうだった。
「矢島くんの人格や知力や実績……でも一番のポイントになったのは冷静さ。どんな事件に出会って不測の事態が起ころうとも、矢島くんはどれだけ激情に駆られても、目的を見失わない冷静さがあると聞いているわ。他にも何人かいるから、よろしくお願いね」
満足のいく回答は得られなかった。
特別時間管理局自体には、他にも複数の課が存在するらしいが、時間を巡る犯罪を処理する時間管理課は、矢島とあと数人という少数精鋭で作業することになるらしい。
エントランスに入ると、現在も荷物が次々と運び込まれていて、多くの人がごった返していた。
その作業を邪魔しないように、矢島は新上蜜香に教えてもらった三七階にある時間管理課専用の部屋へと向かう。
「こんにちはー」
中に人のいる気配を感じ取った矢島は、適当な挨拶を言いながら部屋へ入った。
「お、来た来た。蜜香さんが集めたメンバーは、これで全員集合したのかな?」
「あぁ、彼が最後である」
「あら結構イケメンじゃない」
部屋には若い少女二人と、体格のいい中年男性の計三人がテーブルを囲んで座っていた。
三者三様の反応を見せる彼らに苦笑いを返す。
「あぁ、よろしく。俺の名前は矢島悠介だ」
それが彼らとの初めての出会いであった。
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