10話『好転と暗転』(中)
押し倒されたまま笠持は唸る。
そんな彼の脇腹に拳銃を押し付ける黒服の男は、低く殺気に満ちた声で尋問する。
「どうやらもう一発鉛玉を喰らいたいみたいだな」
「……ッ!」
結局何も思い浮かばず、気を失いそうなのを押しとどめるだけの彼が、答える暇は無かった。
ズカンッ!
薄暗い路地裏に、強烈な音が響く。
笠持は痛みを堪えようと歯を食いしばり息を止める。
しかしいつまで経っても新たな痛みが来ない。
彼が不思議に思い薄らと目を開くと、彼を押さえつけていた黒服の男が白目を向いて横に倒れていた。
「……? いったい何が?」
重圧が消え、フラつきながら起き上がった彼がつぶやくと、横合いから怒鳴り声が飛んできた。
「馬鹿なの!? ひょろいクセに素手で殴りかかるなんて死ぬつもり!?」
まだ状況が飲み込めない笠持が声のする方を向くと、そこには畳まれたパイプ椅子を持って肩をわなわなと震わせる雨宮がいた。
「あんなにあっさり倒されるから何か作戦があると思ったら、なんだか銃で撃たれてるし悲鳴あげてるし!!」
どうやら彼女は笠持がピンチだと知り、路地裏に放り出されていたパイプ椅子を握って助けに来てくれたらしい。
ということは、発砲音だと思ったあの音はパイプ椅子で男を殴った音だったのかと再認識した。
「……すいません。助かりました」
彼は素直に礼を言う。高熱を発する脇腹を抑えながら、歯を食いしばって身を起こす。
「うわっ! すごい血が出てるじゃん! ほら、これしかないけどしっかり抑えてて、すぐ救急車呼ぶから!」
今まで怒っていた雨宮は、笠持の出血を見るなり顔色を変える。ポケットからハンカチを取り出して彼の傷口にあてがった。
雨宮千里だけは遠堂の魔の手から守ろうと心に誓っていたが、逆に助けられてしまったと、笠持は自らを恨んだ。
彼女はかがみ込み笠持を支えると、空いた片手で素早くスマホを弄り、救急車に連絡しようとする。
追手に居場所がバレると彼女を止めようとした笠持。しかし雨宮は、笠持の言いたいことはわかってると説得する。
「ホテルでも病院でも変わらないよ。あの刑事さんと合流しないと心配されるかもだけど、それなら刑事さんに病院に来てもらえばいい。今は傷をどうにかするのが先なの。私のために和也が犠牲になるなんて嫌よ」
しかし笠持はそれだけじゃ無いと首を振る。
「撃たれて怪我してるなんて言ってみろ、必ず警察もここに来る。そしてこの現場を見て、『ちょっと珍しい発砲傷害事件』程度と捉えるだろう。僕たちが関わってしまったのは”システム”が使われた事件なんだ。存在自体が秘密の特別時間管理課。そんな人たちが出てくるトップシークレットの大事件だから、普通の警察が事件の概要を調べ出すのだけは避けなきゃならない。普通の警察では調べている途中で数え切れない犠牲者が出てしまう」
苦痛をこらえながら笠持は説明する。警察は巻き込めない。
彼らはシステムに対してあまりにも素人だ。
「でも、それだと傷はどうするのよ!?」
笠持の説得に納得しかねる表情の雨宮。
笠持は壁にもたれかかりながら、脇腹にハンカチを押し当て考える。
「……傷なんて些細な問題だよ。それよりも早く安全地帯に逃げ込むことが先決だね。タクシーを使おうか。今タクシーに乗れば追手に見つかっていない状態で迅速に移動できるし、金を払って降りてしまえば後はもう赤の他人だ。巻き込む心配はない」
そういう建前でいこう。巻き込む心配が無いなんて、希望的観測に過ぎないが、ここで野垂れじぬことだけは避けなければならない
傷口は、コートで覆えば隠せるだろう。
そこまで説明し、渋々彼女の了解を得た笠持は表の車道へ出ると、タクシーが走っていないか目を配らせた。
そして現在時刻を確かめようと、スマホを取り出し画面をつける。
その時、ふとタイマーの表示されるアプリが目に入り、彼の顔から一気に血の気が引いた。
***
笠持が腹を抑えながらも道路へ出ていくのを見てから、雨宮は殴り倒した黒服の男の方に目をやった。
黒服のそばに拳銃が落ちていることに笠持は気づいていなかったようだが、彼女は逡巡してから拳銃を拾い上げる。
「(これは回収しておかないと……黒服が目を覚ました時に、またこれで命を狙われたら敵わないよ)」
彼女は心の中で言い訳をすると、制服のスカートの腰の辺りに差し込んで、上からセーターで覆い隠した。
彼は青白い顔で恐る恐るこちらを見てきたが、彼女は笑顔を作ってすっとぼける。
「どうしたの? タクシーは通りそう?」
彼女は彼にならって首だけ伸ばして道路を見渡しながら尋ねた。
「えぇ、これだけ車が少ないから不安でしたが、どうやら運はまだ僕たちにあるみたいですよ」
彼はいつのまにか首に巻いていたマフラーを腹部にきつく巻き締めて、上からコートを羽織って隠していた。
血の気の引いた顔を隠すようにコートの襟をかき寄せながら、笠持が路上へと手をあげて出てゆくのを見て、彼の重傷を気にかけていた彼女は慌ててついて行く。
彼は止めたタクシーに気丈を装って近づくと、タクシー運転手は笠持らの不安に気づくことなく営業スマイでドアを開いた。
笠持は後部座席に滑り込むとクッションのある背もたれに深く身を沈めてため息をつく。そして雨宮を手招きし、タクシー運転手に言う。
「この先にあるホテルまでお願いします」
笠持は言うことは言ったと、少し目を閉じた。
オジサンは「かしこまりました」と丁寧に言うと車を発進させる。
雨宮は、彼の様態を気遣うこともできずにそわそわしていたが、ラジオから入ってきたニュースに表情が固まる。
『臨時ニュースです。午後九時半から十時にかけて、市内で発砲音が複数箇所で確認され、他にもワゴン車がビルの壁に激突炎上していると付近の住民から通報が入りました。警察は原因究明を急ぐとともに、二つの事件の関連性についても調べていくと言うことです』
それを聞いて雨宮はタクシー運転手のオジサンにバレないかと体を強ばらせ、隣の笠持は眉間にシワを寄せて歯ぎしりする。
なんとも言えない居心地の悪い空気が車内に漂うが、今まで黙っていた笠持が小声で雨宮に話しかける。
「千里ちゃん、君からこれを……矢島っていう刑事さんに渡してくれないかい?」
彼はそう言うとコートの内側から何かを取り出して雨宮に押し付けた。
それは、小指ほどの大きさ太さで筒状のガラス管だった。
「どうしたのこれ?」
小さなガラス管の中で揺れる透明の液体を観察しながら彼女は尋ねる。
「それは僕のタイマーだ。丁度四十年分ある。これをあの刑事さんに渡して欲しいんだ」
「……え? タイマーを失って寿命が少なくなっていたんじゃないの?」
笠持の予想外な発言に、彼女は困惑して質問繰り返す。
「すまない、今はこれしか方法がなさそうなんだ」
一方的にタイマーを押し付ける。彼は口をつぐんで再び目を閉じると、座椅子に身を沈めた。
「(一体なんなのよ……)」
なんだか追求出来る雰囲気では無くなってしまい、彼女は視線を彷徨わせて外を見た。
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