21話『イレギュラー』

 十一月十八日の午前九時。


 市内にある高層ビルの一室に設けられた捜査本部専用の休憩室で、雨宮千里は目を覚ました。

 全身に疲労が残っていたが、気合を入れて簡易ベットから立ち上がる。


 「うわっ、制服のままで寝ちゃったからシワだらけになってるし……最悪」


 スカートの裾を軽く伸ばしながら、眠気まなこを擦って周囲を見渡す。

 どうやら休憩室にいるのは雨宮だけのようで、部屋はシンと静まり返っていた。

 ベッドに倒れこむように眠った七時間前と状況が変わっていないところを見ると、女子高生の雨宮に気を使ってくれたのだろう。

 貸切同然の休憩室を見た雨宮は、それをいいことにさっさと着替えることにした。



 雨宮は事件が発覚した五日前の十四日から、この捜査本部に泊まり込みで生活している。

 そのため、生活に必要なモノはあらかた持ち込んでいた。

 雨宮の他にも、特時には女性が二人いて、彼女らを含めた三人でこの休憩室を寝床がわりに使っているのだが、今は彼女らの姿はない。

 おそらく今回の「タイムアウト」事件の捜査に奔走しているのだろう。

 部屋に備え付けられている鏡を使って、髪型を整えながら、寝る前に落としていなかったメイクを落とし、考える。



 昨日一日で、捜査は一気に進展した。

 そもそも事件発生の二日目には、宮内の犯行と目星を付けていた特時の捜査本部は、笠持を使った囮捜査によって、宮内の使う事務所を特定していた。

 しかし、中々証拠を出さない宮内を追いかけるうちに、遠堂という黒幕がいることが判明したため、捜査本部は慎重にならざるを得ない状況に立たされる。

 それでも宮内だけは確実に捕まえることで一致した捜査本部は、十七日の早朝に笠持と雨宮を派遣。

 宮内の事務所に張り込みをすることとなる。

 しかし、張り込みがバレて雨宮は逃走。

 そうして笠持が知り合った被害者である大橋と、謎の人物矢島が出会うこととなる。


 この矢島、特時の中でも事件を最前線で追ってきた雨宮と笠持にとって、完全にイレギュラーな存在であった。

 しかも彼は、笠持すら大橋に伝えていなかった特時を名乗り、素人の大橋からあっさりと雨宮と笠持の捜査内容を聞き出した。

 矢島と名乗るイレギュラーに対して、雨宮と笠持は何もできなかった。 

 二人とも、最初は矢島のことを遠堂の息のかかった者ではないかと勘ぐって、様子を見ることにした。

 手をこまねいているうちに、矢島は笠持たちが刺激しないよう努めていた宮内の事務所に突撃し、返り討ちに合ったのを見て、方針を変更。

 矢島の動向に不審な点は無いかを伺いながら、特時と言うことは伏せて近づいた。

 そして笠持と雨宮の助言もあったが、最終的には矢島がシステムを看破することとなる。



 雨宮は顔を洗ってから、茶色に染めた短髪を櫛で梳いてゆく。

 目の下にくまが出来てないことに安堵しながら、唇に薄くリップを塗る。

 その時休憩所の扉を軽く叩く音がした。


 「はーい! どうぞー!」


 元気よく返事をしながら、散らかしっぱなしの洗面台の上を慌てて片付ける雨宮。

 笠持が起こしに来てくれたのだろう。

 鏡でもう一度おかしなところは無いかチェックする。

 しかし、ガチャッとドアノブを捻って顔を覗かせたのは花田だった。


 「おはよう。疲れは取れたかい?」


 「あ、はい! あれ? 笠持さんは……?」 


 笠持じゃ無かったことに、あからさまに落胆する雨宮に、花田は少し困惑した。


 「雨宮ちゃん……、もしかして聞いていないのかい?」


 その花田の表情と口調に、雨宮は不安を覚えて聞き返す。

 雨宮は知らされていなかった。


 「和也が……いえ、笠持さんに何かあったんですか?」


 「笠持君は今……市内の警察病院で入院中だよ」



   ***



 午前九時三十分。

 深夜の間に宮内の屋敷を調べていた長岡は、メモ帳替わりのノートを閉じて言う。


 「以上が宮内氏の屋敷で我々が調べた内容です」


 長岡の話を聞いて、白いベットに座っている笠持は、視界の効かない右目をさすりながら頷いた。


 「ありがとう長岡さん……こんな状態でなければ自分で現場を調べたかったんだけどね。悔しいよ」


 右足と右目が機能しないというだけで、生活に甚大な支障が出ており笠持は相当まいっている。

 出された朝食のスープの目測を見誤りシーツの上にこぼした時は、普段穏やかな彼とはかけ離れた苦渋の表情が滲み出ていたのだ。

 だが、笠持はこのままタイムアウトの事件を他人の手に預けるつもりは毛頭ない。

 今にも病室を飛び出して事件現場に向かいたい気持ちをグッと抑え、長岡に質問する。


 「矢島という男と、宮内の護衛をしていた黒服は見つからないのか?」


 今回の事件に突如として現れた矢島の行方を、精鋭揃いの特時のメンバーが今も探っているはずなのだが、いい知らせがなかなか来ない。


 「雨宮さんと、保護した大橋氏に事情を聞いたのですが、二人とも矢島と屋敷ではぐれてからの行動が分からないのです。わかっていることは、宮内家所有の高級車一台が車庫に無かったということくらいでしょうか」


