10話『好転と暗転』(後)


 運転手が寡黙な人だったので、雨宮は気まずい雰囲気を感じつつも、話して気を紛らわせることもできない。 時刻は十一時を目前にしており、河原で矢島を発見したときよりも、より一層暗くなっている。


 「(そういえば、遠堂って人がシステムを運び込むのを見ちゃったのは今日の朝……まだ一日しか立っていないのね)」


 物思いにふける彼女は、視界の端にあるものを捉えた。

 ハッとしてタクシーの後ろを確認すると、そこには黒服の追手のワゴン車が静かに後ろから迫ってきていたのだ。

 雨宮は慌てて隣に座る笠持の体を揺すり、声をかける。


 「ねぇ! ちょっと!」


 しかし笠持は目を瞑ったまま反応が鈍い。

 雨宮はもう一度後ろを振り返る。

 するとワゴン車を運転する追手の黒服と目が合った。


 「……っ!?」


 彼女は息を呑むが、追手も雨宮を認識したのか無線機に向かって叫んでいるように見えた。

 頭を引っ込めてシートの背に隠れるが、時すでに遅し。追手のワゴン車は一気に加速して、タクシーの横に張り付き並走する。


 「オジサン! 隣の車から離れて!」


 雨宮の事情と迫る危険を知らずに、滑らかにタクシーを走らせる運転手に、彼女は叫ぶようにしてお願いする。


 「え? ……っ!?」


 運転手は間抜けな返事をするが、直後に驚愕の表情へと変化させた。

 ワゴン車が車ごとタクシーに体当たりをしようと、車間を思い切り詰めてきたのだ。

 ビックリした運転手は慌ててブレーキを踏み減速し、雨宮と笠持は派手に揺さぶられる。

 前の座席に必死にしがみついた彼女は、ようやく異変に気づいた運転手に再度叫びかける。


 「オジサン! 早く逃げて!」


 そう言われた運転手の判断は早かった。

 アクセルを踏み込み、体当たりしようと突っ込んでくるワゴン車の隙間をすり抜け、アスファルトを駆け抜ける。

 この地域の交通網を知り尽くした運転手が曲がりくねりながら振り払おうとするのに、かろうじて食らいついてくる追手のワゴン車を睨みながら、雨宮は笠持に叫ぶ。


 「ねぇ! このままで大丈夫なの!?」


 大丈夫なわけがないのは雨宮もわかっている。

 このまま目的のナントカホテルに到着しても、追手に居場所がバレていては意味がない。

 走って振り切ろうとしていた時とは速度も緊迫感もまるで違う。

 しかし、笠持は答えない。

 目を薄く瞑ったまま、激しく揺れる座席でフラフラと揺られている。


 その時、タクシーが交差点を加速しながら左折した。

 そして、反動でドアに叩きつけられそうになる雨宮の膝の上に、笠持の手にしていたスマホが飛んできた。



 [00:00:00]



 ふと見た画面の、中央に書いてあった数字。

 その画面は、タイマーの残数を示すものであった。


 「……なにこれ?」


 笠持が二六歳だと言うことを、雨宮は知っている。しかし、そんな彼のタイマーが無くなるなんて、普通ではありえない。

 怪我や病気に関係なく死を迎えるのが寿命でありタイマーなのだ。

 そこでようやく彼女は、この事件を思い出す。

 「システムが使われ、被害者のタイマーが失われている」

 笠持も、被害者の一人ではなかったか?

 そして、ドサッ、と隣の笠持が倒れた。

 雨宮は動転し、横たわる笠持を抱き上げるが、彼の反応はない。


 「……嘘。ちょっとあんた! 返事して!!」


 ぐったりとし重くなった笠持の肩を揺らして耳元で叫ぶ。


 「いったい何が起きてるんです!?」


 異常事態が重なり、とうとうタクシーの運転手が震えた声を出す。

 しかしその声は雨宮に届かず、パニックが限界に達して涙を浮かべる。

 運転手はもうホテルに向かうことは忘れてしまったかのように、夜の空いた道路を駆け抜けているが、黒服の追手のワゴン車は更に勢いを増して肉迫していた。


 「くっ、どうしてこんな目に……ッ!」


 そう運転手が毒づいた刹那のことだった。

 ついに追手に追いつかれ体当たりをくらってしまうと、雨宮たちを乗せたタクシーは、ワゴン車とガードレールに挟まれ火花を散らして停止する。

 雨宮と運転手は歯を食いしばり、目と耳を塞いで衝撃から逃れようとする。

 雨宮の悲鳴が車内に響く。

 だが笠持の死を受け入れるとか、ひん曲がったドアの隙間から逃げ出すとか、そんな悠長なことを考えてる暇さえ与えられずに、追手は車を降りてタクシーのドアを蹴破り雨宮を引きずり出した。


 「ちょ!? やめてッ!!」


 彼女は悲鳴を上げるが、ろくな抵抗も出来ずに道路へと投げ出された。

 そして黒服の男は車内で倒れた笠持を見て、息がないことを確認すると、運転席で気絶してしまっている運転手に向かって発砲した。彼に一切の躊躇はない。


 「あんた何やってんのよ!!」


 信じられない光景を目の当たりにし、雨宮は黒服に掴みかかり闇雲に腕を振り下ろす。

 だがそれはあっさりと受け止められる。


 「事情が変わり、お前を『新月亭』に招待するように言われた。大人しく来てもらうぞ」


 黒服の言葉を理解するよりも早く、雨宮の意識は刈り取られた。


 


   ***



 『午後九時頃から続く発砲事件や暴走車両の炎上に続き、今度は国道一号線でタクシーがガードレールに追突し、タクシー運転手の男性が撃たれて死亡しているのが発見されました。タクシーの側面には他の車と衝突した様な痕跡があり、警察は当て逃げした犯人と運転手を銃殺した犯人が同一人物であると考え、捜査を強化するとともに、近隣の住民へ注意を呼びかけています』


 矢島が歯ぎしりする。

 矢島は後ろに大橋を乗せたバイクを飛ばしながら、ラジオから流れる情報を聞いていた。


 「矢島さん……これって、まさか――」


 「あぁ、奴らだ。遠堂を騙る偽物の手下だろう。でもどうしてタクシー運転手なんかを殺した?」


 冷や汗を流す大橋に、矢島はハンドルを握り締めたまま思考を巡らせた。

 ラジオからは、この街で起きている様々な事件の概要が垂れ流されている。

 だが、矢島達が知りたい情報が一切流れない。

 つまり笠持と雨宮の安否である。何もないということは追跡を完全に振り切り、既にホテルに到着し隠れているのだろうか。

 別行動を取ったのは矢島だが、今更になって心配になってきた。


 「あいつら無事に逃げれたんだろうか」


 思わずそうこぼしてしまった矢島だが、笠持は若いが頼れる奴だと数回交わした会話で判断していたので、無用の心配だと運転に集中することにした。


 「なぁ、オッサン。あんたのタイマー、まだちゃんと残っているか?」


 「え、はい。今日はまだ異常な変化はしていません」


 「やはり俺のタイマーを消していたシステムとは、少し違うシステムらしい。だけどもう大丈夫だ。全部わかった」


 大橋の返答を聞き、再度確信した矢島はそれ以降口を閉ざすと、偽遠堂の本拠地と思われる『新月亭』へと急いだ。


 時刻は既に十一時を目前にしていた。

 

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る