11話『新月亭』
ホームレスの暮らす河川や、偽遠堂の事務所のある市街地から少し離れた郊外にそれはある。
『新月亭』
国内有数の老舗高級料亭と名高く、地元の名士や名家御用達の屋敷である。
「だが、実体は遠堂の名を騙っていた
郊外の新月亭を目指しバイクを走らせる矢島は、昔を思い出しながら大橋に説明していた。
「奴は昔からこの地を牛耳ってきた権力者の一人だ。遠堂より格下と言っても十分に警戒しないといけない相手だ」
初めて事務所で対面したとき、矢島はその老人を遠堂と思い込んでいたから気がつかなかったが、記憶にある顔を照らし合わせると確かにあの白髪の老人は宮内だった。
気づかなかった自分を悔やむように顔をしかめた。
だが直ぐに思考を切り替える。
「この事件に、さっさと終止符を打とうか」
立派な門構えの屋敷『新月亭』に到着した矢島に、突然声がかかった。
「お待ちしておりました矢島様。お連れの方もどうぞ中へ」
それは宮内のいた小さな事務所や、河原で矢島たちが追われた時にもいた黒服の大男だった。
「コロコロともてなし方が変わる気分屋だな」
思わぬ不意打ちに困惑しかけた矢島だが、一言文句を言うと前を歩く黒服に「案内しろ」と促し、ついていくことにした。
広い庭を横目に縁側を歩いてゆくと、黒服が障子戸を開き矢島たちを中に誘導する。
ずかずかと入る矢島に対し、黒服に威圧された大橋はびくびくしながら矢島の陰に隠れるようにして部屋を覗き込んだ。
広い座敷の中央に、白髪の老人宮内が座っている。
宮内の座る目の前には重厚な木の机が置かれ、宮内と矢島を隔てており、入口に一人と宮内の後ろに二人の計三人が矢島の動向を逃さず監視していた。
彼は矢島が入ってくるのを見るやいなや、嫌味なため息をついて口を開いた。
「ワシの警告も聞かずに無用な詮索を続けておるようじゃが、相応の覚悟ができているのじゃろうな?」
宮内はギロりと矢島を睨みつける。
だが矢島は、まだそんな悠長なことを言っているのかと、嘲笑しそれを一蹴する。
「それなら俺を殺さなかったことを後悔するべきだな。それとも俺にはシステムが解けないとでも思ったか?」
そして矢島はポケットに適当に突っ込んでいた拳銃を取り出して、宮内に向けると反応が返ってくるよりも早く続けた。
「てめぇの罪は”システム”を作り出し、一般人を無差別に殺したことだ!」
最後は怒鳴るように叫ぶ。
訳も分からないままに死んでいった被害者達を思い、彼は目の前の老人を睨みつける。
その様子を見た黒服三人は、銃を持つ矢島を抑えようと走り出す。
大橋は悲鳴を上げ、このあとに起こるであろう争いから身を守ろうと体を強ばらせた。
だが、血の気の多い矢島と黒服の乱闘は、つかみ合いになる直前に発せられた一言で防がれる。
「別に取り押さえんで良い、彼はワシを殺せんからのぉ」
宮内は、白いヒゲに覆われた口角を意地悪く釣り上げて言ったのだ。
「その慢心がテメェの命取りになると、まだわかってねぇようだな」
「君こそワシを殺してしまってもいいのか? 今ワシが死ねば、また事件の犠牲者が増えるぞ?」
ブレずにまっすぐと向けられた銃口を見てなお余裕を崩さない宮内に、矢島は少し困惑した。
「どういうことだ!」
「状況が分かってないようじゃから、丁寧に説明してやろう。こう見えてワシは親切じゃからな」
そして宮内は隣の黒服に耳打ちする。
「招いたお客さんを連れてこい」
黒服の男は短く首肯し、座敷の奥に繋がるふすまを開き中へ消えていく。
意味をはかりかねて立ち尽くす矢島。
だが、黒服が帰ってくるとその真意はすぐに判明した。
矢島と宮内のいる座敷の奥の部屋に、意識を失った雨宮が倒れていたのだ。
彼女のこめかみには、黒服の男の銃が突きつけられ引き金に指がかかっている。
「なっ!? 嬢ちゃん!!」
矢島は直感的に察する。