 「矢島はその車を使って逃げた可能性が高いわけか。どちらに逃げたとか、目撃情報とかはないのか?」


 「……それがなにぶん宮内氏の屋敷は市街地から離れた郊外で、深夜ということもあり決定的な目撃者が見当たっていないのです。登録されていたナンバープレートと、車種を頼りに捜索をしているところです」


 長岡は申し訳なさそうに言うが、笠持は見つけられない特時に対して不満なんてなかった。

 それどころか、遠堂を牽制しながらタイムアウトの事件を調査し、矢島の捜索をするという複数の作業を同時進行していることに、敬意すら覚えていた。

 笠持が矢島の尾行を特時のメンバーに要請した時刻は、十八日の午前二時。

 寿命タイムアウトのショック症状からようやく目を覚ました頃で、雨宮達が屋敷から逃走を始めた時刻でもある。

 そもそも、矢島は昨日まで完全にノーマークだったにもかかわらず、事件の一番深いところにいる男であった。

 矢島の動向が中々つかめないのも、無理はないことだった。


 長岡から一連の話を聞いた笠持は、宮内の屋敷に乗り込んでいた雨宮千里に、もっと具体的な話を聞こうと考えていた。

 すると、まだ仕事が山ほど残っている長岡は、座っていたパイプ椅子から腰を上げた。


 「私はこのへんで失礼します。事件は我々に任せて、笠持さんは一日でも早い前線復帰出来るようにお願いしますよ」


 「あぁ、すまない。精進するよ」


 長岡は早足で病室を去っていく。

 軽く手を振って、長岡を送り出した笠持は、ふーっとベットで横になった。


 「我々に任せて……か。そう言われても、事件はまだまだこれからだから、退場なんてできないんだよねぇ」


 笠持はベット脇に置いてある、見舞いのお菓子に手を伸ばす。

 この体でも出来ることはあるはずだ。

 そう考えることにして、長岡の報告を反芻していると、病室の扉を大きくノックする音が聞こえてきた。


 「ちょっと和也! 入るわよ!」


 笠持は雨宮千里が来たと直ぐに分かった。

 入ってきて笠持を見つけた彼女は、すごい剣幕で笠持に詰め寄る。


 「や、やぁ千里ちゃん。ぐっすり寝れたかい?」


 「ぐっすり寝れたかい? ……じゃないわよ! 花田さんに入院してるって聞いてビックリしたから、捜査本部飛び出してきちゃったわよ! ……で?」


 「で、とは?」


 笠持は、まくし立てる雨宮に対して、笑ってごまかしながら聞き返す。


 「どこが悪いのかって聞いてんのよ」


 隠されていたことに腹を立てているのか、雨宮は笠持の被っていた布団を引っペがして馬乗りになって押さえつけてきた。


 「ちょっと、僕は一応病人なんだけど……」


 笠持は小さい声でつぶやいてみたが、雨宮は無視して笠持の体をペタペタと触れていく。


 「……右目と右足が動いていないみたいね……。寿命タイムアウトの弊害が思い切り出てるけど、記憶の方は大丈夫なわけ?」


 流石に特時の中でもトップクラスの実力者である雨宮の触診は、狂い無く正確なものだった。外傷の程度を把握してから、雨宮が聞いたのは記憶に関することだった。

 寿命タイムアウトでは、その性質上、記憶障害に至る可能性がある。

 だが幸いなことに、笠持はその重症は免れた。


 「大丈夫だよ。記憶ははっきりしてる」

 笠持が笑顔で言うと、向かい合っていた雨宮も、ようやく弛緩した笑顔を浮かべる。


 「はー。寿命タイムアウトの後遺症で酷いことになってるんじゃないかって、凄く不安だったけど、口だけは元気そうでなによりだわ」


 その顔を見て笠持は、右目右足に残った後遺症で少し落ち込んでいた気分が晴れた気がした。

 どうやら雨宮に元気づけられたようだ。

 そうでなくてもこうして自分のために急いで駆けつけて来てくれたのは嬉しかった。


 「ありがとう、千里ちゃん」



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