29話『裏切り者』
矢島と楓瞳子は新月亭へと歩いていた。
楓瞳子の拠点から新月亭の近くまで、藤堂に送ってもらっていたのだ。
「どうして車を降りようなんて言ったんだ?」
市街地から少し離れた屋敷へと続く開けた道を歩きながら、矢島が尋ねた。
秋の収穫もとっくに終わり、殺風景になった田畑を眺めていた楓瞳子は答える。
「何を今更言ってんのや。あそこには刑事さんと一緒の特時が居るかもしれへんやろ。野次馬に紛れるならともかく、車で堂々と乗り付けるなんてことしたら、刑事さん以外にも顔バレするやん」
楓瞳子は必要以上に多くの特時に顔を知られるのを、好ましく思っていない。
なにせ普段は対立する立場にいるのだがら当然だろう。
しかし矢島の反応は、楓瞳子が思い描いていたのと少し違っていた。
「……特時が?」
「なんや知らへんのか?」
楓瞳子は、矢島が屋敷に行こうと言い出したとき、暗部の楓を矢島以外の特時にまで合わせるつもりなのかと身構えていたが、様子がおかしい。
楓瞳子の予想は外れているらしいと、矢島の態度が物語っている。
「刑事さんも特時やのに、そうゆう情報交換はしてないんやな」
楓瞳子は吹き抜ける風の冷たさを、マフラーでしのぎながら矢島の顔を横目で観る。
だが彼の目からは、何を考えているかわからなかった。
「今の俺は、特時とは完全に別行動で事件を一人で追いかけている。だから、特時もこの事件を追っているとは知らなかったんだ」
無感情な声で言う矢島だったが、その足取りが少し遅くなったような気がした。
楓瞳子は、その冷めた矢島の声音や一挙手一投足から、彼への疑念が湧いてくる。
特時がいることを知らないと言ったのは事実だろう。
だが、そもそも矢島自身が特時だと言っていることを、信じても良いのだろうか。楓瞳子は、宮内の護衛を担当していた藤堂から、矢島のことを特時の人間だと聞いていた。
聞いていたが、楓瞳子の知っている特時というのは、組織での連携プレーを何よりも重要視する連中だったと記憶している。
矢島の単独行動は、そんな特時の理念とかけ離れていた。
特時と名乗っているだけの、偽物かもしれない。
楓瞳子は遠堂と敵対してしまったこの窮地に、藁をも掴む思いで矢島の話に乗ったことが、結果的には正解かもしれないとほくそ笑む。
矢島が特時の一人として楓瞳子に近づいてきたと思い、開示する情報を最低限にしていたが、特時と完全に別行動をしているのなら、事件が終わったあとに口封じすることは容易いだろう。
楓瞳子は全てが終わったら矢島との縁を切ることまで想定に入れることにした。それまでは多少怪しくても、この刑事を最後まで利用しようと、心の中で決意する。
そして当の矢島は、短く切りそろえた顎鬚をさすりながら、楓瞳子に呟いた。
「なるほど……確かに正門に一人、警官が立っているな。楓さんの話によると……あいつも特時か」
ようやく全体が見えてきた屋敷の周りに、ロープが張り巡らされている。
藤堂たちが報告していた内容を一致する。
「けど、今は一人しか立ってへんみたいやなあ」
遠巻きに観察しながら、矢島は屋敷の裏手に回り込んでゆく。
「楓さんも、あまり顔は見られたくないだろう? 見張りが手薄なところから屋敷に潜入しようか」
ロープをくぐり、庭へと入り背を低くしたまま周囲を確認する。
幸い正門に立つ特時以外に人は見当たらない。
矢島のあとをついて行く楓瞳子は、声を潜めて訊ねる。
「なんでウチも連れてきたんかそろそろ説明してくれへんか?」
「あぁ、まだ説明していなかったな。楓さんの拠点じゃ出来ない話なんだ」
「だからってこんな警察の目が一番キツそうな所選ぶ理由にはならへんやろ」
「いや、勿論ここでも確かめたいことがあったんだ」
ひと呼吸おいてから、矢島は楓瞳子に告げる。
「楓さんの組織に、遠堂と繋がっているスパイがいたかもしれないんだ」
「……ッ!?」
楓瞳子は矢島を睨んだ。
社員は全員愛する家族も同然で、裏切るなんてありえない。
数時間前に知り合って協力を約束した仲でも、容認できない発言だった。
「そう怖い顔をしないでくれ、その推測の証拠を得るためにここまで来たんだ」