ラジオから流れたタクシー運転手の殺害は、雨宮を拉致した時に黒服が巻き込んだのだと。
宮内はシワが刻まれた頬を歪めて笑い、語りかけるように言う。
「分かったろう? ワシを殺せば、そこの黒服がこの娘を殺すというわけじゃ」
「外道が……」
まずいことになったと矢島は歯噛みする。
うまく事が運べばこのシステムの事件が表沙汰になる前に元凶である宮内を捕まえて、システムの答え合わせをしてから、抹殺する予定であったが、人質を取られては大橋の手前、強硬手段には出にくい。
このとき矢島は、雨宮の命とシステムを天秤に掛けていた。
概念が具現化されたシステムは決して表の世界へは出してはならい。
それが特時の存在理由の一つだが、かといって雨宮を見殺しにしても、宮内がシステムの詳細を白状してそのまま事件が解決する見込みもなくなってきた。
その様子を見た宮内は、一層意地悪く笑う。
「焦らしたり焦らされたりするのは、ワシの趣味ではないのじゃが……ワシの安泰を磐石にするために、もう一つ君にいいことを教えてやろう」
宮内は立ち上がり、まるで物分りの悪い子供に教えるように説く。
「ワシは、ワシの障害になりそうな部外者の情報を徹底して集めておった。君がその一人じゃな。昨晩ワシはシステムの実験に首を突っ込み詮索しているものがいると、そこの黒服から聞いての。今朝あの事務所に君が来るだろうと思い、久々に顔を出して待っておったのじゃ」
大橋は立ちすくみながらその話を聞いて一つ理解した。
笠持と共に事務所の付近に張り込んでいても来なかったのは、宮内自身があの事務所をほとんど使っていなかったからなのだと。
「そのせいで、この娘にシステムを見られたのは誤算じゃったが、君自身はシステムについて何の検討もついていないことが判明した」
それは事務所で気絶する直前に聞いたと矢島は考えたが、一つ疑問が生まれる。
ではなぜ、システムを使って人を何人も殺し、システムが視界に入っただけの雨宮を一日中追い回すような連中が、事務所にまで乗り込んできた矢島を殺さずに気絶に止めたのだろうか。
そういえば、と話を聞きながら矢島は思考を巡らせる。
ではなぜ、事務所の場所を知っており、明確に宮内の正体を調査していた笠持と大橋は、何事もなく今日まで野放しにされていたのだろうか。
その疑問こそ宮内が教えてやりたい話だったのだろうか、彼は矢島の疑問を先読みするように話を続けた。
「だからワシは、君にシステムの被験者になってもらった。君に出したコップ一杯の水が、水時計のシステムと君を結合するトリガーになっておったのだよ」
「やはり、システムに巻き込まれたか、そうでないかの違いってことかよ」
苦虫を噛み潰したように表情を歪め、矢島は納得する。
だが、矢島自信を蝕むシステムの詳細は、もう把握している。
あの事務所にあるウォーターサーバーから水が流れでない限り、無慈悲にタイマーが減少することはないはずなのだ。
システムに結合されたのがどうした。
システムに巻き込まれているなど、今更教えられたところで痛くも痒くもない。
だが宮内は矢島の内心に反し、懐からスマートフォン型の端末を取り出すと、矢島の目の前まで歩いて来て画面を見せつけると、ゆっくりと聴かせるように言う。
「事務所に置いてきたウォーターサーバーは試作品だが、便利な機能があってじゃな。実はこの端末で自由に栓を開閉出来る」
その言葉を聞いて矢島は心臓を掴まれたような錯覚に陥った。
つまり、雨宮の命だけではなく、矢島自身の命も同時に宮内の手の中にあると言うことだ。事務所で、直接タイマーを抜き取らなかったのは、矢島が真実を知って慌てるのを見るためだった。
宮内を追い詰める算段が、逆に矢島が火に入る夏の虫となってしまったのだ。
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