矢島は半壊した屋敷の中にも誰もいないと判断し、奥へと進む。
燃えずに残っていた僅かな廊下を進んで説明を続ける。
「昨夜、俺が新月亭に来て宮内のシステムを暴き、システムによって宮内の命を握ることに成功したのは知っているよな?」
矢島が説明するのは次のような内容だった。
宮内が矢島たちを捕らえタイマーを奪っている時には、遠堂は宮内を殺すメリットがない。実際に宮内はそれまでタイマーの心配をしている様子はなかった。だが、矢島が宮内を
偶然ではなく遠堂の仕業であることは、前後の状況を考えれば間違いない。
そしてここからが重要。
どうして遠堂は宮内が失敗したことを知ったのか、ということである。
それは護衛をしていた黒服の中に、遠堂と通じている人間がいたのではないかと矢島は言う。そのスパイが宮内の失敗を遠堂に伝えたと言うシナリオだ。
さらにこの推測を裏付ける事実が、襲撃者のやってきた当時の状況にある。
襲撃者は、人目につきにくい裏庭や裏門ではなく、正門から最初に襲撃を仕掛けている。
黒服の護衛たちが、警備として立ち番をしていたにも関わらずである。
襲撃ルートとしてはあまりにも杜撰。
だが、立ち番……もしくはその付近にいた黒服がスパイなら話はつく。
襲撃が始まった瞬間に、複数の銃声が響いたのを矢島は知っている。
そのすぐあとに、襲撃者はすんなりと屋敷に押し入り使用人や黒服を殺害した。
もう一つ。
黒服が仮に、システムを使い鉄壁の防御を完成させても、システムに精通している裏切り者がいればその穴を突かれて敗北は必死。
庭で藤堂がシステムを展開させていた時も、一度蹴り飛ばされているのを矢島は見ている。藤堂を蹴り飛ばした襲撃者こそ、裏切りものだったのではないだろうか。そうでなければ、銃弾をも止めるシステムを無視して蹴り飛ばすなんて芸当は到底出来ない。
「そして……ここに誰もいなかったら自力で調べる予定だったが、プロの特時さんたちが調べているらしいし、予定を変更してそっちのデータをもらいに行こう。死んだ黒服達の死体は回収出来ていないんだろう?」
「その通りや。屋敷に細工するのが手一杯で、可愛い社員たちは使用人にすり替えることしか出来んかった。予想以上に早く来た消防と警察のせいで、ウチらは満足に作業出来ひんかったんや」
楓瞳子は悔しそうに表情を歪める。
矢島はここに残されていたはずの、焼死体を検視するつもりだったのだろう。
そして彼女自身も、矢島の推理が正しく思えてきた。
彼女には覚えがあったのだ。
「ウチの社員の一人が、もう顔の判別もつかへんくらい撃たれとってな。証拠回収を急いでる深夜の真っ暗闇での確認やったから、今では本人かどうかも怪しく思えてきたわ……」
「……それが本当なら、正解の可能性が高い。特時に検視されているかどうかは分からないが、どちらにしても特時からデータを貰わなければならないな」
矢島がそうやって新しい目的を設定したのを聞いて、楓瞳子は裏庭へと引き返す。
正門にいる特時に気づかれないように、楓瞳子のあとに続いて矢島が屋敷の周りに張られているロープを静かにくぐる。
その直後――
「……ッッッ!!!!」
――ライフルをこちらに向けた覆面を見た。
新月亭を強襲した襲撃者が二人いたのだ。
矢島は突然の出来事に思わず硬直してしまう。
しかし異変に気づいた楓瞳子は、即座に胸にしまっていたストップウォッチのシステムを起動。
システムの絶対防御にものを言わせて、銃口をこちらに向ける覆面の襲撃者に突っ込んだ。
ドカッ!!
襲撃者の持つライフルが火花を散らしたと同時に、楓瞳子はその銃口を鷲掴みして炸裂音と飛び出す弾丸を素手で受け止める。
こんなことは、楓瞳子にとって日常茶飯事だ。
だからこのような奇襲にも臆することはない。
そして目の前で呑気に驚いている襲撃者に、憎悪を込めて怒鳴った。
「さぁ、ウチの可愛い社員をぶち殺してくれた仇……しっかり取らせて貰うから覚悟しいやッ!!」
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